結局はやらない人

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会社では、色々な施策が、毎日侃々諤々と打ち合わされている。
「これを試してみよう」「こんなことをやってみよう」「今、会社は、これをやらなければ未来はない」 「これをしなければ、売上はジリ貧になる」………。
こんな打ち合わせが、本社でも、現場でも毎日のように繰り返されている。
私は、サラリーマンの1日の時間配分を多い順で並べると、1番目が文書作成、2番目が打ち合わせ、会議であることを信じて疑わない。

 

さて、こんな打ち合わせの議論の末に決定された施策。これを、みんなで実行しなければならない。
結果を求めて、一斉に実行に走る。
しかし、サラリーマン社会には、「ああだ」「こうだ」と理屈をつけて、「結局はやらない」という人が必ずいる。
まず、「今、自分の置かれている状況ではできない」「他にやるべきことがある」 と言う。
そして、自分はやるつもりがないから、今度は、決定された施策に文句をつける。
「そんな施策、あたるはずないだろ」「みんなの意見は違うんだ」「そんなの現実的でない」………。

 

また、組織自体や、組織の長に文句をつけることも多い。
「あまりにも、課長や部長はうるさすぎる」「今、うちの組織はそんな状態ではないだろ」 「何でそんなに売上に固執するんだ」「もっとのびのびとやらせろ」 「締めつけがきつい」「人間が狭い」「パワハラだ」……。
ありとあらゆる文句をつける。

 

そして散々文句を言った挙句に、結局はやらない。
このような人は、なんだかんだと言うが、「やらない」という癖がついているのである。
確かにこのような人が言うように、施策は当たるかどうかは、わからない。
しかし、それは、「やってみて、実行してみて」わかるものなのである。
ここが重要なのである。やってみて、 そこから得るものが必ずあるのである。
それを、やらないで、「ああだ」「こうだ」と言ったら、すべてわからないまま終わるのである。

 

おそらく、会社、組織というものはそういうものだと思う。
営業の世界でも、「達人」という人がいる。
おそらく、こういう人は、「決めたこと」をやりまくっている人ではないだろうか。
やらなければ、どの世界でも、決して達人にはなれないのである。

 

さて、「やらなかった人」は、一見、逃げ通した人にように思われるが、世の中、そうは問屋が卸さないのである。
とんでもないツケや代償が回ってくる。

 

それは、やがて、「やらなくてはならない」状況が来る時があるからだ。
しかし、その時が来ても、何もやっていないのだから、何かをして解決しなければならない。
そして、安易な道を選ぶのである。売上の架空計上、虚偽文書の作成などの行動に出る。
私は、企業の不祥事の大きな原因の一つは、ここにあるのではないかと考えている。
すなわち、「やらなかったツケ」を、不正手段で実行するということである。
そして、こうした事態を自分で起こしとき、「自分はそうせざるを得なかった」すなわち、「やらされた」と言う。
つまり、自分が「やらなかった」ことは、「やれなかった」と言い、自分が問題を起こしたときは、「やった」ではなく、「やらされた」と言うのである。
あまりにも淋しいではないか。

 

そんなことになるのなら、やればいいのである。 それだけの話である。
また、私に人の人生を、とやかく言う筋合いはないが、すべて「やらない」で通せるほど、世の中は甘くないのだ。
また、すべて「やらない」で通そうとする姿勢は、あまりにも淋しい。

 

サラリーマン生活に限らず、まず、「やる」という動作在りきである。
物事、やってみないと何もわからないのである。
やってみないと、何の進歩も生まれないのである。

 

 

 

 

(参考)「結局はやらない人」は、サラリーマン社会には結構いる。こうした人には、必ず悲劇が待ち受けている。警鐘を鳴らず意味で、『サラリーマンの本質』で取り上げた。詳細は、第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の4.「主体を見せない人(」P136~)に記載しているので参照いただきたい。

 

 


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