どうでもいいことに固執しない

どの世界にも頑固な人がいる。しかし、サラリーマン社会には頑固というよりは傍から見ると、どうでもいいことに固執する人がいる。
多分、その人たちにとっては、どうでもよくないのだろう。
一般の人から見るとどうでもいいことだが、その人たちにとってはどうでもよくないことを、ここでは考えてみよう。
それには二つの意味がある。一つは、変なところに固執する人は、やはりサラリーマン社会では嫌われるからだ。「また、始まった」となるからだ。
二つ目は、このことを考えていく過程で、どれが本筋でどれがどうでもいいことなのか、見極めがつくからだ。

 

サラリーマン社会で、あることに固執する人は、だいたい、その「あること」が決まっている。
その「あること」は、手続き論であることが多い。
たとえば、ある申請事項があるとする。
それを、「お前の部署から上げるのが筋である」と一歩も譲らない。
確かに企業には職務分掌というものがある。しかし、実際には、複数の部署にまたがる業務というものもけっこうあるのである。
そんなとき、この人たちは、「元々、この話の経緯は………で始まったんだから」とか、「○○部が言いだしたことなんだから」と譲らないのである。
「たかが、申請書一枚のことじゃないか。どっちが上げてもいいじゃないか」とあなたは思うかもしれないが、部門間で、あるいは担当者同士で一歩も譲らず膠着状態になるのである。

 

こんな調子だから、社内向け文書、あるいはメール一つでも、誰が出すべきかにこだわる。
経費の負担も、誰が負担するのかにこだわる。
これが、組織でなにか新しいことを始めるとなったら、もっと大変だ。
「これは、本来〇〇部がやることだ」とか「△△さんがやることだ」と言い出し、一歩も引かない。

 

あなたは、このこだわりについて、どう思うか?
あなたは、「まったく、くだらない」と思うのではないだろうか。
そして、次に、「そんなこと、どうでもいいじゃないか」と思うのではないだろうか。
そう、そのように思えるものが、どうでもいいことなのである。

 

これらのこだわりには特徴がある。業務の内容ならまだしも、違う部分にこだわっているのである。
先ほど例に出した申請事項も、こんなところにこだわっていたら、申請の対象となるものが一歩も進まなくなる。
元々、申請は、人を採用するとか、物を買うとか、広告を掲載するとか、なにか必要なことが生じたから起こすものである。
その必要なことへの対処が、何も進まなくなるのである。
そんなにこだわる時間があれば、さっさと申請書を書いてしまえばいいのである。

 

こう考えてみると、だいぶ、どうでもいいことが見えてきたのではないだろうか。
こだわることにより、業務が進捗したり、改善するとか、判断の適否を見直すことができるとか、営業の進展が図れるというのなら、それは、こだわる対象があるから意味がある。
しかし、そうでない場合は、こだわっても何も生まれないのである。こだわるメリットがないのである。
これが、どうでもいいことである。

 

加えて言えば、どうでもいいことにこだわっている時間はあまりにも惜しい。
その時間を、自分のやるべきことにあてれば、かなりの進捗が図れると思うのである。
しかし、サラリーマン社会には、どうでもいいことにこだわる人は、あまりにも多い。
あなたも気づいていると思うが、生産的ではないのである。
現実的な表現を使えば、その間の給料に対する見合いがないのである。
だから、こういう人の社内での評価は、残念ながら低い。
そして、周囲の人は「それよりは、もっと、自分の業務にこだわってもらいたい」と思っているはずである。

 

あなたも、こんなイメージを持たれないために、なにかに反応して、こだわりを持ちそうになったとき、ここで考えてきた「どうでもいいこと」かどうかを冷静にチェックしてもらいたい。
そして、自分の本来の業務など、こだわりを持たなければならないところには、とことん、こだわってもらいたい。

 

 

ポイント
①まず、こだわりの対象について考えてみる。

②こだわっても何も生まれないもの、なんのメリットがないものが、どうでもいいこだわりである。

 

 

 

 

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