『浅草の昭和』

写真で歩く浅草の昭和―残像の人情時代

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私は、この写真集の表紙を長い間見つめながら、世の中には、表現ができないものがまだ残っていることを知った。

 

写真集には、「ラオ屋[昭和44年]雷門」とある。

 

私は、たしかにこんな情景を見ていたのである。

 

ラオ屋は、簡単に言えば、キセルの手入れや交換をする人である。
そんなラオ屋はたしかに、こんな場所にいた。
荷車に取り付けられたT型の煙突のようなものに記憶がよみがえる。

 

また、人と待ち合わせている女性も、たしかに、当時そのようなよそ行きの服装をした人が多かった。
そして、ちょこりとそんなところに腰かけていた。

 

私は、この一葉の写真を見て、うまく自分の気持ちを表現できないのである。
それは、懐かしいと思う気持ちに近いが、どこか違う。
ぜったいに帰ってこない日々を空しく思うという気持ちにも近いが、それとも、少し違うような気がするのである。

 

ただ、胸が締め付けられるような感じになる。

 

敢えて言えば、私も、そのとき、そこにいた という感覚である。

 

そのことが、なにか、とても嬉しいような気持にもなるし、とても淋しいような気持にもなる。
だから、うまく表現できないのである。

 

ただ、そんな自分の気持ちをうまく表現できない街-浅草で育ったことを、本当にありがたいと思うのである。

 

 

八王子の自宅から浅草に通い詰めた写真家の思いが出ている。
写真集に登場する人物もそのとき、たしかに浅草にいて、
写真家もそのとき、心まで、浅草にいたのだろう。

 

 

 

 

 

浅草に「浅草のおかあさん」と呼ばれた女性がいました。