現場は現場の人にしか本当のことを話さない

最近、Aハンバーグショップの売り上げ減少の記事がよく新聞の紙面に載っている。

 

実は、私は、2014年1月22日に「ケーススタディ『ベーコンレタスバーガー』」という記事を書いている。

 

私はベーコンが大好きで、ベーコンとレタスのサクサク感がまじりあう味を楽しもうと、Aハンバーグショップで『ベーコンレタスバーガー」を買った。ところが、家に持ち帰ってみると、ベーコンが入っていなかったのである。

 

そして、さらに驚いたのは、facebookで「私も同じことがありました」という投稿をいただいたことである。私だけでなかったのである。
それから暫く経ち、同社の素材の安全性についてのニュースが流れた……。

 
簡単に言うと、一連の記事、そして私の体験と照合すると、業務品質が著しく落ちているということになる。
しかし、この会社は、すぐに業務品質改善に乗り出し、万全を期したに違いないのである………。

 

ただし、業務品質というものはなかなか曲者なのである。
それは、現場でしかわからないものだからである。

 

どの会社も、業務品質に問題が生じたときは、現場の状況をヒアリングし、現場からも報告を求める。
そして、問題の原因を正しくつかんだものと思い込む。
また、本社は本社で、会議を重ね、対策を協議し、レポートにまとめ、社長をはじめとする役員に報告する。
これで、「問題はわかった!」「手を打った!」と思い込むのである。
その後も、本社は現場にヒアリングを続ける。

 

そして、現場は、「最近、こういう意識が変わりました」とか「このように改善しました」とか、「おかげさまで、社員は活き活きと働いています」と答えることが多いのである。
すかさず、本社はそんな現場の改善状況を、役員に報告するのである。

 

しかし、現場では、どういう話がされているだろうか?
「冗談じゃないよ。勝手なことばかり言いやがって」、「報告事項ばかり、多くなって」「これじゃ、本業の方に時間を割けたものじゃない」と仲間内で不平不満たらたらなことが多いのである。

 

しかし、社長などの役員が現場を視察する際には、現場はきれいごとを言い、会社トップ陣は満足しきって本社に戻るのである。
何を言いたいか現場は、意図を見抜いてしまうのである。
報告用ならば、報告用の答案を書こうと思うのである。

 

そして、重要なことは、現場を知らない人には、本当のことを決して言わないことである。

 

話はAハンバーガーショップの例に戻るが、もし、みなさんがこの会社の役員だったら、すぐに業務品質の課題を見抜いてしまうのではないだろうか?
多分、みなさんだったら、現場に「明後日、視察に行くよ。そのあとにヒアリングするからな。社員やパートの人を集めておいてくれ」なんて言わないだろう。
黙って、一人の客になり、行くはずである。
視点は、「この店で、買いたいか、買いたくないか」だけである。 どんな理屈をこねくり回そうが、この店で買いたい気持ちが起こらなければ、人は買わないだけである。

 

そして、みなさんは、店員の忙しさ、店員数、無理に会社から仕込まれたセールストークがないかどうか、また、そもそも商品自体が食欲をそそるものかどうかなどをじっくり見たで、店員の手がすいたときに、「大変だね」と言って声をかけるだろう。
多分、店長には声をかけないのではないだろうか。
また、みなさんの中には、実際に、その店を手伝ってしまう人も多く出てくるのではいだろうか。

 

そして、「これでは、本当に大変だ」と実感するのではないだろうか。
これが、現場視点である。
店の人は、「そうなんです……。もう大変で………」と、本音を話しだすのではないだろうか。

 

忘れてはならないことがある。 それは、現場の人は一生懸命頑張っているということである。
現場の怠慢で品質が落ちることなど、ほとんどないのである。
多くは、会社からの指示をこなせないために、品質が落ちているのである。
要員の問題、労働時間の問題、会社からの施策指示(重点商品の販売・高単価商品の販売・抱き合わせ販売など)、コスト・効率化の指示などで、手いっぱいになってしまったときに業務品質が落ちてしまうのである。

 

 

実は、私には心から尊敬する人がいる。
その人は、拙著『サラリーマンの本質』の中でも触れたが、私が単身赴任していた先の地銀の頭取であった。
その方は、時間がある限り県内の支店に顔をだし、しかも支店長と話すのではなく、パートの女性たちと談笑していたのである。

 

しかし、世の中、この頭取のような方ばかりではない。
日本のビジネス社会では、よく「現場第一主義」「現場が大事」という言葉が使われる。
そして、「私は、現場の人から生の声を聴いた」という経営陣は多い。

 

しかし、本当に現場を知っている人はそんな言葉は使わない。
だいいち、「現場」という言葉を使うこと自体が、自分自身が「現場の人」と距離があることを示しているのではないだろうか?
自分の気持ちが現場にあるならば、まさに自分が当事者なので、そんな言葉を使うわけがないのである。

 

そして、そんな人には、現場は正直に話すことはないのである。 言ってもムダだからである。
心の中で、「どうせ、わからない」と思っているからである。そして、合わすだけである。

 

現場は現場の人にしか本当のことを話さないのである。
ここに業務品質のキーが隠れているのである。
(機会がありましたら、拙著『サラリーマンの本質』の中の「上手くいっているより、上手くいっていないが大切」をお読みください)

 

 

 

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面従腹背

サラリーマン社会や、組織で面従腹背という言葉が使われることがある。
その言葉は、多くは、組織の上に立つ人が、下の人を指して使う場合が多い。
このように、面従腹背というと、いかにも面従腹背する側に話の焦点がいってしまい、「あいつは、心の中では何を考えているのやら」と下の人の腹黒さ的意味合いを持ってしまうが、本当は、上の人に問題があるのではないのかというのが、ここでの問題提起である。
すなわち、面従腹背される側に原因がある場合が多い。

 

結論から言うと、組織の上に立つ人が、自分の価値観を下の人に一方的に押しつけているとき、自分が描くビジョンこそ唯一無二だと思っているとき、言葉には出さないが、下の人を見下している時に面従腹背は起きる。
つまり、下の人は、組織の長を心では承認していないのだ。
そして、もう一つ考えてもらいたいことがある。
それは、面従腹背する側はつらいということだ。サラリーマンなり、組織に属している人は、自分の生計を立てるために上司に従わなければならない。
そんな上司の価値観に付き合わざるを得ないし、それこそ上司が心の底で自分を見下していることに気づきながら仕事をしなければならないからだ。

 

しかし、残念なことに組織の長は、この部下の気持ちにまったく気づいていないことが多い。
それに対し、組織の長は言う。「オレは違う。部下の話をよく聞いてやっている。またほめるということも大事にしている。組織の方針や施策も、みんなで話し合いながら決めている。それに、飲み二ケーションもよく実施している」

 

実は、このことについて、今話題の『嫌われる勇気』そして『U理論入門』に関係する記述がある。
紹介しておきたい。

 

『嫌われる勇気』から P195~

哲人 ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。
………われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。

それでは、なぜ人は介入してしまうのか?その背後にあるのも、じつは縦の関係なのです。関係を縦でとらえ、相手を自分より低くみているからこそ、介入してしまう。介入によって、相手を望ましい方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいる。

 

『U理論入門』から P329~

ジョン・M・ゴットマン博士が提唱する関係を悪化させる「関係の四毒素」は、①非難、②侮辱・見下し、③自己弁護・防御、④逃避です。
……関係の四毒素が難しいところは、明確な言動として表されなかったとしても、その心的態度になっているだけで関係性に影響をあたえることです。明確な非難の言葉を口にしなくても、会って数時間も経たないうちに誰が誰を見下しているのか、察知できる人もいるかもしれません。

 

P230~の「ビジョンは明らかになるのであって、つくられるものではない」も参考になります。

ここ数年、ビジョンという言葉が多用されるようになったが、本来の意味が置き去りにされている場合が多い。ビジョンは崇高な理想でもなければ、鼓舞するための言葉でもない。実用的な手段なのである。ビジョンの最も単純な定義は、自分たちが生み出したいもののイメージである。

 

また、著者自身の話も記載されています。
ダウンローディングが起こっている時の特徴は、その人の「枠組み」を否定しないように、周囲はその「枠組み」に合わせてあたりさわりのない態度をとる、いわゆる「イエスマン」と化すということです。

 

(ここからが著者の実際の体験)
その飲み会はまさに「ダウンローディングの祭典」といった様相を呈しており、うなずいてくれる若い連中に気を良くしたのか、その事業部長はますます高らかに自分の主張を繰り返していましたが、傍から見ていると憐れとしか言いようのない状態になっていました。そして私自身も、「そんな熱弁をふるったところで、何にも始まらないのに……」と感じており、ソーシャル・フィールドは痩せるばかりでした。

*ダウンローディングは、「過去の経験によって培われた枠組みを再現する」という意味。詳細は、『U理論入門』をお読みください。
また、『嫌われる勇気』、『U理論入門』とも、このHPで紹介していますので、書評を参考にしてください。

 

 

ここまでお読みいただければ、面従腹背の意味、そしてその真の原因がおわかりになったと思います。
ところが、組織の長や上司は、このことにまったく気づいていないのです。
よくこう言う人は、公務を離れた席で、次のように言います。
「まったく、うちの○○とそっくりのことを言うな」「まったく、うちの△△とそっくりだ」
こんな人が、いくら組織で、傾聴や話し合い、懇親会をしていても、下の人は、心底を読み取って合わせているだけです。
また、こんな人の特徴は、すぐ、「君の意見はねえ………」「君はね………」と、君、君、君と使います。
君という本来の意味をここで論じるつもりはまったくありませんが、一般感覚としては、君という表現は、目下の人に言う言葉ではないでしょうか。

 

さらに言うと、こういう人は、絶対に自分の主張を心の底では曲げません。
「誰がなんと言っても、組織は変わった。××課の○○さんのこの間の発言を聞いたか? 彼女は積極的になった。ドンドン組織は変わってきている」と言います。
そして、先に述べた『嫌われる勇気』や『U理論入門』の記載箇所を示されても、きっと、こういうでしょう。
「くだらない。そんな類いの本をオレは読まない主義だ。もっともっと高尚な本を読みなさいよ。参考になる古今東西の先人たちの本は山ほどあるだろう」と言い、自分が読んだ本の紹介を始めます。

 

面従腹背という現象の真の原因は、組織の長や上司、すなわち目上側にあると考えます。

 

 

 

 

(参考)実は、『サラリーマンの本質』で、この問題を取り上げています。第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の3.「見下しているつもりが見下されている上司」で取り上げました。
『U理論入門』の中土井氏の体験と同じように、ある部長の部下との懇親会の席での行動と心理を取り上げました。
この部長は、自分の価値観を示したくてしようがないとともに、部下を心で見下しています。
しかし、本当に見下されているのは、自分自身でいることに気づきません。
ぜひ、参考にしてください。

 

 

 

 

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飲みにケーションだけでは関係を築けない

来る日も来る日も部下を「飲みにケーション」の場に誘う組織の長がいる。
その組織の長は、毎晩夜遅くご機嫌で帰宅する。
今日も部下と腹を割って話し、コミュニケーションが取れたと思うからだ。
一方、部下の方は、「なんで、またこういうことになるんだ」とモヤモヤ感を覚える。
実際、私は、こうした上司を持つかっての部下から相談を受けたことがある。
「毎日、毎日、たまりません」と。
こうしたことは、本当に嫌な現象だと思っていたが、最近私はハッとした表現に出会った。
それは、『嫌われる勇気』の中で、「横の関係」という言葉を目にしたからだ。
この問題を共に考えていきたい。

 

私は、サラリーマン社会の重要な部分を占めるものに、組織の長や上司の存在を挙げている。
『サラリーマンの本質』の中でも、組織や部下の仕事の進め方に口を出す上司、度々部下との懇親会を開催し満足する上司を記載している。
その多くは、自己満足しているにすぎない。
もっと言うと、勘違いしているに過ぎない。

 

その典型が、今回のテーマである毎晩のように部下を「飲みにケーション」の場に誘う組織の長や上司だ。
夕刻、会議や打ち合わせが長引く。そして、ある組織の長や上司はお決まりのように切り出すのである。
「いいところに入ってきたぞ。ちょっと場所を変えて続きを話さないか」と。
こうした上司の特徴は、「いいところに入ってきたぞ」「いい話になってきたぞ」と口癖のように言う。
実際は、自分にとって、いいところに入り、いい話になってきただけに過ぎない。
ここから部下にとっては、辛い辛い「飲みにケーション」の場に移るのである。

 

しかし、一方で、本当に楽しい「飲みにケーション」の場もあるから、サラリーマン社会は複雑である。
「飲みにケーションの場」に上司がいても、全然気にならない上司というものもいる。
気にならないどころか、一緒にわいわい言い合える上司というものも確かにいるのだ。
そんなときは、モヤモヤ感など起こるはずもなく、帰りの電車の中でその時に出た言葉を思い出し、ニヤリとしてみたり、家に帰っても疲れなど残らず、むしろスッキリしている。

 

一体、何が違うのであろうか。
その時にハッとしたのが、『嫌われる勇気』の「横の関係」である。
本来の本の意味からは外れるのかもしれないが、この「横の関係」という言葉は、ピンとくるのである。
毎晩、毎晩、苦痛に苛まれる上司との「飲みにケーション」は、「縦の関係」であり、心から楽しめる「飲みにケーション」は、「横の関係」ではないのかと。

 

「人の話をよく聞きなさい」という人がいる。また会社でも部下の話を傾聴することが重要という。
そして、部下の話を傾聴できる上司は高く評価される。
それは、それで正しいと思うのだが、問題は姿勢である。
聞く側が、「話を聞いてやっている」「聞いてやる姿勢をとっている」と思っていたら、なんの意味もないのである。
これが転じて、「みんなの意見を聞く場を設けている」「フランクに意見を汲み上げる場を設けている」「コミュニケーションの場を開いている」
すなわち「飲みにケーション」の場を開いているとしたら、それは奢りである。
その発想は、自分を中心にして、「聞いてやっている」「場を開いてやっている」という姿勢を示している。
どんなに綺麗に表現しようが、「縦の関係」を「飲みにケーション」の場に持ち込んで、自分が満足しているだけである。
きっと、部下が苦痛と感じる「飲みにケーション」は、こんな組織の長や上司が持ちかける場ではないだろうか。
そして、本当に楽しめる「飲みにケーション」の場は、上司と部下という関係を超えた「横の関係」があるのではないだろうか。

 

『サラリーマンの本質』の中の「見下しているつもりが見下されている上司」は、人の話を傾聴するふりをしながら、自分の意見を切り出す瞬間を待つ。そして、自分の意見がどんなに優れたものかを暗に示す。しかし、部下は、こんな上司の正体をすでに見破っているのである。
ここには、もちろん、いかに場の雰囲気が傾聴という形をとっていても、「縦の関係」がそのまま残っているのである。

 

こんなことを考えていくと、こんな「縦の関係」の組織の長や上司が企画する「飲みにケーション」や会議、打ち合わせは、いかにそこで発言が出ようとも、最初から、結論が決まっているのではないだろうか。
なぜなら、こんな組織の長や上司は、「話を聞いてやっている」「話を聞いてやる場を作ってやっている」と思っているのだから。
そして、一歩組織の外に出ると、「まるでウチの○○のようなことを言う」「ウチの△△とそっくりだ」と言うのである。
本当に聞くに耐えないし、のっけから、人を同列に考えていない証拠でもある。

 

話は飛躍するかもしれないが、世の中には、原則のようなものがまかり通っている。
この「人の話をよく聞きなさい」「傾聴の姿勢を取りなさい」もそうである。
それはそれで正しいが、それよりももっと重要なことは、自分と同列であるという姿勢で人の話を聞けるかどうかということである。
原則を大義名分のように振りかざして、人を指導する人がいるが、重要なことは、姿勢である。
こんな類の人は、よく「学校を開きたい」と言うが、「教えてやる」という姿勢、そしてその言葉に陶酔していたならば、迷惑するのは生徒である。
教えるも教えられるも同列である。
教えることは、教えられることであり、教えるられることは教えることでもあるからだ。

 

『サラリーマンの本質』の執筆の大きな目的の一つに、世に言われている原則に対する検証がある。原則への警鐘がある。
この原則が心の隅にあるばかりに、悩むサラリーマンも多いと考えた。
仕事の進め方についての原則の検証、サラリーマンの考え方についての検証等を実施した。
ぜひ、参考にしていただき、頭をスッキリさせて、頑張ってもらいたい。

 

 

 

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不祥事の二つのパターン

池井戸潤氏の「七つの会議」を読んでから、企業で起きる不祥事について色々考えてみた。
「七つの会議」では、不祥事に背景があること、そして個々人の生きてきた背景というものにも言及していた。
まさにその通りだと思うが、当初から金銭の費消等、目的や犯意を持ったものを除き、私には、企業で起きる不祥事には2つのパターンがあるような気がしてならない。
しかも、この2つの不祥事のパターンは、まったく正反対の原因、まったく正反対のタイプの人が起こしていることに着目する必要がある。
不思議なことに、このことに言及する人は少ない。

 

1つ目の不祥事のパターンは、行動を起こさなかった人、日頃の努力を怠っている人が、報告の期日や締切りが迫ったことから、安易な手段を実行する場合。たとえば、虚偽の報告や架空の売上計上を立てたりする場合である。
もう1つのパターンは、日頃から熱心に業務に取り組み、なおかつ十分すぎるほど組織の課題、目標を認識している人が、一線を踏み越える場合である。
例えば営業部門で言えば、不適切な募集行為で、目標を完遂してしまう場合だ。
ともに不祥事という括りでは同じだが、また、ともに許されるべきことではないが、 不祥事の原因が異なるのではないかと思う。
ここを、「ともに不祥事だから、分ける必要がどこにあるのか」と言う人がいるかもしれないが、ちょっと違うのではないかと考える。
また、不祥事を議論するとき、不祥事への対応についても、この2つのパターンが、何やらごっちゃになり議論されているような気がしてならない。

 

2つの類型の見極めをしっかり行うことが、再発防止にもつながるし、企業の責任のような気がしてならない。
それには、まず、不祥事を起こした人の日頃の仕事ぶりをよく振り返ってみることが重要だと思う。
前者の人、すなわち、日頃から結局は、物事を実行しない人や日々の努力を怠っている人が、いくら、「自分が起こした不祥事には、そうしなければならない背景があった」と言っても 真の原因は背景ではない。
真の原因は、あくまでも、その人の仕事への姿勢であり、その人が築いてきた今までの生き方の問題である。
そうして身に付いた癖が、不祥事という形で出たのである。

 

一方、後者の場合は扱いが極めて難しいし、重い問題である。
それは、その人が真剣に業務に取り組み、組織の目標や状況を重く考えすぎ、一線を踏み越えてしまったからだ。
こうした人が不祥事を起こすと、さすがに今の日本の企業では、その人が属していた組織の状況、指示というものを徹底的に調べるだろう。
しかし、たいがいの場合は、その人が属していた組織の状況か、せいぜいその上の組織の状況と指示内容にとどまり、さらにその上の組織、会社施策までは、踏み込まないことが多い。
つまり、せいぜい、不祥事を起こした人が所属する組織やそのすぐ上の組織の調査は徹底的にするが、さらにその上の組織、会社からの指示までは遡ることはないだろう。
「七つの会議」は小説だが、しかし、この小説は、真の原因は、もっともっと上にあることを示唆している。

 

それでは、なぜ、日本の企業の監査部門や調査部門の人は、そこまで踏み込まないのだろうか。
それは、彼ら自身もサラリーマンという色彩を強く持っているからだと思う。
それゆえに、自分の組織と同列かそれ以下にある組織には徹底的に踏み込むが、 自分の組織より上部にあたる組織すなわち会社中枢のことには言及しない。
このことが、いつまでも、不祥事が絶えないことの真の原因ではないだろうか。
「七つの会議」が示唆するものは大きい。

 

 

 

 

(参考)『サラリーマンの本質』 第五議題 「サラリーマンの悲劇」の中の2.ラインをはずれた人の生き方 P122~、4.主体を見せない人 P136~、 及び 新百合ケ丘総合研究所HP第五議題を参照願いたい。

 

 


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結局はやらない人

会社では、色々な施策が、毎日侃々諤々と打ち合わされている。
「これを試してみよう」「こんなことをやってみよう」「今、会社は、これをやらなければ未来はない」 「これをしなければ、売上はジリ貧になる」………。
こんな打ち合わせが、本社でも、現場でも毎日のように繰り返されている。
私は、サラリーマンの1日の時間配分を多い順で並べると、1番目が文書作成、2番目が打ち合わせ、会議であることを信じて疑わない。

 

さて、こんな打ち合わせの議論の末に決定された施策。これを、みんなで実行しなければならない。
結果を求めて、一斉に実行に走る。
しかし、サラリーマン社会には、「ああだ」「こうだ」と理屈をつけて、「結局はやらない」という人が必ずいる。
まず、「今、自分の置かれている状況ではできない」「他にやるべきことがある」 と言う。
そして、自分はやるつもりがないから、今度は、決定された施策に文句をつける。
「そんな施策、あたるはずないだろ」「みんなの意見は違うんだ」「そんなの現実的でない」………。

 

また、組織自体や、組織の長に文句をつけることも多い。
「あまりにも、課長や部長はうるさすぎる」「今、うちの組織はそんな状態ではないだろ」 「何でそんなに売上に固執するんだ」「もっとのびのびとやらせろ」 「締めつけがきつい」「人間が狭い」「パワハラだ」……。
ありとあらゆる文句をつける。

 

そして散々文句を言った挙句に、結局はやらない。
このような人は、なんだかんだと言うが、「やらない」という癖がついているのである。
確かにこのような人が言うように、施策は当たるかどうかは、わからない。
しかし、それは、「やってみて、実行してみて」わかるものなのである。
ここが重要なのである。やってみて、 そこから得るものが必ずあるのである。
それを、やらないで、「ああだ」「こうだ」と言ったら、すべてわからないまま終わるのである。

 

おそらく、会社、組織というものはそういうものだと思う。
営業の世界でも、「達人」という人がいる。
おそらく、こういう人は、「決めたこと」をやりまくっている人ではないだろうか。
やらなければ、どの世界でも、決して達人にはなれないのである。

 

さて、「やらなかった人」は、一見、逃げ通した人にように思われるが、世の中、そうは問屋が卸さないのである。
とんでもないツケや代償が回ってくる。

 

それは、やがて、「やらなくてはならない」状況が来る時があるからだ。
しかし、その時が来ても、何もやっていないのだから、何かをして解決しなければならない。
そして、安易な道を選ぶのである。売上の架空計上、虚偽文書の作成などの行動に出る。
私は、企業の不祥事の大きな原因の一つは、ここにあるのではないかと考えている。
すなわち、「やらなかったツケ」を、不正手段で実行するということである。
そして、こうした事態を自分で起こしとき、「自分はそうせざるを得なかった」すなわち、「やらされた」と言う。
つまり、自分が「やらなかった」ことは、「やれなかった」と言い、自分が問題を起こしたときは、「やった」ではなく、「やらされた」と言うのである。
あまりにも淋しいではないか。

 

そんなことになるのなら、やればいいのである。 それだけの話である。
また、私に人の人生を、とやかく言う筋合いはないが、すべて「やらない」で通せるほど、世の中は甘くないのだ。
また、すべて「やらない」で通そうとする姿勢は、あまりにも淋しい。

 

サラリーマン生活に限らず、まず、「やる」という動作在りきである。
物事、やってみないと何もわからないのである。
やってみないと、何の進歩も生まれないのである。

 

 

 

 

(参考)「結局はやらない人」は、サラリーマン社会には結構いる。こうした人には、必ず悲劇が待ち受けている。警鐘を鳴らず意味で、『サラリーマンの本質』で取り上げた。詳細は、第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の4.「主体を見せない人(」P136~)に記載しているので参照いただきたい。

 

 


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部下は組みやすい上司には反抗し、その上には従う

現実に、どの会社にもあるサラリーマン社会のちょっと嫌な話である。
それは、あなたが中間管理職だったら、きっと感じていることでもある。
いままでは、上司の影響を中心にサラリーマン社会をいろいろみてきたが、今度は、部下の行動を中心にしてサラリーマン社会を見てみたい。
部下は、上司に不満を常に持っている。
そしてその不満を、上司に面と向かって噛みつくこともあるし、上司がいないときに、仲間内で漏らすこともある。
日本のサラリーマン社会では、後者の方が多い。
こんなことを言う。
「ウチの課長は、オレたちにノルマばかり与えて締めつけが厳しい」「部長は、数字にうるさすぎる。もっと伸び伸びとやらせて欲しい」「もっと、われわれの仕事を長い目で見てもらいたい」………。

 

考えてみれば、売上目標やノルマを部下に与えているのは、直接的には、課長や部長かもしれないが、その大元は、もっと上の組織、あるいは会社の経営側が決めたことである。
実は、部下は、そのことをよくわかっているのである! しかし、直接の上司に噛みついたり、不満を漏らすのである。
それは、わからないわけではない。
しかし! 問題は、そのことではない。
その会社上層部の人、会社トップの人との意見交換の場では、その不平、不満を吐くことが少ないのである!

 

それは、どういう場合か。
サラリーマン社会では、時々、組織の上部の長、経営トップとの懇親会や意見交換の場、あるいは、表彰式等のパーティの席での談笑という場がある。
あるいは、会社トップや、上部組織の現場視察ということもある。
そんなとき、必ず、トップや上部組織の長は、現場の状況を知りたがり、質問するのである。
その時、普段、不平と不満ばかりの部下たちは、その不平や不満について語らない。
むしろ、「頑張ります」とか、「一生懸命、成果が出るように努力します」と前向きのことを言う。
さすがに「場を心得ている」と言えばそれまでだが、なにか、複雑な思いを覚えるのである。

 

また、部下は、上司が自分たちとは、「ちょっと次元が違うぞ」と思う人、例えば、会社全体の認識として将来有望と思われる人、広く名が知られている人、本社経験が豊富な人、いわゆるエリートと思われている人には、噛みついたり、不平、不満を漏らすことは少ない。

 

そう考えてみると、部下が噛みついたり不平を言う対象は、会社のかなり上の人ではなく、また、自分たちにとって、組みやすい相手ではないことになる。
つまり、部下が噛みつく相手は、自分たちにとって、「組みやすい」上司ということになる。

 

「そんなことあたりまえじゃないか」と言われると、そんな気もするが、何か、とっても淋しい気もするのである。
しかし、問題は、まだ、ここにとどまらない。
職場で問題が起きると、部下たちは、「それは、課長があまりうるさすぎるからやったんだ」とか、「部長が厳しいから、みんな余裕をなくし、こんなことになってしまった」とか、原因を「組みやすい」上司に持っていく。
確かにその側面もあるかもしれないが、その上部組織も会社も、「そうか、そうか」で、問題をここで総括してしまうことにある。
ここが、本当の問題である。
本当は、部下たちも、会社自身も原因の出どころというものはよくわかっているはずなのだ。

 

上記のようなサラリーマン社会があるから、『サラリーマンの本質』では、会社の上に立つ人は、現場に対してあまり、「上手くいっているか」という問いを発しないようにすること、それよりは自分の眼でしっかり現場の状況を見るように警鐘を鳴らしたつもりである。
その背景には、今まで述べてきた、部下の「使い分け」の要因もあるからである。
すなわち、部下側にも原因の一端があるのである。

 

この問題は、日本のどの企業にもある問題と思うが、重要なことは、上の人が「上手くいっているか」を問うこと、そして下の人が、その答えを「使い分けする」こと、 その軽重の度合いが、各企業の体質を決定しているのではないかと思えてならないのである。

日本のサラリーマン社会は複雑である。

 

 

(参考)『サラリーマンの本質 』第三議題「組織への間違った指導」の中の3.「上手くいっているより、上手くいっていないが大切」を参照してもらいたい。

 

 

 

綾小路亜也のビジネス書
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サラリーマンが思う監査部・調査部の「謎」

長年サラリーマンを経験した人は、よく監査や調査部門の人が次のようなことを言うのを聞いたことはないだろうか?
「いったい、今の部長や課長は、何を考えているのだろうか?」 「最近のウチの部長や課長を見ていると、本当にこの会社、大丈夫かと思う時がある」「部下指導もキチンとできていないではないか」 「ルールを守っていないじゃないか」………。

そんな言葉はよく聞くけれど、それでは、こんな言葉を聞いたことがあるだろうか?
「最近のウチの役員、本当に大丈夫だろうか?」「ウチの役員に任せておけばいいのだろうか?」
きっと、みなさんは首を横に振るのではないだろうか。

 

そう、日本の企業の監査部や調査部の人は、中間管理職の業務遂行には全力で目を光らせる。
きっと、中間管理職にとっては、容赦のない手厳しいものとなっているだろう。
しかし、それにもかかわらず、監査や調査の人の役員を始めとする経営側への意見具申など、聞いたことがない。
むしろ、「社長は、こう言っているじゃないか」「この間もある会議で、常務はこう発言をしていた」と、経営側の話を引き合いに出すのである。
もっと、すごい場合になると、「できている組織」と「できていない組織」の比較までして、その原因は、管理職のマネジメントの差にあるような発言もするのである。

 

これでは、監査や調査の人は、経営側の人なのか、それとも文字通り監査、調査の人かわからなくなってくる。
そして、きっと多くのサラリーマンが疑問に思っていることは、中間管理職が率いる組織の監査、調査結果は、寸分漏らさず公表するのに対し、経営側への監査や調査など、実施しているのかそうでないのか、誰もさっぱりわからないことだ。
そんな話、聞いたことがないからだ。
これが多くのサラリーマンが思う監査部・調査部の「謎」である。

 

前に、かなり大手の企業の不祥事が大々的に報じられたことがあったが、実は、その不祥事は、経営トップ層も知っていて容認していたことが判明した。
こんな報道を聞くと、「なるほどな」と思うのである。
こんな大企業に監査部や調査部、あるいはコンプライアンス部がないわけがない。きっと、われわれが考える以上に陣容は大きいし、整っていると思う。
そして、不思議なことに、この人たちは、毎日、毎日、職務として、現場を監査したり、調査したりしているのである。
それにもかかわらず、こんな報道が行われているところを見ると、まさに会社上層部の監査、調査は不十分であったか、実施していなかったか、形だけ実施していたかのうちの一つではないかと思うのである。
そして、日本の企業で起きる不祥事の根深い要因は、ここら辺に存在しているのではないかと考えるのである。

 

その原因は、みなさんも、頭の中で薄々感じ取っていることと思う。
つまり、日本の企業の監査や調査の人の機能は、まさにサラリーマン的機能になっているということである。
すなわち、サラリーマン的機能とは、上には気を使い、下には厳しいということである。
そして、なおかつ不思議なことは、こんなことは、みんな感じていることだが、表立って発言する人は少ないということである。
こんな微妙なバランスの中で、日本の監査や調査部門は存立している。
これでは、よくならないはずだ。
いっそ、その機能を全部、外部に委託してしまったらどうかと考える。そうすれば、会社の上と下という分け隔てがない実効性の高い監査や調査になるのではないかと思うのである。

 

もう少し、日本の企業で働くサラリーマンも、みんなが思ったこと、感じたことを言った方がいいと思う。
また、違うものは違う、上手くいっていないものは、上手くいっていないと言った方がよいと思う。
そして、少なくとも、監査や調査に従事する人が、サラリーマン根性丸出しということは、やめてもらいたいと思うのである。
そう思うのは、私だけであろうか?

 

 

 

(参考)実は、『サラリーマンの本質』の中でも、監査や調査部門の人の「謎」に触れている。詳しくは、同書第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の2.「ラインをはずれた人の生き方」を参照願いたい。

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

主催者はいつも楽しく、出席者はいつもつらい会議

サラリーマン社会の会議というものは不思議なものだ。あるいは、日本の組織で行われる会議は、みんなこうした傾向があるのかもしれない。
それは、主催者が招集する会議というものは、いつも主催者側にとっては楽しく、その開催が、待ち遠しく思われるということである。
「あれを話そう」「こんな指摘をしてやろう」「あのことを引き合いに出そう」と止めどもなく、議事案件が浮かんでくる。
ところが、参加者にとっては、その日が来るのが、何週間も前から憂鬱なものとなる。
「あれを聞かれたらどうしょう」「こんな返答が通るのであろうか」と不安になる。

 

ところがである!いままで、会議を主催していた側が、今度は、会議出席者となることがあるのである。
もっと、上の会議、たとえば、本部会議、全国〇〇長会議というものが、これにあたる。
今まで自分は、会議を招集する側で、いつも、「あれを聞こう」「これを聞こう」と思っていたのが、今度は、「あのことを聞かれたら、どう答えようか」と、不安になり、頭の中で予行練習を繰り返すのである。
そして、さらに、そのまた上の会議があるのである。
本部会議や、全国〇〇会議を仕切っていた側が、今度は、会議出席者に回る会議があるのである。
それは、たとえば、 社長が進行役となる役員会議や取締役会がそうだ。
今度は、役員が、その会議のために準備を重ねることになる。

 

こう考えてみると、日本国中の企業や組織は、会議を開催する側に回ったり、今度は、会議に出席する側に回ったりと、目まぐるしく、会議を中心に回っている。
そして、会議開催を待ち遠しく思ったり、不安に思ったりを繰り返しているのだ。

 

そして、 驚くことに、会議出席の準備のため、つまり、会議で質問されても困らないように、そのために、管下の職員を集め、会議まで開催していることさえあるのだ。このことは、みなさんも、ピンとくるのではないかと思う。
これでは、ダメである。
こんなことをやっている暇があったら、今の業務にまい進すべきである。
そうすれば、会社も組織も、きっとよくなるはずである。

 

考えてみると、会議主催者側は、いつも会議出席者が「質問されたら困る」であろう質問を用意しているから、こういう現象が起きるのかもしれない。
それだから、会議を主催する側はいつも楽しく、出席する側は、いつもつらい会議となるのである。
そういう意味では、「質問されたら困る」会議が、日本国中で開かれているということになる。

 

上記のことから、会議に出席するには、準備がいるのである。
その時間と労力はあまりにも惜しい。
日本の企業、組織は、こういうところから、生産性と効率性を見直した方がいいと思うのである。
会議を、みんなで話し合う場というように、会議自体の定義を変えることが必要なのではと思う。

 

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

人が身に着けるものに他人が口を出すのはおかしいという話

サラリーマンがネクタイを選ぶときの話である。
新年の挨拶回りや、パーティーの前など、自分にとって重要なシーンが来るときに、サラリーマンはネクタイを買いにデパートに行く。
このデパートに行くときには、心はもう多少の奮発を覚悟している。
そう、前提は、奮発を覚悟しているということで考えてもらいたい。
ところが、デパートに行き、いざネクタイを選ぼうとするときに、手は止まる。

 

8,000円台のネクタイはいい。しかし、12,000円のネクタイは、もっといい。そして20,000円台のネクタイは、さらにいい。
思わず、次々にそのネクタイを締めている自分のシーンが浮かぶのである。
しかし、見事に値段別にカテゴリー化していることに気づく。
「うーん」と唸る。私は、高いネクタイを買った場合の他に及ぼす影響、つまり、こづかいが残り少なくなることを考えるのである。
「そんなことを考えずに、手に取ったものを何の迷いもなくレジに持っていくことができたらな」といつも感じる瞬間である。
嫌な言葉でいうと、なにか、サラリーマンのヒエラルキーを感じるような瞬間である。

 

さて、安田 正氏の「一流役員が実践している仕事の哲学」(クロスメディア・パブリッシング社発行)にネクタイの話が載っていた。
(当HPの「本の紹介」参照)
その話の中で、「一流役員のネクタイは、長い特徴がある」そうである。
それは、みなさんもお気づきのように舶来のブランド物は、確かに長いのだ。
私はこの本を読んで、「嫌な部分に気がついたな」と思った。
しかし、負け惜しみではないが、次のことも思った。
「この本で言う一流役員が、ネクタイを、もし値段ヤプランドで決めていたとしたなら、 たいした人ではないな。いい物をやはり欲しくて、その結果が舶来ものだったら、悔しいけれど、仕方がないが」と。

 

余談だが、私は、人に自分のネクタイのことを褒められたことが、数は少ないが何度かある。
その中で、よく顔を合わす得意先の社長から、「いままで締めていたネクタイの中で、今日のが一番いいですね」と言われたことがある。
しかし、そのネクタイは、恥ずかしい話だが、私が当時赴任していたある地方都市の駅構内で机の上に載せられていたセール品だった。
もちろん、安売りの中で、目に止まったから買ったのだが、それは、1000円均一のネクタイであった。
他人の眼など結構、当てにならないというと感じた瞬間だった。

 

さて、長年サラリーマンをやってきた私の感覚では、ネクタイと言わず、やはりいいものはいい。
もっと言うと、値段だけのことは確かにある。それは、品質という意味である。実際、縫製もしっかりしているので長持ちする。
しかしである。一方、この値段というものは、あるいはブランドというものは、自分自身に向いているような気がしてしようがないのである。
たとえば、先に述べた私が選んだセール品のネクタイは、自分では気に入っているが、パーティーの席には締めていかないだろう。
パーティーの席では、人に気づかれなかったとしても、「おれの今日のネクタイ〇〇ブランドだぞ」とか、「このネクタイ、結構高かったぞ」と自分に向かって言っているのである。

 

すなわち、何を言いたいかというと、人は、本当にいいものには気づくかもしれないが、自分が感じている以上に、その値段やブランドはよくわからない。それでも、ここぞというときに、まさに、いいネクタイを締めようと思うのは、大半が自分向けの納得、言い聞かせではないかと思うのである。
それで、自分が納得するならば、高い値段を出してもいいんじゃないかと思うのである。
しかし、「ブランドだからいい」という考えは、やはり、違っているのではないかと思うのである。
先の一流役員の話ではないが、自分の立場、自分が会う人、自分の顧客等を考えて、自分が納得していいネクタイあるいは高いネクタイを選んでいるとしたら、それは、人がとやかく言う話ではない。

 

そう考えてくると、人が身に着けるものに、とやかく言う方がおかしいのではと思うのである。
自分が身に着けるものは、なんだかんだと言っても、自分が色々なシチュエーションや状況を考えて、納得して選んでいる。
それを、他人がとやかく言う話ではないのである。軸は自分なのである。

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

自分の満足は人の不満足、人の満足は自分の不満足

サラリーマン社会の淋しい現象、感情というものがある。
それは、「自分の満足は他人の不満足」という現象、感情であり、逆に、「他人の満足は自分の不満足」という現象、感情である。
サラリーマン社会では、誰もが感じていることだが、決して口に出されることはない。

 

たとえば、自分が栄転した場合、同期からお祝いの電話やメールをもらう。
しかし、自分が大きな失敗をしたとか、予期せぬ異動となった場合は、きっと、もっともっと電話をもらうはずだ。
これがサラリーマン社会である。
「一体、どうした?」「大丈夫か」「頑張れよ」という同情の中にも、もっと事態を読み取りたい思惑も感じられる。
そして、このことは、仕事の話に限ったことではない。
家の新築の場合だったり、子供の学校の話でもみなこうした現象が起きる。

 

サラリーマンは、同じ企業に勤めていたとしたなら、「一つの枠」の中で働いていると言える。
「一つの枠」の中での活動であるから、よほど会社が急速な発展をしない限り、ポストも一定ということになる。
従って、みんながみんなポストをつかんでいくという社会ではない。
それゆえに、相対的優劣というものが必然的に生じる社会である。厳しい競争社会と言える。
そして、そんな構造の中で、自分の栄転、人の栄転、その逆の場合、ある感情を抱くのである。

 

しかし、サラリーマンは、こんな感情を決して表に出さない。
それだかこそ、なおさらディープな社会なのである。

 

 

 

 

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