転機には通過儀礼が必要:ブリッジズの『トランジション』から

キャリア理論紹介書の転機の項目には、必ずブリッジズのトランジションが紹介されている。
ブリッジズのトランジションは、どんなトランジションも(1)終わり(2)ニュートラルゾーン(3)始まりから成っているという。
「終わり」から始まっているところがユニークであり、キャリアセミナーなどの格好の研修材料となっている。

 

トランジション(transition)は、キャリア理論の世界では「転機」と訳されている。
それゆえ、「transition(転機)」と、セミナーなどでは公然とスライドに映し出される。
しかし、ブリッジズの『トランジション』を読むと、transitionを転機と本当に訳していいのかという疑問が湧いてくる。

 

また、ブリッジズの主張は「終わり→ニュートラルゾーン→始まり」と、一見シンプルなので、理論の「さわり」を聞くと「そんなとらえ方も、たしかにあるよな」で片づけられてしまう。
だが、ブリッジズのトランジションは超難解である。
なぜ超難解なのか、トランジションとは何かについて、考えてみたい。

 

 

トランジション

ブリッジズ『トランジション』表紙

 

ブリッジズのトランジションを押さえるうえで、重要なことは「変化」との違いである。
最もわかりやすい説明が、巻末の原注に記載されていたので紹介しておきたい。(仕事とトランジションについて)

 

「『変化』とは、配置転換、昇進、新しいポジション、上司の交替、新しい退職計画、新技術、など外的状況が変わることを意味する。
一方、トランジションは心理的なプロセスであり、そのなかで古いものからの離脱、古いものと新しいものの間のどこでもない場所の通過、新しい始まり、新しいアイデンティティの形成などが進んでいく」

 

(注)後段のトランジションの説明が、「終わり」-「ニュートラルゾーン」ー「はじまり」の説明である。

 

つまり、「変化」とは状況が変わることであり、一方、「トランジション」とは心理的に変わることであり、トランジションとは外的な出来事ではなく、人生の変化に対処するために必要な、内面の再方向づけや自分自身の再定義をすることである。(巻頭の説明より)

 

 

どういうことだろうか?

 

私たちの成長過程を考えるとわかりやすい。
私たちは子供から大人になったと思える時期があった。そして親から独立し、社会における自分の居場所(就職や家庭を持つなど)を探した。やがて、自分が稼ぎ頭だった時代は終わり、いままで辿った道を見直す時期がやってきた。
これらはみな人間として成長するための発達課題だったのである。こうした時期から時期の移り変わりの内面的変化がトランジションなのだ。
そして、ある時期には必ず終わりがあり、終わりから次の過程が生まれたのである。

 

トランジションを理解する際に、ヒンズー教の教えもわかりやすいと思う。
ヒンズー教には人生を自然に移りゆく学生期(がくしょうき)・家住期・林住期・遊行(ゆぎょうき)という4つの時期があるという。
文字から想像がつくかと思うが、親から自立する時期、家庭を築く時期、内面的な探究・洞察の時期、人生と自己について理解を深める時期があるということだ。
このある時期への移行がトランジションということになる。

 

この本には神話が紹介されている。
「オデュッセウスの帰還の旅」などが紹介されているが、オデュッセウスが経験したトランジションを紹介している。

 

 

ブリッジズは人生にはさまざまな変化があるが、もっと根幹的な人間としての発達段階があり、その移行期をトランジションと呼んだのだと思う。
transitionを辞書でひくと、移り変わり,移行、変遷、変化、過渡期、変遷期……とでてくる。
転機を英語に置き換えると、turning pointである。これは「あること」がキッカケとなったという意味である。
トランジションは「あること」ではない。人の移行期である。

 

本のタイトルはtransitionsと複数形になっており、副題はMaking Sense of Life’s Changes となっている。
副題を直訳すると、人生の変化が意味するところとなる。
これこそがブリッジズが言いたかったことではなかったのではないか。

 

 

かつて、種族によって「通過儀礼」と呼ばれた儀式が執り行われた。
さまざまな「通過儀礼」を若者に課したのだ。
これはトランジションを構造化したものだという。
transitionの動詞形がtrasitであり、transitは通過するという意味だから、この「通過儀礼」という言葉はピタッとはまる。
現在も成人式などの通過儀礼はあるが、それは一定の年齢にならば必ずやってくる外見的な儀礼である。
ブリッジズが言いたいことは、内面的な「終わり」「ニュートラルゾーン」「はじまり」という区切りだろう。

 

 

さて、冒頭にも書いたが、ブリッジズの説が受けいられやすいのは、転機を「終わり」から始まると述べていて、「そんなとらえ方もできるよな」と思うからである。
それゆえキャリアセミナーなどでは、格好の材料になっている。
しかし、ある時期、ある段階を「終える」ということはたいへんむずかしいことである。
それはブリッジズの言葉を借りれば、「アイデンティテイを築いてきた環境との結びつきを壊す」からである。
それゆえ「終わり」を完結できない。
「終わり」を完結できないと、次の段階に移行できない。

 

 

具体的な例を考えてみたい。
定年前までバリバリ働いていたサラリーマンは、なかなかアイデンティテイを捨てきれない。
内面は、いつまでもサラリーマンのままでいる。
そうなると、その先進めない。
あるいは、一定の年齢に達し、役職を解かれたサラリーマンは、どのように自分を置いていいかわからないこともあると思う。
どうしたらいいだろうか?
自分で区切りをつけ、方向づけるしかないのだ。
社会的に「通過儀礼」がなくなった今、旅行をするなど、自分で「通過儀礼」を行い「終わり」を完結し、自分の今後を考える、そんなことが必要かもしれない。
しかし、次の段階も、人としての成長段階の道であることは忘れないでもらいたい。

 

 

 

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