黙さず語れ

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「黙して語らず」という言葉は、よくよく考えてみると、会社の上司や年配者から聞かされる場合と、自分がある状態にあるとき、本当にそう思う場合と二つあると思う。問題は、前者の場合の受け止め方である。
また、こででは、よく聞かされる言葉が本当にサラリーマン社会では、真実であるかということも併せて考えていきたい。
サラリーマン社会には、実際、この言葉が好きな上司や年配者は必ず存在する。
あなたが、会議や懇親会の場で、少し饒舌になっている時、上司や年配者は言う。「君、黙して語らずだよ」と。
サラリーマン社会の問題は、このような上司や年配者の言葉は、言う方はいとも簡単に言うけれど、受け側がズシッと受け止めることにある。
私は、拙著『サラリーマンの本質』の中でも記述したが、サラリーマン社会では、それほどまでに上司の存在は大きく、上司の態度、発言が、部下の悩みの一つになっていることは間違いのないことだと思っている。
結論から言うと、私は、上司は、軽々しく自分が思っていること、信念を人に話すべきではないと思っている。

 

それでは、上司は、どうしてこの「黙して語らず」という言葉を使うのであろうか。
その理由はシンプルである。上司がこの言葉を好きだからである。
つまり、上司の価値観から見れば、この言葉が好きなだけであり、それが、あなたにあてはまっているか否かとはまったく関係がないということである。
加えて言うならば、会議や懇親会の場で、部下が饒舌になっている時に、「君、黙して語らずだよ」ということ自体が、根本的に間違っている。それでは、何のための会議なのか、何のための懇親会なのだろうか。
そう言うこと自体が、上司にとって、好きな会議のパターン、好きな懇親会のパターンを示しているのではないだろうか。そんなことは言うまでもなく、あってはならないことである。
そして、もっと次元を低くして言えば、あなたが饒舌になっていることで、自分の出番が少なくなっていることを嫌っている場合も実は、多いのである。上司が饒舌になりたいところ、あなたが阻害したという意味合いもあるのである。つまり、自分にとって、自分の出番にとって、都合が悪いという意味も込められていることが多いのである。
ここは、誰がどう言っても、ここでこの言葉を使う上司が間違っている。

 

サラリーマン社会の難しさはここにある。
例えば、会議に遅刻した、居眠りをした、懇親会でハメを外しすぎたという場合ならば、それは、「事実」に対する指導である。
ところが、サラリーマン社会では、上司は包括的な指導権というものを持っているから、このように自分の価値観から基づく指導(?)も実施してしまうのである。
人の上に立つ人は、そこを混同しないように気をつけた方がいい。
さて、こんな上司のことは放っておいて、「黙して語らず」ということが、サラリーマン社会では本当にあたっているのか考えてみたい。
私の意見は、自分が心でそう思うときは、あたっているような気がする。そうすべきではないかと思っている。
みなさんも経験があると思うが、人を傷つけまいとするとき、ある事実を知っているが、ここはその人に話さない方がいいと思うとき。自分は違う意見を持っているが、その人が情熱的に取り組んでいる姿を見たとき、
こんなときは、「黙して語らず」という道を選択する。
この感覚、感性はあたっていると思うのである。

 

しかし、前述したように、「黙して語らず」を人から聞かされた場合は、それはそう言った人の価値観が含まれているから、あたっているというよりは無視した方がいいと思う。
もし、「黙して語らず」がすべてにあてはまるならば、このHPでも紹介した横浜市長である林文子さんを始めとする実社会で活躍されている人は、どうなってしまうのであろうか。
私は、実際に、林文子さんの講演を聞かせていただいた。また、著書『しなやかな仕事術」を拝読させていただいたが、コンセプトは、「黙さず語れ」のような気がする。
本中、林さんは、ありとあらゆる人に、自分から話しかけているのだ。また、『しなやかな仕事術』の中の「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は上司から」という項目の中で、「〝デンと構えて、多くを語らず〟のスマートな上司だけが、 良い上司とは限りません。」と書かれている。

 

また、「黙して語らず」が普遍的ならば、『営業の神様』ジョー・ジラードを始めとする営業の世界での成功者は一体、どうなってしまうのであろうか。
つまり、「黙して語らず」は、ケースバイケースの言葉であって、自分がそう思う場合に使用すればいい言葉だと思うのである。
前述した上司のように、人が人に言う言葉ではないと思われるのである。

 

さて、ここからが肝心だが、サラリーマン社会では、自分がそう思ったときは、「黙して語らず」の姿勢を取ればいいが、一般的には、「黙さず語れ」の方がいいような気がする。
「黙して語らず」とは逆に、私たちは、普段、こんなことも言っているではないか。「あいつ、何も言わないから、よくわからないよ」「あいつ、何を考えているやら」「あいつ、会議や懇親会の場で何も話さないよ」
要は、自分から語らなければ、自分がどういう人間か、わかってもらえないのである。むしろ不気味な存在に映るのである。
そして、よく自分をわかってもらいないまま、異動通知を受け取ることになってしまうのである。

 

確かにサラリーマン社会でも一般社会でも、「余計なことを言ってしまった」「しゃぺりすぎてしまった」「あんなことを言わなければよかった」ということは多々ある。
しかし、それはそれで仕方がないことだと思っている。
要は、自分というものを出し切らずに不本意な結果となるよりも、自分をさらけ出して不本意な結果となった場合の方が、自分にとってあとで納得がいくということである。
人が、後悔するときは、必ず、「ああ、あの時、言っておけばよかった」「もっと、自分の意を話しておくべきだった」というときである。
これは、みなさんも多分痛いほど、経験していることだと思う。
サラリーマン社会は、自分をわかってもらえないことには始まらない。不本意な評価や異動が起きることがないように、自分を知ってもらわなければならない。そのためには、「黙さず語る」ことであると思っている。

 

 

 

(参考)上司や人の上に立つ人は、成功体験や自分の価値観を部下や人に話さないことである。
本項目でも話したが、言う方はいとも簡単に言うけれど、受け取る側は重たく受け止めるのである。人の頭を混乱させたり、悩みの一要因になるということを忘れないでもらいたい。
『サラリーマンの本質』の第三議題「組織への間違った指導」の中の 3.成功体験を話さない及び第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の 3.見下しているつもりが見下されている上司 をぜひ、参考にしてもらいたい。

 

 

 

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