『浅草のおかあさん』の本の内容

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2018年発売予定のエッセイ『浅草のおかあさん』からの抜粋です

第29話 はにかみ

はにかみ

 

『浅草のおかあさん』第29話 はにかみ  から

 

 

真っ青な秋晴れだ。
人の頭ってこんなに黒いものかと思った。
床屋の「スガタミ」の前、提灯屋の「山崎屋」の前、酒販店の「池田屋」の前も真っ黒で、そんな真っ黒が「松喜」まで続いている。

 

左に目をやると、真っ黒が雷門仲通りまで続いている。私はこの通りを雷門仲通りと呼ぶのを思い出した。
人に説明するには、「ミカワヤ」のあった通り、手打ちラーメンの「馬賊」の通りと言った方がわかりやすい。真っ黒が角の「馬賊」まで続いている。

 

右に目をやれば、真っ黒が並木通りまで続いている。最近、「藪蕎麦」に行っていないことを思い出した。真っ黒が角の大東京火災まで続いている。

 

 

こんな黒頭の光景を見たことがある。三社祭だ。
目が慣れてくると、黒頭には女性も混じっていることに気がついた。黒頭の下の顔はみんなどこかで見た記憶がある。
あることを思いついた。黒頭の下に学校の制服や背広や事務服、前掛けや作業着、料理服をつけることだった。
そんな作業をしてみると、「あのときのあいつだ」「あのときの女性だ」ということが次第にわかってきた。

 

だが、同じ黒頭でも、三社祭とはまったく違う。
誰もしゃべってもいないし、頭も体も寸分も動いていない。
そうか、それだから、頭の黒さが目立ったんだ。
黒頭はただ一点を見つめている。

 

 

「浅草のおかあさん」は、かつての子供たち一人ひとりに、
「まあ、あのときのあなたなの。こんなに立派になって、えらいわ」と語りかけた。
浅草のおかあさんから語りかけられた子供たちは顎を引いた。

 

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

「スガタミ」や提灯の「山崎屋」の前は、人の頭で真っ黒になった。真っ黒は手打ラーメンの「馬賊」、「藪蕎麦」がある並木通りまで続いた。

 

「馬賊」

 

「並木藪蕎麦」

 

並木通り

 

 

 

浅草に「浅草のおかあさん」と呼ばれた女性がいました

 

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2018年4月22日

第28話 「松喜」の肉で締める大晦日

「松喜」の肉で締める大晦日

 

『浅草のおかあさん』第28話 「松喜」の肉で締める大晦日  から

 

 

大晦日の浅草は賑やかで華やかである。昼から「雷門」の大提灯の前は人でごった返し、その黒山は年賀の飾りつけを済ませた仲見世へと続く。
一年の御礼とひと足早い初詣気分を味わいたいのだろう。
だが、「雷門」から、通りの向かいを見ると、長い列が横丁に入り込んでまで続いている店がある。精肉店の「松喜」だ。

 

 

一年を通してみれば、すべてが順調だった、上手くいった、何事もなかったということなど、ありえないということである。
そこには、かならず苦しかったことがあり、泣きたくなることだってあり、投げ出したくなるときだってある。
それが人生となると、なおさらである。かならず浮いたときもあれば沈んだときもある。だけど、どんな場合でも、前を向いて進んでいかなければならない。

 

浅草の店とて同じである。長年、商売を続けていけるなんてことは至難のわざに等しい。
不本意にも店をたたまなければならないときだってある。ただ、そんなときでも、前を向いて歩いていかなければならない。

 

 

だが、浅草の男たちはつくづく幸せ者である。おかあさんたちがいるからだ。
浅草の亭主たちも「おれは、もうだめだ」と思うときばかりだと思う。
そんな亭主の前に、大晦日、おかあさんたちはひと言も言わず、すき焼きなべを置いてくれる。
そこには寒風の中、一時間以上も並んで買った「松喜」の肉が入っている。

 

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

 

 

大晦日、「松喜」に行列ができる

 

 

 

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2018年4月22日

第27話 浅草気質

浅草気質

 

『浅草のおかあさん』第27話 浅草気質  から

 

 

「浅草気質」については、浅草出身の文人久保田万太郎先生が『浅草風土記』の中で、『浅草繁昌記』の記述を引用し語っている。

 

要約すると次のとおりとなる。
「浅草には、政治家や学者、官吏がいない。政治家や学者、官吏は、明治維新になって薩長などから来た人であり、江戸趣味や江戸っ児気質を持ちあわせていない人たちが、浅草にいないのは、むしろ喜ぶべきだ」

 

「えっ、そんなことが内容なの?」と驚くかもしれないが、当時の浅草の人の気持ちがわかるような気がする。
浅草の人は、明治維新を迎え、あれよあれよという間に薩長などから来た人に権力の中枢を押さえられてしまったという感覚が強かったのだと思う。
しかも浅草は江戸時代以前からの街であり、浅草の人たちにはプライドもあったから、なおさらやるせない気持ちだったと思う。

 

こんな状況で、浅草の人は何を重視しなければならなかったか、ということである。
要約した文章の中にキーワードがある。「江戸趣味」や「江戸っ児気質」であり、『浅草繁昌記』の他の箇所には、「たしかに彼らには学問や財産、手腕、官職はすぐれているかもしれないが、肌合といい趣味といい、純然に田舎者ではないか」という記述もあることから、「肌合い」でもある。
浅草の人たちは、江戸時代から続く人の肌合いや生き方としての趣味を重視したのだと思う。

 

 

ここで、政治家や学者、官吏は、どういう人かということも考えてみる必要がある。
この人たちをストレートに言えば、地位を手に入れた人である。自分の望むものを求め、実現した人とも言える。
浅草の人たちは、権力者に皮肉のようなものを持っていたから、ストレートに望むものを手にする人より、自分の心の内にあるものを口に出さず、人のことを思いやる人を好いていったのではないかと思えるのだ。
そんな浅草気質が、自分が好きなものは、相手も好きだと考え、相手に譲ろうという「しぐさ」に、自分が欲しいものがあっても、口に出さない「しぐさ」につながっていったのではないかと思える。

 

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

久保田万太郎生誕の地の碑

 

 

 

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2018年4月22日

第26話 浅草しぐさ

浅草しぐさ

 

『浅草のおかあさん』第26話 浅草しぐさ  から

 

 

浅草の子供たちは、寿司の出前をとってみんなで食べるとき、イカやタコ、鮪の赤身など無難なところから手を出していく。
その結果、いつも寿司桶にはトロやウニが残ってしまう。
おかあさんから「食べな」と言われると、「おかあさんが食べなよ」と言い返す。
縁日でも、金魚すくいで遊び、そのうえハッカパイプなどをおかあさんに買ってもらうと、ヨーヨーが入った水槽が目に留まっても、そんなものは関心がないとばかりに素通りする。

 

 

浅草には、おかあさんにまで、自分の本当の気持ちを伝えられない子供たちがいる。
浅草の子供たちは、食べるときも、一番おいしいものはおかあさんに食べてもらいたいと思うし、おかあさんに物を買ってもらうときも、なるべくおかあさんの負担にならないように考える。
おかあさんたちは、おかあさんたちで、自分の好きなものは自分の口に入れずに、子供たちに食べさせたいと思う。また、いろいろな理屈をひねり出しては、子供たちに物を買ってあげたいと思っている。
だから、浅草中で、「食べな」「おかあさんこそ食べなよ」、「買ってあげようか」「いいよ」といった問答が繰り返されている。
これは、きっと「浅草しぐさ」といったものなのだろう。

 

 

「浅草のおかあさん」は、自分の本心を伝えることができない浅草の子供たちを、たまらなく好きだった。
浅草のおかあさんと浅草の子供たち。―そこには運命的な出逢いようなものがあったと思えてならない。

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

すしや通りにある「寿司清」

 

 

 

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2018年4月22日

第25話 お手伝いさんの気持ちが詰まっている焼きいも

お手伝いさんの気持ちが詰まっている焼きいも

 

『浅草のおかあさん』第25話 お手伝いさんの気持ちが詰まっている焼きいも  から

 

 

二階で試験勉強をしていると、「やーきいも いしやーきいも やきたて」という声が聞こえてきた。
石焼きいもの声は、ふけゆく路地のさびしさを感じさせる。
すると、一階の居間から、おかあさんとお手伝いさんが「買おうか?」と相談している声がもれてくる。
しばらくすると、外にサンダルの音が響いた。
その音を聞きつけてか、前の家からも隣の家からもサンダルの音が聞こえてきた。

 

考えてみれば、おかあさんは、いつもお手伝いさんと相談しながら食料品や物を買っていた。
お手伝いさんたちは、おかあさんたちの参謀役でもあったのだ。
物を買って食べるときだけでなく、食事も一緒だった。
そればかりでない。お手伝いさんとは、喜びも悲しみも、怒りも涙も共有したように思う。

 

よその子供からいじめられると、お手伝いさんは憤った。学校で先生にほめられると、自分のことのように喜んでくれた。悔し涙を浮かべると、お手伝いさんまで唇をかみしめた。
血を分けた人でもないのに、その関係はいったいなんだったのだろうか?
お手伝いさんの楽しみは、なんだったのだろうか。
まさか、私たちと「少年サンデー」や「少年マガジン」を回し読みしたことではなかったはずだ。

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

石焼きいもの声は、ふけゆく路地のさびしさを感じさせる

 

 

 

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2018年4月22日

第24話 浅草の洋食

浅草の洋食

 

『浅草のおかあさん』第24話 浅草の洋食  から

 

 

コートを着る季節になると思い出すことがある。
風邪をひいたとき、おかあさんが出前をとってくれた浅草の洋食屋さんのことである。

 

浅草には、「洋食」あるいは「キッチン」という言葉がものすごく合っている。
「洋食」「キッチン」という言葉は、体裁より中身に重点を置いた言葉だから、浅草にピッタリ合っているのだ。

 

浅草の洋食屋には、「ヨシカミ」や「アリゾナキッチン」のような有名な店でなく、もっぱら地元の人を相手にしている店もある。
その一つに「フナキ」があった。「フナキ」は雷門通りに面した精肉店の「松喜」の角を折れ、浅草通りにぶつかる手前にあった。テレビで有名になった「うなぎ色川」の一軒隔てた場所にあったといえばイメージできると思う。

 

 

「フナキ」の出前に助けられたおかあさんたちは多い。
おかあさんたちは、子供が風邪をひいたり、熱をだしたりすると、「フナキ」に出前を頼んだ。
当時は出前を頼むということは贅沢だったから、おかあさんたちには、「フナキ」に出前を頼むことにより、子供に喜んでもらい、早くよくなってもらいたいという願いがあった。
おかあさんたちの気持ちに応えて、「フナキ」のやさしい奥さんが、カツどん一つでも嫌な顔ひとつ見せずに持ってきてくれた。

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

「フナキ」は、うなぎ「色川」の一軒隔てた所にあった。

 

 

浅草には洋食という看板が合っている。(写真は「ぱいち」)

 

 

 

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2018年1月4日

第23話 浅草の亭主の生きがいは女房

浅草の亭主の生きがいは女房

 

『浅草のおかあさん』第23話 浅草の亭主の生きがいは女房  から

 

 

浅草の亭主たちは、女房がちょっと着替えでもしていると、どこからにおいをかぎつけたのか、「おい、どこに出かけるんだ?」と不機嫌そうに顔をのぞかせる。
女房が、「ちょっと、そこまで」と答えると、今度は、「いつ、帰ってくるんだ?」と聞く。もう、うるさくて仕方がない。

 

ときには、女房から「夕飯はテーブルに乗せておきましたよ。好きなときに食べてくださいね」と言われることがある。
だが、亭主たちは、夕飯どきになっても、おかずの上にかかった新聞紙をはがす気にもなれず、犬のお預けのように、女房が帰るまでじっとテーブルの前に座っている。
女房が傍にいないと、何を食べても味などしないことを知っているからだ。

 

 

同業者の寄り合いで、上野広小路にあるとんかつ「井泉」のかつサンドをおみやげに持たされると、浅草の亭主たちは、かつサンドを手に取った瞬間から、かあちゃんに食べさせたくて小走りに家路を急ぐ。
家に帰って、女房から「あんたも一つ食べなよ」と言われると、「オレは、もう十分食ってきたんだ」と、ここで見栄を張る。

 

 

浅草の亭主たちは、詰まる所、家でかあちゃんと一緒に、テレビの前でミカンをむいていたり、かりんとうやせんべいをかじっているときが一番幸せなのである。かあちゃん相手に大口をたたいているときが一番楽しいのである。それが明日へのエネルギーにつながっているのだ。

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

 

上野広小路にある井泉本店

 

 

 

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2018年1月4日

第22話 「浅草のおかあさん」の喜び

「浅草のおかあさん」の喜び

 

『浅草のおかあさん』第22話 「浅草のおかあさん」の喜び  から

 

 

八百屋さんや、酒屋さんなどの店頭に黙って立っていた少年たちは、やがて、仲間の店員たちとふざけながら立つようになる。
だいぶ威勢のいい言葉も飛び出てくる。
そんな店員たちの前を、「浅草のおかあさん」が「あらあら、みなさんお揃いね」と言って通ると、店員たちはふざけるをやめ頭をかく。
そうすると、みんな浅草に来たときの顔に戻る。

 

 

彼らは、三社祭のときには町内名が書かれた駒札を背にした半纏を着込み、神輿の貴重な担ぎ手となる。
本社神輿が町内に渡御するときには、他の担ぎ手に、「バカヤロー。そんな心持ちじゃ西部町会や東部町会の奴らに負けるぞ!」と気合いを入れるまでになる。

 

 

彼らは店の娘と所帯を持つこともあった。
浅草のおかあさんは、娘が抱く赤ん坊をのぞき込み、「あらあら、おとうさん、おかあさんにそっくりね」と語りかける。
赤ん坊の顔には、少年が地方から出てきたときの顔、娘が小さかったときの顔が浮かんでいる。

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

 

 

 

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2018年1月4日

第21話 「佐藤医院」

「佐藤医院」

 

『浅草のおかあさん』第21話 「佐藤医院」  から

 

 

浅草のおかあさんは、寮で寝泊まりしている従業員の元気がないと、駒形二丁目にあった「佐藤医院」に連れて行った。
浅草のおかあさんは、そうまでしないと診察が先延ばしになることを知っていた。

 

「佐藤医院」は、老先生と看護師を兼ねた奥さまがいるだけの医院だった。
建物は洋館づくりで、六畳ほどの待合室と戸を一枚隔て診察室があるだけだった。
診察室に入ると、ガラス越しに入った日差しが先生の顔半分を照らしていた。先生は、「どうなさいましたか?」と、いつもやさしく尋ねた。
「佐藤医院」はそんな個人医院にすぎなかったが、先生は東大出で名医の誉れが高かった。どんな病気でもピタリと見立てるという評判が立ち、「佐藤医院」に行ったおかげで病気が発見されたケースも多かった。

 

あるとき、浅草のおかあさんは、会社の寮にいるBさんの顔色が目に留まった。Bさんの顔が青白かったからである。

 

「浅草のおかあさん」は、Bさんを「佐藤医院」に連れて行った。
Bさんの診察が終わると、浅草のおかあさんは先生に呼ばれた。温厚な老先生は首を横に振った。Bさんは癌で手遅れだったのだ。
浅草のおかあさんは、「佐藤医院」から紹介状をもらい、総合病院にBさんを連れて行ったが、Bさんにどのように話したのかは誰も知らない。
浅草のおかあさんは激しく自分を責めたが、Bさんの前ではいつもどおりの笑顔で、いつもどおりに話した。
しばらくして、Bさんが浅草のおかあさんの横で息を引き取ったことを聞いた。

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

浅草通りはさんだ駒形二丁目に「佐藤医院」はあった。

 

 

 

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2018年1月4日

第20話 『下町の太陽』

『下町の太陽』

 

『浅草のおかあさん』第20話 『下町の太陽』  から

 

 

倍賞千恵子が歌う『下町の太陽』は流行ったころ、『下町の太陽』を歌いながら現れる人がいた。
「浅草のおかあさん」の会社で働く山根さんだった。
山根さんは古くから浅草のおかあさんの会社にいた女性事務員だったが、同じ会社の若手職員に恋をしたことからこの物語は始まる。
二人の年齢差を考えると、最初はおねえさん的存在だったことは間違いないが、二人の仲は進展した。
山根さんはうれしくて仕方がなく、『下町の太陽』の曲に乗って、そこかしこに現れた。

 

 

ところが、会社に、学校を出たばかりの女性の事務員が入ってきた。誰の目にも初々しいきれいな女性に見えた。山根さんの相手の男性はこの女性にころっといってしまった。女性の方もこの男性を好きになってしまった。

 

 

「浅草のおかあさん」は、毎日、一時間も二時間も居座る山根さんの話を、ただただ黙って聞いた。同じような話を一年も聞いた。
浅草のおかあさんは相手の男性の話も聞いた。この男性の話も黙って一年聞いた。
その結果、山根さんも相手の男性も、話すことなどなくなってしまった。
話し切ったことにより、自分の心の周りを取り囲んでいた本心ではない部分がすっぽりそぎ落とされた。
山根さんの心には、相手の男性のことだけが残った。相手の男性の幸せが残った。
相手の男性も、若い自分を励まし支えてくれた山根さんへの感謝が残った
二人は、二度と話すことはなかったが、自分が本当に思っていることが相手に伝わったのか、この物語は潮が引くように幕が降りた。

 

 

『浅草のおかあさん』目次

「浅草のおかあさんの舞台を訪ねて」(画像集)

 

 

 

浅草中の人が心配した恋愛事件があった。「浅草のおかあさん」は黙って二人の話を聞いた。(写真は田原町交差点)

 

 

 

浅草に「浅草のおかあさん」と呼ばれた女性がいました

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2018年1月4日
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