目線を共有しないで冷ややかに部下を見る人

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長いサラリーマン生活を経験してみると、ふと、サラリーマンの本当の敵は、どういう人だったんだろうかと思うことがある。
みなさんの中でも、長くサラリーマン生活を経験した人なら、ふとそんなことを思ったことはないだろうか。
そんなことを考えてみたい。

 

それは、人によって異なるのであろう。
しかし、その像は、怒鳴られたた上司ではないような気がするのである。
もちろん、部下を怒鳴ることはよくないことだ。そのことにより傷つき悩む人も多いはずだ。
しかし、ここは、よく考えてみる必要があるのではないだろうか。
そこには、怒鳴る、怒鳴られるというシチュエーションもあったのではないだろうか。
また、さらに考えを進めると、怒鳴るという行為はよくないけれど、怒鳴るということは、どなった人の感情が募った結果ではないだろうか。
もちろん、その行為が、自分の保身や、昇進のため、あるいは内容のないという人は論外だが、そうでない場合、その上司は、自分と同じ土俵、同じ目線ではなかったのだろうか。
同じ戦いの場、同じ境遇から出た言葉ではなかっただろうか。
そんなことを、時間の経過とともに思うのである。

 

むしろ多くはこうした上司に限って、情は深く、いつも、部下の行く道を考えて いたことはなかっただろうか。
よく人事部と部下のことで、顔を真っ赤にして言いあいをする上司ではなかっただろうか。
転勤の際には、熱く送り出してくれる上司ではではなかっただろうか。
そして、不思議なことに、その時は、確かに辛いと思うが、その後に、なぜか自分の心に忘れられない人になっていることはないだろうか。
また、当時同じ職場で働いた先輩、同僚、部下と飲むことがあるが、いつも話題に出るのは、こうした上司ではないだろうか。

 

こう考えてくると。サラリーマンの本当の敵は、どういうタイプの人だったのだろうか。
一つの人物像が浮かび上がってくる。
それは、いつも、「上から目線」で、人を、部下を、 冷ややかに見つめている人である。
こうした人は、いつも冷静に、いつも穏やかに、そして、自分の素養というものを奥に潜ませながら人を見ている。
そして、部下の話や、部下の知り合いの話は決して信じない。 眼下に否定してしまう。
そのくせ、偉い人の話や、著名な人の話はいつも引き合いに出す。
表面は穏やかだが、心の中で、いつも人を見下している。
そして、こういう人は怒鳴ることもしないし、パワハラになることもない。

 

なぜなら、部下と目線を共有していないのだから、同じ土俵に立っていないのだがら怒鳴ったり、争う必要もないからだ。
またそれ以前に、そんなことをすること自体も思いつかないだろう。
そして、この人たちの特徴は、部下や目下の人を「君(きみ)」と呼ぶことが多い。
「君は………こうだ」 「君ねえ………」と諭すように話しかける。
前述した、かっと熱くなる上司の呼び方と対比してみるとよい。
かっと熱くなる上司は、 「田中」とか、「おい、田中」とか、「田中さん」とか、「田中君」と名前をつけてで呼んでいるのではないだろうか。
あるいは、下の名で呼ぶことも多いのではないだろうか。

 

ところが、冷ややかな上司は、 絶えず「君は………」 「君ねえ………」と呼ぶ。
何かこれだけで、非常に冷ややかで、上から目線なのではないだろうか。
少なくとも、目線を共有していないことだけは十分に窺い知れる。
そんな姿勢に、「いったい、あなたは、何様なんだ」と思う人も多いはずだ。
そして、人の行動を冷ややかに見つめ、自分の心の中で部下の評価を確立していく。
部下の異動の際に、冷ややかに異動先のみを宣告する。
部下のことなど、自分の心の中になく、伝達すればよいと考えている。

 

さて、ここで問題を整理して考えみたい。
サラリーマンのメンタル発生の源は、パワハラが一因になっていると言われている。
上司のパワハラにより思い苦しむ。こうした事態は多いだろう。
しかし、世の中が考えているほど、サラリーマン社会は、もっともっと複雑である。
私は、今まで見てきた「目線を共有しないで冷ややかに部下を見る人」もメンタルの大きな原因だと思っている。 表には出ないが、こうした上司に仕え、結構メンタルになっている人は多いのではと考えている。

 

それは、よく考えてみるとわかる。 自分というものが取り上げられることもなく否定されているのである。
相手にされていないのである。
自分の話や、知人、友人の話も信じてくれない。
また、冷ややかに観察されているという心のプレッシャーも大きい。
そんな目線で毎日冷ややかに見られているとしたら、いったい部下はどうなっていくのだろうか。

 

そんな時、部下は、自分が相手にされていない、否定されていることを誰に言えようか。
上司から、直接のパワハラも受けていない。されど、自分が冷ややかに見られている。
そのことを、人に上手く伝えられるであろうか。また、そんなことを、どうして人に話せようか。
こうした状態が続くと、多分、サラリーマンは、自分のメンタル面の障害を他の原因に置き換えて表現するのではないだろうか。
私は、こうした上司が、サラリーマンの本当の敵のような気がしてならない。

 

パワハラ、セクハラは、言うまでもなく個人の尊厳を傷つける行為である。
しかし、日本の企業の場合、職員がメンタルに陥った場合、全部ここに原因を持っていってしまう。
原因の多くががそこにあることも事実であるが、サラリーマン社会は、世の中が考えるほど単純ではないのだ。
サラリーマンは、心の内を隠すということも忘れてはならないのである。

 

さて、こうした「目線を共有しないで冷ややかに部下を見る人」は、日本のサラリーマン社会ではどうなっていくのであろうか。
残念ながら、落ち度もないことから、職場職場の任期を終え、昇進していくのだろう。
また、自分はエリートと思っている。人より素養があると思っている。 そう思っていることから、そういう立ち振る舞いをし、目線を上に持つ。
こうしたことから、一定の地位まで昇進していくのだろう。

 

しかし、世の中は、人生の最後の局面で、この人たちに試練を与える。
そう、役目や役職がつかない人生が待っているのだ。
今までは、役職についいていたからこそ、人を冷ややかに見て自分のプライドを保持していたと言える。
役目や役職がつかなくなった途端、その人の人間性のみが直視される。
逆に言うと、この人たちは、最後の試練の内容がわかっているから、年をとっても役目や役職を離さないで探し回るのだ。
人生の最後の最後に、悲劇は待っているのである。

 

そして、この人たちは、かっての部下から、赤提灯の場で語られることはないのである。

 

 
(参考) この問題を『サラリーマンの本質』第五議題 「サラリーマンの悲劇」の中の3.「見下しているつもりが見下されている上司」に記載している。 サラリーマンのメンタルは、世に言われているほど単純ではない。こうした、いつも部下を、人を見下している上司も表にはでないが、メンタルの大きな原因になっていると考える。

 

 


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