不祥事の二つのパターン

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池井戸潤氏の「七つの会議」を読んでから、企業で起きる不祥事について色々考えてみた。
「七つの会議」では、不祥事に背景があること、そして個々人の生きてきた背景というものにも言及していた。
まさにその通りだと思うが、当初から金銭の費消等、目的や犯意を持ったものを除き、私には、企業で起きる不祥事には2つのパターンがあるような気がしてならない。
しかも、この2つの不祥事のパターンは、まったく正反対の原因、まったく正反対のタイプの人が起こしていることに着目する必要がある。
不思議なことに、このことに言及する人は少ない。

 

1つ目の不祥事のパターンは、行動を起こさなかった人、日頃の努力を怠っている人が、報告の期日や締切りが迫ったことから、安易な手段を実行する場合。たとえば、虚偽の報告や架空の売上計上を立てたりする場合である。
もう1つのパターンは、日頃から熱心に業務に取り組み、なおかつ十分すぎるほど組織の課題、目標を認識している人が、一線を踏み越える場合である。
例えば営業部門で言えば、不適切な募集行為で、目標を完遂してしまう場合だ。
ともに不祥事という括りでは同じだが、また、ともに許されるべきことではないが、 不祥事の原因が異なるのではないかと思う。
ここを、「ともに不祥事だから、分ける必要がどこにあるのか」と言う人がいるかもしれないが、ちょっと違うのではないかと考える。
また、不祥事を議論するとき、不祥事への対応についても、この2つのパターンが、何やらごっちゃになり議論されているような気がしてならない。

 

2つの類型の見極めをしっかり行うことが、再発防止にもつながるし、企業の責任のような気がしてならない。
それには、まず、不祥事を起こした人の日頃の仕事ぶりをよく振り返ってみることが重要だと思う。
前者の人、すなわち、日頃から結局は、物事を実行しない人や日々の努力を怠っている人が、いくら、「自分が起こした不祥事には、そうしなければならない背景があった」と言っても 真の原因は背景ではない。
真の原因は、あくまでも、その人の仕事への姿勢であり、その人が築いてきた今までの生き方の問題である。
そうして身に付いた癖が、不祥事という形で出たのである。

 

一方、後者の場合は扱いが極めて難しいし、重い問題である。
それは、その人が真剣に業務に取り組み、組織の目標や状況を重く考えすぎ、一線を踏み越えてしまったからだ。
こうした人が不祥事を起こすと、さすがに今の日本の企業では、その人が属していた組織の状況、指示というものを徹底的に調べるだろう。
しかし、たいがいの場合は、その人が属していた組織の状況か、せいぜいその上の組織の状況と指示内容にとどまり、さらにその上の組織、会社施策までは、踏み込まないことが多い。
つまり、せいぜい、不祥事を起こした人が所属する組織やそのすぐ上の組織の調査は徹底的にするが、さらにその上の組織、会社からの指示までは遡ることはないだろう。
「七つの会議」は小説だが、しかし、この小説は、真の原因は、もっともっと上にあることを示唆している。

 

それでは、なぜ、日本の企業の監査部門や調査部門の人は、そこまで踏み込まないのだろうか。
それは、彼ら自身もサラリーマンという色彩を強く持っているからだと思う。
それゆえに、自分の組織と同列かそれ以下にある組織には徹底的に踏み込むが、 自分の組織より上部にあたる組織すなわち会社中枢のことには言及しない。
このことが、いつまでも、不祥事が絶えないことの真の原因ではないだろうか。
「七つの会議」が示唆するものは大きい。

 

 

 

 

(参考)『サラリーマンの本質』 第五議題 「サラリーマンの悲劇」の中の2.ラインをはずれた人の生き方 P122~、4.主体を見せない人 P136~を参照願いたい。

 

 


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