『サムエルソン『経済学』の時代』

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サムエルソン『経済学』の時代 (中公選書) サムエルソン『経済学』の時代 (中公選書)
根井 雅弘

中央公論新社 2012-01-06

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学生時代に経済学を学んだ人なら、サムエルソンという名前、あるいはサムエルソンの『経済学』という本の題名に「なつかしい!」と叫ぶ人がいるだろう。
私は、残念ながら経済学の知識をまったく持っていない。しかし、それではいけないと思い、経済学の本を何度か手にしたことはあったが、いつもその難解さに途中で放り出していた。そんな私ではあるが、学生時代にこのサムエルソンの『経済学』を手に取ったことがある。
以来、私の頭の隅には、サムエルソンという名前が残っていた。
そんな時に、日本橋の大手書店で目にしたのが、この『サムエルソン『経済学』の時代』であった。
サムエルソンの『経済学』は、非常に恥ずかしい話だが、いったいどいうものかわからなかったが、それを解説した本なら少しはわかるだろうと思ったことが購入の動機である。

 

この本を読んでわかったことだが、この有名な『経済学』は、第1版(1948年)から3ー5年ほどの間隔で改訂され、サムエルソン単独著書としては第11版まで発刊されている。第12版(1985年)からは、ウィリアム・D・ノードハウスとの共著になっており、Amazonを見ればわかるが、もちろん、今も売られている。
そして、注目すべきは、サムエルソンは、2009年12月に94歳で他界されていることから、この本はその翌々年に発刊されているということになる。そんなことから、私は、この本は、著者がこの大学者が歩んだ道、姿に深く頷き追悼の意を込めたのではないかと思うのである。

 

さて、サムエルソンにの業績を私の口から語るのはあまりにも僭越すぎるが、敢えてこの本を要約して語るならば、
サムエルソンは、「新古典派総合」を提唱したことで知られており、1970年にノーベル経済学賞を受賞している。
「新古典派総合」は、「新古典派(ミクロ)」と「ケインズ(マクロ)」を併せ持つことが必要という主張である。
ここは、本の力を借りたい。
「経済学者で『市場メカニズム』の役割を否定する者はいないだろう。だが、同時に、『市場メカニズム』の限界をわきまえることも重要であり、『新古典派総合』を提唱したサムエルソンは、誰よりも市場の効率性と市場の限界のあいだの微妙な境目を探る努力を惜しまなかった。彼は現代資本主義を『混合経済』(生産手段の私有が認められてはいても、政府が必要な分野で経済管理を担っているような経済体制)と呼んだが、それは、『市場』か『計画』かという両極端の方へぶれることを警戒した彼のバランス感覚とも調和していた」(P142)

 

しかし、「新古典派総合」は、その後、衰退していくことになる。
この本の「はじめに」でこう書いている。
「サムエルソンの名声が頂点に達したのは、ケネディ政権が誕生した1960年代前半、彼が『新古典派総合』(新古典派とケインズ経済学の、いわば『平和共存』)を提唱して学会の主流を押さえていた頃」であり、「『新古典派総合』は、その後、マネタリズムや『新しい古典派』などの挑戦を受けるようになり、1970年代中頃から瓦解し始めたといえるかもしれない」(P10-11)

 

ここで、ハタと気がつくことがある。
それは、この本の題名である。この本の題名は、サムエルソンの『経済学』の時代と言っているのである。
すなわち、サムエルソン単独で書かれた『経済学』は、1948年~1985年であるから、まさに、サムエルソンが経済学者としてスタートを切り、名声が頂点に達し、そして、「新古典派総合」が衰退していく間のことを言っているのである。
まさに、これが本の中身になっている。

 

そして、こんな本の題名をつけた著者は何をこの本の中で語りたかったのだろうか?
サムエルソンの主張と他の説との比較だろうか? いや、そんなものではないはずだ。
それは、巻末の次の言葉に凝縮しているような気がしてならない。
「サムエルソンはあくまでもサムエルソンであって、『新古典派総合』以外の何者でもないが、現代の経済学教科書を書いている著名な経済学者たちよりも、『異なる経済学』に真摯に向き合っていたように思われる。このようなバランス感覚は、いまの経済学会では失われてしまった」(P163)

 

私がこの本を読む限りでも、経済学という分野は、学説の対立が激しいように思える。多分、どの学術分野でもそうだとは思うが、法律学などは、解釈に対する見解の相違だと思うのだが、経済学は、実際に、その国の経済施策へ多大な影響を与える。その点が大きく違うのではないかと思うのである。
それゆえに説の対立が激しいのではと思うのである。
そんな中にあって、サムエルソンの「新古典派総合」の説自体もそうだが、サムエルソン自身も自説とは異なる説にも真摯に向き合った数少ない人だったのではないだろうか。
そんなサムエルソンの姿勢、バランス感覚に同じ経済学者である著者は敬意を払い続けていたのではないだろうか。
それが、この本の趣旨のような気がしてならないのである。

 

最後に、この本には、『経済学』初版の目次が掲載されている。
第四章 個人と家族の所得 第五章 個人と家計の所得:異なった職業における所得 第九章 労働組織と諸問題 第十章 個人的金融と社会保障………
そして、その時々の情勢を加味し、改訂を重ね、第11版(1980年)には、「差別の経済学ー人種的差別と男女間差別」や「生活の質ー貧困と不平等、生態学と成長、愛情と正義」までが章として加えられたという。

 

目次を拾い読みしただけでも、胸が詰まり、涙が出そうになってくるのである。

 

 

 

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