『闘え!サラリーマン』とビジネス書

カラオケで『闘え!サラリーマン』(歌 作詞 作曲 ケツメイシ)を聴いた。
そのとき、ハッと気づいたことがある。それは、サラリーマン像についてである。
『闘え!サラリーマン』の歌詞に出てくるサラリーマンとビジネス書に出てくるサラリーマンとは、まるで違うということである。
そして、どちらが現実のサラリーマンに近いかといえば、それは100%『闘え!サラリーマン』に出てくるサラリーマン像だと思うのである。

 

私たちは、ビジネス書を読んでも、心の底に「これは現実の世界に適用する話ではない」といったものを持っているのではないだろうか?
しかし、そんな気持ちを、押し殺しながら読み、現実の世界にあてはめることができる内容はないか、探しているのではないだろうか?
『闘え!サラリーマン』を聴くとそんな気持ちがよくわかるのである。そして、やはり、現実とビジネス書に出てくる世界とは違うと思うのである。

 

それでは、どこが違うのだろうか?
一言で言って、ビジネス書に出てくるサラリーマンは静的なのである。
つまり、スーツをしっかり着こなし、大学の講義やセミナーを聞くような澄ましたサラリーマン像なのである。
ところが、『闘え!サラリーマン』に出てくるサラリーマンは動的なのである。人間性が前面に出ているのである。
『闘え!サラリーマン』の歌詞から抜き取ると、
「疲れ」「二日酔い」「不条理」「嫌な上司」「報連相」「会社の為」「家族の為」「社会の為」「労働」「給料」「終電」「ノルマ」「外回り」……、こんなことが頭にあるのである。
私は、サラリーマン出身者だからわかるが、『闘え!サラリーマン』に出てくるサラリーマン像が本当のサラリーマン像なのである。

 

そして、私は『闘え!サラリーマン』の次の歌詞に注目している。
「ハイハイハイ」「やりまーす!」「やれまーす!」「喜んで」「この世界じゃお決まりのファイナルアンサー」
「言える訳もなく、言い訳もなく、これで良い訳もなく」
「不条理笑って飲み込め」

 

なぜこの部分の歌詞に注目したかといえば、ビジネス書は、いかにも「こんなこと、教えてやります」といったトーンだが、「そんなこと、とっくにわかっています」とこの歌詞は言っているのである。
もしかすると、教えてもらわなければならないのはビジネス書の著者の方かもしれないのである。
そして、わかった上で、会社の為、家族の為、社会の為、頑張っているのである。
そして、私は、こんなサラリーマンは、きっとビジネス書などは読まないと思うのである。

 

そうすると、ビジネス書を読んだり、セミナーを受けているサラリーマンは、いったいどういう人なのかということになる。
私は、そんな人たちは、実はサラリーマンでは少数派だと思うのである。
現に、私が営業の担当者だったときは、ビジネス書など、読もうと思わなかったのである。そんな気力すらなかったのである。
私は、ビジネス書を読んだり、セミナーに参加するサラリーマンは、漆原直行氏が言うように「漠然とした危機感」(『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』 マイナビ新書)を持つサラリーマンであり、もしかすると営業などの現場にいない人が多いのではないかと思うのである。

 

しかし、私は、時代は変わってきていると思うのである。
もう「漠然とした危機感」では済まなくなってきている。格差社会が進行しているのである。
サラリーマンは現実的に生き残りをかけなくてはならない時代が、もう到来してしまっている。
そして、この時代は、『闘え!サラリーマン』に出てくるような現実のサラリーマンこそが、現実的な解をを出さなければならなくなっていると思うのである。
同時にビジネス書も、『闘え!サラリーマン』に出てくるようなサラリーマンに、いかに現実的な解を提供できるかが求められていると思うのである。
今までのように、お澄まし顔で、サラリーマンに教えてあげるというスタイルだと、ビジネス書自体が生き残れなくなってしまうと思うのである。
みなさんは、どう考えるだろうか?

 

 

 

 

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