サラリーマンの本質とは

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1.サラリーマンの原点

サラリーマンが、ビジネス書を選ぶときに忘れがちのものがある。
それは、サラリーマンとしての原点である。
ここを忘れると、起業家や別世界の成功体験者、あるいは、サラリーマンではない独立起業人であるスーパーセールスマン、あるいはコンサルタントをビジネスにしている人の本を読み戸惑うことになる。焦りにも似たような気もちになる。

もちろん、これらの本から得るものも大きいとは考える。また、いわゆる有名人の本を読み、心がスッキリすることもあると思う。しかし、企業で働くサラリーマンにとっては、これらの人とは立ち位置がまったく違うということをまずは考える必要がある。

それでは、サラリーマンの原点とはなんだろうか。
それは、サラリーマンは人に仕え、給料をもらっているということだ。
人に仕えるということがサラリーマンの原点である。
このことは、課長になっても部長になってもまったく同じであり、また役員になっても本質的にはまったく変わらない。むしろ、より強く、社長に使えているという感覚を持つのではないだろうか。
つまり、サラリーマンは、社長でない限り、みな等しく人に仕えているのである。
ここを忘れてはならない。
また、企業の規模の大小はあるが、社長になる確率は、自分が起業者となる場合、親から経営を譲り受ける場合、同族企業という場合を除き、極めて少ないということも頭の中に叩き込んでおかなければならない。
そして、その社長への道も、決して能力だけの問題ではないだろう。運にも左右されることも大であろう。
加えて言えば、かくいう社長自身も、長い間サラリーマンとして人に仕えてきた人であることも、見落としがちだが忘れてはならない。その意味では、社長自身もサラリーマンなのである。

つまり、サラリーマンの原点は、人に仕えることにより、その代償として安定的継続的な給料をもらっているということである。
サラリーマンを取り巻く問題は種々様々だが、原点は絶えずここにある。

 

2.サラリーマンの本質的な問題とは

サラリーマンは人に仕えることを原点としている。そして組織の中で人に仕えている。
そう考えると、サラリーマンは、人に仕える=組織の中で人に仕えるということをどう処理、対応するかということが本質的な問題である。
本質的な問題は、2つに集約される。

(1)業務遂行の問題
すなわち、仕事のやり方、進め方の問題である
言うまでもなく組織は企業の中で役割を担っている。その役割を持った組織の中で、自分自身も役割を持つことになる。
この自分自身の役割を果たせないと、思い悩み、苦境に陥る。
また周りからも、自分の存在価値を問われる。もっと悪い言葉を使うと、組織のお荷物となる。

(2)考え方の問題
組織の中で仕事をしているということは、絶えず上司、同僚、部下との関係の中で仕事をしているということになる。
特にサラリーマンの場合は、上司の存在が大きい。
上司の一挙手一挙動に神経を使い、その意味を問い、思い悩む。
また、長いサラリーマン生活の中では、様々な出来事に遭遇する。
失敗、クレーム、事件、転勤、異動、結婚、家の購入、子供の養育、家庭の問題、定年………。

日常業務の中で、また様々な出来事の中で、サラリーマンとしての考え方をしっかりと持っていないと、とてもとても長期戦を戦い抜くことはできない。
ところが、サラリーマンとしての考え方を記述した本というものに、なかなかお目にかかることがない。

 

3.『サラリーマンの本質』についてー そのタイトルが意味するものについて
『サラリーマンの本質』について、多くの声をいただいた。
ここでは敢えて、「あれ?」という声を紹介したい。
実は、この声の中にサラリーマンの本質部分があるので、お付き合いいただきたい。

(1)本のタイトルについての声
「本を読んでいくと、『サラリーマンの本質』は、サラリーマンの処世術を記したhow toものであることに気づく。しかし、あまりにも本のタイトルとの相違がある。 これではわかりにくい。もったいないではないか。それらしい本のタイトルと帯をつければいいじゃないか。そうしたらもっと売れるじゃないか」というご意見である。

もっともなご意見である。
しかし、2.サラリーマンの本質的な問題で取り上げたように、サラリーマンの問題は、(1)業務遂行の問題と(2)考え方の問題とが両輪となっているのである。
決して片方だけの問題ではなく、両輪がうまく機能しないと、とてもサラリーマンという長期戦を戦えないのである。

それゆえ、how toを想像する本のタイトルをつけず、この両輪を示すためにあえて、『サラリーマンの本質』というタイトルをつけた次第である。
なお、当初は、「月曜日の朝、重くならないために」というタイトルを考えていた。
この当初のタイトルも、意味するところは同じである。すなわち、月曜日の朝、重くならないためには、業務遂行上の問題と考え方の整理が必要であると考えていた。

(2)ペンネームについて
「ビジネス書は、自分の名前と自分の業績をドンドン売り込むことが重要ではないのか。『サラリーマンの本質』の各項目を読んでいると、また、本の中の営業の本質などを読んでいると、相当な業績を上げそこに行き着いたはずなのに、なぜ業績を書かないのか。そこをペンネームではあまりにももったいない」という声もいただいた。

ここも、ごもっともなご意見である。

しかし、みなさんによく考えていただきたいことがある。
それは、サラリーマンとしての業績とスーパーセールスマンや起業人の業績とは違うのである。
スーパーセールスマンや起業人は、文字通り自分の体で築き上げた業績である。
仮に、私が、20年間予算達成率1位という業績を書いたとしてとしても、それは、私の業績ではない。私が所属していた組織の業績なのである。

この違いは決定的であると考えている。
また、このことが、世のビジネス書の混同の源だと思っている。
世のビジネス書は、「成功者はこうしている」「スーパーセールスマンはこうしている」と言っても、原理原則で考えれば、その人はサラリーマンではないのだ。そこをサラリーマンに援用しようとするから無理があるのである。混乱が起きるのである。

私が、『サラリーマンの本質』の中で、第六議題として「営業の本質」を記載した理由は、サラリーマンにはサラリーマンの営業方法があると言いたかったのである。


考えてみていただきたい。
サラリーマンは、絶えず企業というバックのもとに営業活動を展開しているのだ。
もっと言うと、仮にひとりの営業マンの業績が不振だったからといって、その企業は倒産することはない。
冒頭述べたように、サラリーマンは、継続的な勤務に対し報酬が支払われているのである。
しかし、スーパーセールスマンの場合だと、あるいは、手数料を収入の母体としている営業職員の場合だと、自分の業績の不振は、即、自分への生活へ跳ね返る。
大きな違いがある。

それでは、サラリーマンの方が楽ではないかというと、そうではないところがまさに問題の根幹である。
営業不振のサラリーマンは、サラリーマンとして真剣に悩むのである。
自分が組織に貢献しているか、そして上司を中心とする他の組織の人の眼にである。
そう、それは、冒頭に説明したサラリーマンの代償である。
人に仕えなければいけないというサラリーマンの原点、組織の中で働かなければならないというサラリーマンの原点にまた戻っていくのである。

そう考えていくと、やはりサラリーマンの問題は、サラリーマンの原点の問題=サラリーマンの本質の問題ということになる。
それゆえ、私は、『サラリーマンの本質』というタイトルをつけたのである。

ぜひ、『サラリーマンの本質』購入にあたっては、Amazonの「なか見検索」とレビュアーの意見と批評、また多数公表されている書評をご参考にしていただきたいと思います。

 

 

 

 

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