2022.11.15更新
みなさんは「王禅寺」という名前がピンとくるだろうか。
東京や神奈川に住んでいる人だと、「その名前聞いたことがある」という人が多いかもしれない。
知り合いで新百合ヶ丘に住んでいる人がいたならば、その住所が王禅寺になっていることが多いからだ。
「王禅寺」
だが、新百合ヶ丘という名前自体がピンとこない人もいるかもしれない。
新百合ヶ丘は、新宿から小田急線で小田原方面に向かって、町田の手前にある新興住宅地だ。
さて、その王禅寺だが、かってドラマ「金ツマ」のロケ地の一つとなった。
まさに新興住宅地新百合ヶ丘の代名詞ともなっている名前である。
そして新百合ヶ丘という土地自体が、寺である王禅寺を取り囲んだ形で開拓された。
すなわち、先に王禅寺という寺があったということである。
前置きが長くなったが、連休にその「王禅寺」を訪ねた。
かってこの地が、まったくの未開の地であり、森や林に囲まれたと地というよりは、完全に山寺だったのではないかと思えた。
「王禅寺」山門
この「王禅寺」を有名にしたのは柿だ。
建保2年(1214年)寺院再建のため、用材を探している際に、「禅寺丸柿」を発見された。
「禅寺丸柿」という名称は、全国的に有名だが、その名前が発見の地である「王禅寺」を意味していることは意外と知られていない。
境内には、「禅寺丸柿の原木」がある。
私が境内を散策している際に、王禅寺見物のサークルに出会った。
たぶん地元の人たちの会だと思うが、寺やその地の起源を調べることは大変いいことだと思った。
境内にある石碑にも眼が留まった。
明治時代の出征兵士の壮行の碑だ。
たぶん日露戦争の際だと思う。
武運長久を願ったのだろう。
そこに出征した人の住所が刻まれていたが、なんと、柿生村とか、生田村とあるではないか。
柿生も生田も今は、小田急線の駅である。
「そうか、その当時は、村だったのか」と思うとともに、「王禅寺」は広くこの地一帯の人々の拠り所となっていたことに気づいた。
今は、「王禅寺」は「王禅寺ふるさと公園」に隣接している。
「王禅寺ふるさと公園」は、広大な芝生広場に囲まれた、新百合ヶ丘らしい明るく美しい公園だ。
連休中は、ファミリーでいっぱいだった。
新しい街 新百合ヶ丘、しかしこの地の歴史は古い。
(王禅寺のウイキペディア参照)
「王禅寺ふるさと公園」
新百合ヶ丘の街並みを画像で紹介しています