2020.12.23更新
天保2年(1831年)から寺門静軒(てらかどせいけん)が書いた『江戸繁昌記』のなかで、いまのビジネスにも通じるような驚くべき記述を見つけた。
寺門静軒は、水戸家への仕官がかなわず、私塾を開いていた儒学者だ。
その『江戸繁昌記』4に「好し好し(よしよし)のこと」という記述がある。
ある炒り豆屋(いりまめや)は、日がさをさし、あしだ(高下駄のこと)をはき、ただ「好し好し」と叫んで売っているにすぎないが、買う方も「好し好し」と言って買っているという話だ。
驚くことに、著者はいまから200年前に、この現象をこう述べている。
「いろいろな商売が、時代の好みを追って奇妙な方法を考え出す。物は同じでも、方法がちがうと、勝ちを占める。繁昌というのは、世間の勢いがつくるものである」
もし、この記述がいまのビジネス書に書いてあっても、違和感を覚えないどころか、「やはり、作家はいいことを言うよな」と思うに違いない。
問題は、なぜ、この炒り豆屋が「好し好し」と言ったかということになるが、
著者は、この商人には善悪を「一如(いちにょ)」とする気持ちがあったのではないかと推測している。
(「一如」とは仏語であり、真如が異なる現れ方をしながら一つのものであることをいう)
難しいことは、ここまでにして、「よしよし」と言うと、なにか、ものごとが上手く進んでいるような気持ちになってくる。
現に、私たちは、ものごとが上手く進んだときは「よし」という声をあげている。
また、ものごとが上手く進んでいるのか、そうでないかは、本当のところ、よくわからない。
「上手く進んでいない」と思ったときも、あとで考えると「あのときは、それでよかった」と思えることも多い。
それならば、すべて上手く進んでいると考えた方がいいのではないかと思えてくる。
炒り豆屋ではないが、「好し好し」と言って進んだ方が賢い生き方のような気がする。
それに、「よしよし」と言っていると、リズムのようなものが生まれ、前に進む気持ちにもなってくる。
著者は「繁昌というのは、世間の勢いがつくるものである」と言っているが、「よしよし」と言えば、自分に勢いがつくことは間違いない。
ものごとは、かならず、どちらかに転ぶ。
私たちは転び方を嘆く。
しかし、どちらに転んだ方がよかったのかは、本当のところわからない。
それならば、どちらに転んでも「よしよし」と考えることは、とても大事だと考える。
綾小路亜也
江戸繁昌記 (1980年) (教育社新書―原本現代訳〈52,53〉)
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