満員電車の中で自分の砦を築く人

満員電車の中での第3弾。
電車に乗り込むとき、思わず「あっ」と、息を呑み込むことがある。
乗り込んだ反対側の電車の扉を背にして、こちらを向いて新聞を読んでいる人がいるのだ。
そして、そこには、きれいに、その人を中心として、半径30センチの弧が形成されている。
多分、この半径30センチは新聞を読むに必要なスペースなのだろう。
実に見事に、そのスペースだけ、人は入り込めないのである。
これを、混みあった電車の中で実行しているのだから、「凄い」としか言いようがない。

 

そのスペースを見て、私は思った。
それは、まるで、その人の砦のように見えるのだ。
確かに、人が入り込めないスペースを作り上げているのだから、それはまさしくその人の砦なのだろう。
もし、この人が、尖閣諸島に住んでいたならば、今みたいな問題は決して起こらないのだろう。
なぜなら、この人は、満員電車の中でも、見事に自分の領分を決めているのだから。

 

前に書いた「満員電車の中のモアイ像」は、何を考えているかわからない人である。そして「満員電車の中で肘テツを食らわす人」は、自分をどこまでも曲げない人である。
では、この「満員電車の中で自分の砦を築く人」はどんな人なのだろうか。
まず、誰が考えても、自分勝手な人である。自分だけよければいいと思う人である。しかも、それを公然と実行するのだからすごいとしか言いようのない人である。
そして、もう一つ。こんなことも思うのである。
サラリーマンは、誰しも、「今の仕事は、自分にしかできないだろう」
という自負というものを持っているのではないかと思う。
これが、その人のサラリーマン生活の「拠り所」の一つとなっているのだろう。
しかし、この「満員電車の中で自分の砦を築く人」を見ていると、それも考えものだなと思うのである。

 

確かに、「これは、オレの仕事だ。オレにしかできない仕事なんだ」という人はいる。
こういう人の仕事の領域には人は立ち入ることはできない。
立ち入ることができないから、誰も実のところが分からないブラックボックスとなる。
そして、そんな領域に限って、サラリーマン社会ではよく問題が起きるのである。
自分の仕事に自負を持つことは非常に大事だが、サラリーマンの仕事というものは、決してある特定の人だけができる仕事というものはめったにない。
もし、あるとすれば、その人だけの仕事の「やり方」なのである。
ここは、混同しない方がいいと思うのである。

 

 

電車を待つ

 

 

 

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満員電車の中で肘テツを食らわす人

満員電車の中での第2弾。
こんな人もいる。
吊り革を絶対に離さない人たち。
電車の揺れで、体が前後左右に大きく揺れる。
立っている人たちの立ち位置が電車の揺れと共に動いていく。
そして、だんだん立っている位置が吊り革から遠くなっていく。それでも吊り革を離さない。
吊り革を持つ手が、完全に横に一直線になろうとも離さない。

 

こうして吊り革を離さないと、どういうことになるだろうか。
その人の伸びきった手も、前後左右に揺れることになる。
肘の位置は、立っている他の人のちょうど肩の位置だ。女の人なら頭の位置だ。
大きく揺れるたびに、前後左右の人の肩や頭に、肘テツを食らわすということになる。
普通の人だったら、そんなことになる前に、吊り革から手を離しそうなものだが、この人たちは、絶対に離さない。
まるで、離したら、自分の人生がおしまいとばかりに、決して離さない。
この人にかかったら、他の人や、相手のことなど、まったく関係ない。
「こだわり」は1つ。吊り革を離さないこと。
どうしてそんなに吊り革に固執するのか、謎である。

 

しかし、この人たちを見ていると、この人たちの会社生活も、なにか自然に想像できて思わずニヤッとしてしまう。
よく、サラリーマン社会では、自分で自分のことを、「オレは、頑固だ」と周りの人に宣言する人がいる。
それはその人の生き方だから、他の人がとやかく言う話ではない。
また、この頑固の意味がものごとに固執するという意味なら、それはそれで重要な気がする。
しかし、正しく頑固なら、まったく問題ないが、もし間違って頑固なら、それは悲劇そのものである。
そして、吊り革を離さない人たちが、人の肩や頭に肘テツを食らわすように、周りの人に迷惑となるだけである。
自分が職場の中で、肘テツを食らわす人かどうか考えてみる必要がある。

 

 

 

 

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満員電車の中のモアイ像

私には、どうしてもわからないことがある。
それは、 朝の満員電車の中で、みんなと立つ向きが違う人がいることだ。

 

どちらを向こうが人の勝手だが、人と立つ向きが違うということは、満員電車のぎゅうぎゅう状態の中で、人と対面することになる。
まさに文字通りの対面となる。
人の顔の僅か10センチ前に、その人の顔があるからだ。
10センチと言えば、眼と眼が合うなんてそんな生易しい状態ではない。 それは、人の息を感じ取るといった間隔である。

 

それでも、その人は平然としている。
まるで、イースター島のモアイ像のように、無表情に立っているのである。

 

確かに、乗車降車の関係で、あるいは揺れて体が動いた結果、そういう状態になることはある。
しかし、仮にそうなったとしても、少し体を半身にすれば、ご対面は防げると思うのだが、 なぜ、その人はそうしないのだろう?

 

また、そんな状態になったらなったで、「すいません。こうなっちゃった」と少しでも照れた顔をしてくれれば、まだ救われるが、その人はしない。
ただただ無表情に立っているのである。決して、立つ向きを変えないのである。
そして、そういう人は、なぜか実直そうな中年サラリーマンに多いのである。
この人たちは、なぜ、気まずいという感覚を持たないのだろうか。不思議でたまらない。

 

そんな時、思うのである。
サラリーマンは、絶えず人への気遣いに疲れ、人との関係に悩んでいる。
少しでも会社に、上司に、同僚に、部下に、「よく思われたい」と思って悩んでいる。
上司や同僚が話す言葉の端々に、悩み、傷つく。

 

それなのに、一方では、このようなモアイ像のような人もいるのだ。
何か、毎日毎日、自分が悩んでいることがバカバカしく思えてくる。

 

しかし、意外に、これがサラリーマン社会の「原点」ではないだろうか。
サラリーマン社会には、色々な人がいるということなのだ。
いかに自分が思い悩んで傷ついても、自分とは違った感覚を持った色々な人がいるということなのだ。

 

そうすると、自分は自分、人は人という考えを持つべきではないかと思えてくる。
それならば、自分は自分で、人のことを気にせずに、やるべきことをシッカリやりさえすればいいんじゃないかと思えてくる。

 

そう思えてくると、いつも、「よく思われたい」と思っていた自分を変えなければならないと考えだす。
「よく思われたい」と思わなくてもいいんじゃないかと。

 

こう考えてくると、自分が持っていたモヤモヤ感がなにかすっきりしてくる。
今まで、人を気にしすぎ、毎回、飲み会への誘いに応じていた自分、毎朝、一刻も早くパソコンを立ち上げ、タイムカードに出勤時間を入れる自分。
その自分が変わっていくような気がしてくる。

 

 

(参考)『サラリーマンの本質 』 終章 サラリーマンへのすすめ 2.「よく思われたい」と思わない

モアイ像

 

 

 

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