『ツバキ文具店』

ツバキ文具店 ツバキ文具店

小川 糸

幻冬舎 2016-04-21

Amazonで詳しく見る by G-Tools

鎌倉は誰もが一度は住んでみたいと思う地。なぜなのだろう? きっと、自分が生まれ、暮らしてきた街とは風情が異なると考えているからではないだろうか。名所古跡も多いが、そこでゆっくりと時を過ごしたい、その空気の中に自分の体を置きたいという思いがある。
そんな人にとって、『ツバキ文具店』は格好の本だ。知らず知らずのうちに鎌倉の住人になって、春夏秋冬を送っている。
『ツバキ文具店』は2017年NHKでテレビドラマ化されている。

 

主人公雨宮鳩子は、20台後半ながら、先代(祖母)を継いで『ツバキ文具店』を経営している。
『ツバキ文具店』は、先代の時代から、人の依頼を受けて代書も行っているのだ。
代書というと、きれいに書くくらいにしか思っていなかったが、『ツバキ文具店』の代書は違う。依頼した人に代わってしまうのだ。当然ながら、依頼ごとに字もまったく異なったものになる。
また、主人公は、依頼をした人のことを考え、筆記用具、ペーパー、インク、貼る切手までこだわるのだ。

 

こんな記述に驚いたのだ。

離婚を報告する手紙

宛名も横書きなので、筆ではなく万年筆で書くことにした。インクは、エルバン社のトラディショナルインクで、三十色もある色の中から、グリヌアージュを選んだ。フランス語で、「灰色の雲」という意味だという。
……水分が抜けて濃厚になったインクは、クレインのコットンペーパーとの相性がよく、結果としては品よく清楚な表情にまとまった。灰色のインクの色で、こちら側の控えめな気持ちを表現したかったのだ。けれど、決して悲しい色ではない。雲の向こうには、きっと青空が広がっている。

 

かつて結婚の約束をした女性に、自分が生きていることを伝える手紙

迷った挙句、桜さんへの手紙はガラスペンでしたためることにした。園田さんのあの、透き通るような優しい気持ちを伝えるのに、ガラスペンがいちばんしっくりくるように感じたからだ。
……選んだのは、ベルギー製のクリームレイドペーパーで、この紙は、ヨーロッパの王室や名家で古くより使われてきた。紙をすいた時のワイヤーの跡であるレイドが、細やかな凹凸となってさざ波のように残されており、白に微妙な陰影を作る。手で触ると手すきのような温もりがあり、優しさや柔らかさを感じる。園田さんの想いを運ぶのに、最適な紙だった。

 

字が汚くて悩む国際線の客室乗務員が義母の還暦祝いに添えるカード

だから、せっかくカレンさんがベルギーで見つけたカードを無駄にしないよう、今回はボールペンで書くことに決めた。ただ、ポールペンといっても、インクの出が不均一な安いポールペンではなく、私が子どもの頃から愛用していたロメオのナンバー3を使う。

 

絶縁状

この依頼で大事なのは、紙である。これは、縁を絶つための手紙。ならば、簡単に破けたりしない丈夫な紙に書く必要がある。匿名さんの決意を伝えるためにも、極端な話、火事になっても燃えないような屈強な紙を選びたかった。
となると、その条件に合うのは羊皮紙だ。
……羊皮紙に書くとなると、インクは虫こぶインクということになる。
……私も、虫こぶインクを使うのは初めてだった。虫こぶインクは万年筆には使えないので、羽根ペンを用意する。羽根ペンは、ガチョウの羽根の先端に切り込みを入れたもので、十八世紀の後半に金属製の付けペンが考案されるまで、およそ千年もの間、筆記具として用いられていた。

 

 

こんなことにこだわることが、この小説の舞台である鎌倉で暮らすということなのかもしれない。

 

 

 

 

2018年7月15日