「助けてやりたい」と思われるかどうか

「努力、努力」というけれど、どこまで努力したらいいのか誰も示さないし、自分でもわからない。

 

たぶん、結果が出るまで、自分が納得するまでということなのだろう。

 

しかし、人は努力の程(ほど)を感じ取るときがある。
そんなとき、人は「助けてやりたい」と思う。

 

人が抱く「助けてやりたい」という気持ちは不思議なものだ。

 

それは、あくまでも気持ちであり、行動とは関係がない。
実際に「助ける」という行動を起こす場合もあれば、心のなかで強く思うこともある。

損得勘定など考えることもない。

 

実際に助けを求められているか否かにかかわらず抱く感情である。
この点が、単に「助けた」「助けてもらった」ということとは異なる。

 

この「助けてやりたい」と思う気持ちは、努力する人を覆う空気のようなものだ。

 

一人の気持ちだけでなく、自分を取り囲む人すべての空気のようになって、すっぽりと覆うこともある。

 

みなさんも、このような空気を感じたことはなかっただろうか?
実際に助けてもらったかどうかにかかわらず、そんなとき、ものごとがうまく進んだり、結果がでたり、自分が望んだことが実現しなかっただろうか。

 

 

努力の程度など誰もわからないが、人に「助けてやりたい」と思われているかどうかが、一つのバロメーターではないかと思う。

 

現実の世の中や、ビジネスの世界では、ものごとがビジネス書に書かれているようにスパスパと型にはまりながら進むわけではない。

 

多くは、自分を取り囲む人の感情とともにあるのだ。

 

私はかつて著書『「出世しぐさ」のすすめ』の冒頭で「出世は、組織内部の力学によって生まれる。その人を『想起させるもの』が組織内でじわりじわりと浸透し、押し出すように生まれた力が出世である」と述べたことがある。

 

出世といえども、人の気持ちの結果なのである。

 

 

「助けてやりたい」という人の気持ちを考えるとき、思い浮かべる小説がある。
浅田次郎氏が書いた『一路』だ。

 

主人公小野寺一路は齢十九にして参勤道中御供頭を仰せつかった。
だが一路は参勤道中など加わったこともなかった。

 

道中を進めるうちに、次第に一路を「助けてやりたい」という気持ちが、みんなに生まれてくるのだ。

 

この本の解説で壇ふみ氏は、この小説は一所懸命の小説だという。

 

一所懸命は一生懸命とは異なる。
元々は武士が領地を命がけで守り抜くことを意味したが、自分の領分に力を尽くすということである。

人はどのようなときに「助けてやりたい」と思うのか、わかる小説だと思う。

 

 

 

 

浅田次郎氏が書いた『一路』には、人の「助けてやりたい」という気持ちが表れている

一路(上) (中公文庫)


一路(下) (中公文庫)

 

 

◆新百合ヶ丘総合研究所のキャリアアップを実現する本のシリーズ

 

こっそり読まれ続けています
ビジネスマンが見た出世のカラクリ 出世はタイミングで決まる!

ビジネスマンが見た出世のカラクリ 出世はタイミングで決まる!

本の目次

 

スマホで読む方法

 

 

出世するビジネスマナー
「出世しぐさ」のすすめ

「出世しぐさ」のすすめ

本の目次

 

※「出世しぐさ」は商標登録されました

 

 

なぜ「できる社員」はビジネスマナーを守らないのか

なぜ「できる社員」はビジネスマナーを守らないのか

本の目次

 

 

企業で働く 営業女子が輝く35のヒント

 

印象アップに踏み切れない人が、ある日突然注目を浴びるハンコの押し方

 

 

◆メルマガ「出世塾」の情報
(まずは発刊内容をご欄ください)

https://shinyuri-souken.com/?p=28756

 

 

◆キャリア理論の本紹介
https://shinyuri-souken.com/?page_id=41933