サラリーマンへの非礼

最近のビジネス書を読んでいて、気になることがある。
それは、「できる人」はこういう特徴があるとか、「一流の人」はこういう行動をとるとかを記述したビジネス書の類が多いことだ。
私は、こうしたことは、現場で一生懸命に頑張っているサラリーマンの方に本当に失礼な話ではないかと思っている。

 

こうしたビジネス書の類は、サラリーマンの行動を「外観分析」している。
重要なことは、「外観分析」しているということは、そのこと自体が「当事者」ではないことを示している。
「当事者」でない人から、色々言われても、一体、当のサラリーマンはどうしたらよいのだろうか。
それこそ、「できる人」「一流の人」を真似よとでも言うのであろうか。
そんなことは、意味あることには到底思えない。
自分で掴み取った「実態」がないではないか。
もっと言うと、自分というものがないではないか。

 

私は、サラリーマンにとって重要なことは、自分が実際に経験したことから学ぶことではないかと思っている。
これには、自分がある! 自分が実際に経験し学んだという実態!があるのだ。
そして、学ぶべきことは広いのだ。
仕事の進め方もあるだろう。人との付き合い、接し方を学ぶこともあるだろう。
さらには、自分の家庭について、自分の生き方について、学ぶこともあるだろう。
生きがいについて学ぶこともあるだろう。
一律では、断じてないのである!
そして、その学ぶ主体は、あくまでもサラリーマン本人なのである。

 

また、「できる人」「一流の人」と言うけれど、サラリーマンは、そんな単純なものではない。
仮に「できる人」「一流の人」だったとしても、サラリーマンには必ずリタイアという仕事の引き時がある。
これからが、その人にとって、その人の人生にとって、本当に真価が問われる時だと思えてならない。

 

さて、憤りを覚えつつも、私は、サラリーマンにとって、非常に重要なことは、一生懸命働くということではないかと思っている。
どんな仕事でも、業種でも、現場で一生懸命働く姿は美しい。
こうして、社会に参画し、貢献しているではないか。
私は、これが、サラリーマンが胸を張って言える「実績」ではないのかと思っている。
そして、言うまでもなく、こうした取り組み、姿勢について、人にとやかく言われる筋合いは全くないと思っている。

 

多分、前出の「できる人」「一流の人」という本が気になり、手に取るサラリーマンの方もきっと多いと思う。
こうした類の本を読んで悩む人もきっといるだろう。
そんなことに悩む必要は全くないと思っている。
「現場」で一生懸命頑張っている。それだけで素晴らしいことである。

 

ただし、より、仕事の進め方で工夫する必要はある。
そうすれば、もっともっと、輝く時を送れるかもしれない。
また、サラリーマンにとって、様々な「悩み」というものもあるだろう。
それは、考えようでは、あなたの新たな道へのステップかもしれない。
そんな時は、「現場」で実際に体験したサラリーマンのアドバイスを聞けばよいと思う。

 

「できる」とか「一流」というそんな低次元の話ではなく、あなた自身の輝く時をぜひ、送っていただきたいと思っている。

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

目線を共有しないで冷ややかに部下を見る人

長いサラリーマン生活を経験してみると、ふと、サラリーマンの本当の敵は、どういう人だったんだろうかと思うことがある。
みなさんの中でも、長くサラリーマン生活を経験した人なら、ふとそんなことを思ったことはないだろうか。
そんなことを考えてみたい。

 

それは、人によって異なるのであろう。
しかし、その像は、怒鳴られたた上司ではないような気がするのである。
もちろん、部下を怒鳴ることはよくないことだ。そのことにより傷つき悩む人も多いはずだ。
しかし、ここは、よく考えてみる必要があるのではないだろうか。
そこには、怒鳴る、怒鳴られるというシチュエーションもあったのではないだろうか。
また、さらに考えを進めると、怒鳴るという行為はよくないけれど、怒鳴るということは、どなった人の感情が募った結果ではないだろうか。
もちろん、その行為が、自分の保身や、昇進のため、あるいは内容のないという人は論外だが、そうでない場合、その上司は、自分と同じ土俵、同じ目線ではなかったのだろうか。
同じ戦いの場、同じ境遇から出た言葉ではなかっただろうか。
そんなことを、時間の経過とともに思うのである。

 

むしろ多くはこうした上司に限って、情は深く、いつも、部下の行く道を考えて いたことはなかっただろうか。
よく人事部と部下のことで、顔を真っ赤にして言いあいをする上司ではなかっただろうか。
転勤の際には、熱く送り出してくれる上司ではではなかっただろうか。
そして、不思議なことに、その時は、確かに辛いと思うが、その後に、なぜか自分の心に忘れられない人になっていることはないだろうか。
また、当時同じ職場で働いた先輩、同僚、部下と飲むことがあるが、いつも話題に出るのは、こうした上司ではないだろうか。

 

こう考えてくると。サラリーマンの本当の敵は、どういうタイプの人だったのだろうか。
一つの人物像が浮かび上がってくる。
それは、いつも、「上から目線」で、人を、部下を、 冷ややかに見つめている人である。
こうした人は、いつも冷静に、いつも穏やかに、そして、自分の素養というものを奥に潜ませながら人を見ている。
そして、部下の話や、部下の知り合いの話は決して信じない。 眼下に否定してしまう。
そのくせ、偉い人の話や、著名な人の話はいつも引き合いに出す。
表面は穏やかだが、心の中で、いつも人を見下している。
そして、こういう人は怒鳴ることもしないし、パワハラになることもない。

 

なぜなら、部下と目線を共有していないのだから、同じ土俵に立っていないのだがら怒鳴ったり、争う必要もないからだ。
またそれ以前に、そんなことをすること自体も思いつかないだろう。
そして、この人たちの特徴は、部下や目下の人を「君(きみ)」と呼ぶことが多い。
「君は………こうだ」 「君ねえ………」と諭すように話しかける。
前述した、かっと熱くなる上司の呼び方と対比してみるとよい。
かっと熱くなる上司は、 「田中」とか、「おい、田中」とか、「田中さん」とか、「田中君」と名前をつけてで呼んでいるのではないだろうか。
あるいは、下の名で呼ぶことも多いのではないだろうか。

 

ところが、冷ややかな上司は、 絶えず「君は………」 「君ねえ………」と呼ぶ。
何かこれだけで、非常に冷ややかで、上から目線なのではないだろうか。
少なくとも、目線を共有していないことだけは十分に窺い知れる。
そんな姿勢に、「いったい、あなたは、何様なんだ」と思う人も多いはずだ。
そして、人の行動を冷ややかに見つめ、自分の心の中で部下の評価を確立していく。
部下の異動の際に、冷ややかに異動先のみを宣告する。
部下のことなど、自分の心の中になく、伝達すればよいと考えている。

 

さて、ここで問題を整理して考えみたい。
サラリーマンのメンタル発生の源は、パワハラが一因になっていると言われている。
上司のパワハラにより思い苦しむ。こうした事態は多いだろう。
しかし、世の中が考えているほど、サラリーマン社会は、もっともっと複雑である。
私は、今まで見てきた「目線を共有しないで冷ややかに部下を見る人」もメンタルの大きな原因だと思っている。 表には出ないが、こうした上司に仕え、結構メンタルになっている人は多いのではと考えている。

 

それは、よく考えてみるとわかる。 自分というものが取り上げられることもなく否定されているのである。
相手にされていないのである。
自分の話や、知人、友人の話も信じてくれない。
また、冷ややかに観察されているという心のプレッシャーも大きい。
そんな目線で毎日冷ややかに見られているとしたら、いったい部下はどうなっていくのだろうか。

 

そんな時、部下は、自分が相手にされていない、否定されていることを誰に言えようか。
上司から、直接のパワハラも受けていない。されど、自分が冷ややかに見られている。
そのことを、人に上手く伝えられるであろうか。また、そんなことを、どうして人に話せようか。
こうした状態が続くと、多分、サラリーマンは、自分のメンタル面の障害を他の原因に置き換えて表現するのではないだろうか。
私は、こうした上司が、サラリーマンの本当の敵のような気がしてならない。

 

パワハラ、セクハラは、言うまでもなく個人の尊厳を傷つける行為である。
しかし、日本の企業の場合、職員がメンタルに陥った場合、全部ここに原因を持っていってしまう。
原因の多くががそこにあることも事実であるが、サラリーマン社会は、世の中が考えるほど単純ではないのだ。
サラリーマンは、心の内を隠すということも忘れてはならないのである。

 

さて、こうした「目線を共有しないで冷ややかに部下を見る人」は、日本のサラリーマン社会ではどうなっていくのであろうか。
残念ながら、落ち度もないことから、職場職場の任期を終え、昇進していくのだろう。
また、自分はエリートと思っている。人より素養があると思っている。 そう思っていることから、そういう立ち振る舞いをし、目線を上に持つ。
こうしたことから、一定の地位まで昇進していくのだろう。

 

しかし、世の中は、人生の最後の局面で、この人たちに試練を与える。
そう、役目や役職がつかない人生が待っているのだ。
今までは、役職についいていたからこそ、人を冷ややかに見て自分のプライドを保持していたと言える。
役目や役職がつかなくなった途端、その人の人間性のみが直視される。
逆に言うと、この人たちは、最後の試練の内容がわかっているから、年をとっても役目や役職を離さないで探し回るのだ。
人生の最後の最後に、悲劇は待っているのである。

 

そして、この人たちは、かっての部下から、赤提灯の場で語られることはないのである。

 

 
(参考) この問題を『サラリーマンの本質』第五議題 「サラリーマンの悲劇」の中の3.「見下しているつもりが見下されている上司」に記載している。 サラリーマンのメンタルは、世に言われているほど単純ではない。こうした、いつも部下を、人を見下している上司も表にはでないが、メンタルの大きな原因になっていると考える。

 

 


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サラリーマンの本質

 

 

 

自分の夢の実現か、みんなの夢の実現か

最初に断っておくが、自分の夢の実現に向けて努力するということは素晴らしいことである。
ただし、「個人」と「組織の中の場合」とをよく「区分け」して考えてみる必要がある。

 

「組織の長」で、「自分の夢を実現」しようと頑張る人は多い。
サラリーマン社会でも、スポーツのチームでも、団体でも、クラブ活動でもあるいは、政治家でも、およそ組織という名前がつく組織の中には、 このような人は必ずいる。
そして、その人は、自分の理想像あるいは夢を、自分の組織の中で追い求める。
その人たちは、それを「理想の組織」「理想の職場」と呼び、その実現に向けてまい進するのである。
それはそれで非常に意味あることだが、 重要なことは、その人の夢の実現が、みんなの夢の実現になっているかということである。

 

たとえば、高校の野球部で部員全員の夢が甲子園出場だったとする。
そして、監督は、部員の夢をかなえるために、全力で指導を実施する。
監督自身の夢も、甲子園出場である。
この場合は、監督自身の夢と野球部全体の夢とが完全に一致している。

 

ところが、そうでないケースも、非常に多いのではないだろうか。
例えば、A社の管理職B氏は、経営学や、有名人が著した書物を片っ端から読んだ。
さらに、自分の付き合いの中で、色々な人から色々なことを聞き、学んだ。
そして、ある日、B氏は、部長に抜擢された。
B氏は、今までの知識の集積を基に、自分の組織に対する理想形、夢の実現に向かう。
組織をいじり、組織の活動もいじっていく。
また、俄かに職員との「対話ミーティング」や、B氏塾、B氏セミナーを設けていく。
ゆくゆくは、企業内で、B氏学校を開くという。

 

どこか違わないだろうか?
この人は、自分の夢を追っているのではないかということである。
自分だけの夢の実現にまい進しているのではないかということである。
この組織で働く人は、本当に、B氏セミナーや、B氏塾、B氏学校を望んでいるだろうか?ということである。

 

実は、サラリーマン社会の中で、組織の不満は、このような場合に起きることが 極めて多い。
組織の人が、それは、組織の長自身の夢と悟ってしまった場合に起きる。
しかし、当の組織の長は、そんなことは露とも知らず、自分の夢の実現が、組織の夢の実現につながると確信しているのである。
ちょっと、組織がおかしくなっていると感じたときは、意外と、ここら辺に原因がある場合が多い。
そして、こうした組織の長の行動に対して、一般のサラリーマンは、「自分たちの許せないもの」のジャンルに入れることが多いのである。

 

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

自分の知り合いの話は正しいと言い、人の知り合いの話は違うと言う人

あなたの身の回りにこんな人はいないだろうか?
人が、「自分の知り合いはこんなことを言っていた」と話すと、「それは違う」と眼下に否定したり、思わせぶりに首をかしげるくせに、自分の知り合いの話は、100%正しいという前提で話す人。
また、自分が読んだ著名人、学者や哲学書が記した本のことは、「なかなかいいことを言っている」「いい」「その通りだ」と話す人。

 

考えてみれば、これほど相手に失礼なことはない。
もし、自分の知り合いの話だけは正しいと思うのならば、好きなだけ、自分の仲間内だけで語り合ったり、読書会でもやればいいのにと思う。
それが、人の話の成り行きを見守りながら、自分の出番を窺い、意見を言うからおかしくなるのだ。

 

こんな人は、サラリーマン社会、組織には必ず存在する。
いったい、こんな人は、何を目的としているのだろうか。
これでは、誰が聞いても、「自分はあなたとは違う人物なんだよ」と言っているようなものだ。
多分、こんな人は、こういうことを言いたいんだろう。
「自分の知り合いは、みな有名人だし、いろいろ活躍している。ところで、あなたにはそういう人いる?」「自分はこんな本も読んでいる。ところで、あなたは、どんな本を読んでいるの?」「自分はこんな素養も持っているけど、あなたはそうじゃないよね」………。
多分、相手との話の中で、自分が優れていることを浮き彫りにしたいのだろう。
もっと言えば、人の話を餌にして、自分の優越性を人に見せたいのだろう。
すなわち、人を馬鹿にして楽しみたいということである。

 

淋しい限りである。心が貧しい限りである。
その人は、自分の素養をアピールしたいのだけれど、こんな姿勢だと、その人が聞いたり、読んだり、学んできたりしてきたことは、まったく役に立たなかったことを自分で物語っているようなものである。
また、加えて言えば、それこそ、その人が引き合いに出す古今東西の識者は、「そんな人にならないように」ということを諭しているのである。
これでは、墓から怒って出てきそうである。

 

そして、こんなに自分のことを素養があると思い込んでいるのに、人が自分のことをどう見ているかということは、まったくわかっていないのである。
みんな、その人が言おうとしていることは、内容、表情、雰囲気から察しがついているのだ。
何もかもお見通しなのだ。
簡単に言えば、その人は、自分が得た価値観は人とは違うと言いたく、そして、その人の心の底には、自分が努力して得た価値観だけに譲れないという思いがあるのだろう。

 

自分のことをそれとなく示したり、 自分の知り合いのことや、自分が読んだ本のことなど引き合いに出す必要などないのである。
また、本の話でも、小説や話題の本、サラリーマンが読みそうなビジネス書なら、人に話しても、「うん、オレも読んだ。いいよな」と話題が弾むかもしれないが、古今東西の識者の教訓話を持ち出すから、ややこしくなるのである。

 

さて、人は、不思議なもので、普段は、自分の家族や知り合いについて、「うちの息子は出来が悪くて」とか「オレの友達はおっちょこちょいばかりで」と話すが、それは、親しみの表現なのである。
しかし、自分の家族や知り合いの話を否定されてしまうと人は面白くない。
なぜならば、家族や知人というものは、自分を取り巻く環境ということであり、すなわち、行き着く先はその人自身のことを示している。
すなわち、自分を取り巻く人の話を否定されるということは、自分を否定されることに等しい。
多分、前出の人物の目的も、つまり、相手を否定したいのであろう。

 

以上、思うことは尽きないが、社会のルールとして、相手の話、相手の知り合いの話を否定することはマナー違反である。
ここで述べたように、その行為は相手を否定することと同じである。
また、サラリーマン社会や組織では、そんな人は、最も嫌われるので注意する必要がある。

 

 

(参考)『サラリーマンの本質 』第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の3.「見下しているつもりが見下されている上司」に、前出の人物像が出てくるので参照願いたい。

 

 

 

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サラリーマン社会のいじめ

大変嫌なことだが、サラリーマン社会にもいじめがあるように思われる。
それは、仕事ができる人からできない人へと向けられると、誰しもが思うが、実はそうではない場合が多い。
どういう場合に起きるのであろうか。
それは、自分のことを有能で、仕事ができると思い込んでいる人から、コツコツと業務をこなしている人に向けられることが多い。
この思い込んでいるというところに注意を払っていただきたい。

 

そして、どの企業でも、この自分のことをできると思い込んでいる人は、「課長、私やってられませんよ。Aさん全然進んでいませんよ。 課長から何とか言ってくださいよ」と言うのである。
しかし、冷静に状況を見渡せば、一番進んでいないのは、課長にチクる当の本人ということが多いのだが、なぜか、非難の矛先は、コツコツと業務をこなす実直型の人に向けられる。
多分、こうした実直型の人の多くは、あまりものを言わず、それこそ、コツコツと業務を進めるからターゲットになりやすいのかもしれない。
あるいは、こうした人の特徴として、自分をアピールしない控えめの人が多いからかもしれない。

 

しかし、人に矛先を向ける人は、決してその矛先をいわゆるエリートたちに向けない。
不思議なことである。ここら辺が日本のサラリーマン社会の複雑さというよりは、厳しいところである。

 

さて、もしみなさんや、みなさんの周りの人がこのようなコツコツ型で、職場で非難のターゲットにされているとしたならば、
結論から言うと、心配はいらない。
上の人はよく見ているからだ。
不思議なことに、サラリーマン生活が長くなれば長くなるほど、また、上に立てば立つほど、このようなコツコツ型の人は、ありがたいと思うようになる。会社の財産と思うようになる。
そして、実際に、この人たちが会社を支えていることは、間違いのないことなのである。
もし、こんなことで悩んでいる人がいたとしたならば、自信を持ってもらいたい。
そんな自分のことを有能と思い込んでいる人は無視してもらいたい。

 

しかし、これからは、少しは自分のやっていること、現状を語った方がいい。
語らないとせっかく頑張っているのに、周りの人に伝わらないこともあるからだ。
そして、気をつけなければならないことがある。
もしかして、みなさんの周りの人に、「黙して語らず」という言葉が好きな人がいないだろうか。
あなたは、そんな言葉の影響を受けていることはないだろうか。
こういう言葉を聞いたとき、注意した方がいい。
そんな言葉は、その人の価値観を示しているだけであって、あなたにとっていいか悪いか、あるいは、あなたの現状に合っているかどうかは、まったく関係がない。だから、注意をする必要があるのだ。
そして、こうした人に限って、自分のことは、ペラペラと話す人が多い。こうした人は、自分が人から、「多くを語られたくない」だけなのだ。
もちろん、こうした言葉を平気で話す人が一番悪いに決まっているが、こうした人が一定数存在するサラリーマン社会や組織の中で生きていくには、 ここら辺をよく見極めないといけない。
実は、この判別がサラリーマンの一番難しいところである。

 

あなたは、今まで、コツコツと会社や組織に貢献してきた。
これからも、そのスタンスで頑張ってもらいたい。
しかし、ときには、黙さず語ってもらいたい。
また、あなたの周りで、いろいろな価値観を吐く人がいたならば、それは、無視してもらいたい。
価値観は、人に惑わされず、自分自身で築きあげるものだからだ。
自信を持って頑張ってもらいたい。

 

 

 

(参考)自分のことを有能で、仕事ができると思い込んでいる人は、サラリーマン社会には多い。詳細は、『サラリーマンの本質 』第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の1.「自己評価できない集団『Cグループ』を参照いただきたい。
また、このHPのブログ「黙さず語れ」を、ぜひ、参考にしていただきたい。

 

 

 

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どちらがイヤラシイか

サラリーマン社会では、出身校の話をすると必ず「そんな話イヤラシイぞ」という上司がいる。
しかし、みんなの感情は、「今年の秋の六大学野球は早稲田で決まりだな」とか「昨日の試合見たか。 ラグビーは、やっぱり明治だな」とか言いたくなるのである。
そして、あまり出身校のことを言い過ぎるのもいかがなものかを、みんなわかっているのだ。
それが人に自慢話のように聞こえたら、確かに嫌う人もいると思う。

 

さて、「そんな話イヤラシイぞ」という当の上司はどうなのだろうか。
流石に、表立って出身校の話をしない。
しかし、自分の友達のことを話したり、聞きたくもないのに自分の交際範囲を示すときに、立派に自分の出身校の話をしているではないか。
また、何かにつけて、自分の出身校の創立者や出身者の話を出したりしているではないか。
誰がどう聞いても「私は、○○大学の出身者です」と立派に語っているようにしか思えない。

 

実は、この上司が考えるほど、サラリーマンはみんな馬鹿ではない。
この上司は、詰まるところ、「自分はいい学校を出ている。自分の資質は優れている」と言いたいのだ。
それを表立って言えないために、婉曲的に、自分の友人や創立者「引き合い」として出しているのだ。
「一番、気にしているのは、当のあなただ!」と、みんな思っているのだ。
気づかないのは、この上司だけである。
こういう上司は、実は、「部下を見下したつもりが、逆に見下されている」上司なのである。

 

そして、ここでの論点は一つ。どちらが、人間としてイヤラシイかである。
「おい見たか。早稲田すごいだろ!とか、「法政強いだろう!」とか、どこの大学でも高校でもいいから「ウチの学校、最近、こうでさ」と素直に表現する人と、 この上司と、どっちが人間としてイヤラシイかである。

参照:議題5 「サラリーマンの悲劇」

 

 

 

 

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女子高生のパフォーマンス

得意先を回ったあとの夕刻迫る電車の中。
今日の仕事が一段落した安堵感で、電車からの風景を楽しむ。
ある駅に着く。女子高生が、3-4人乗り込んできた。
その中でリーダー格の女の子が、大きな声で言う。
「私、絶対にやめるぅー」
私の心の平静が一瞬にして失われた。
耳に飛び込んでくる内容を聞いていると、どうやら、ジャズダンスのクラブ活動のことを言っているらしい。
指導する先生がどうの、このクラブに入っている他の仲間がどうのと、次から次に不満を言っている。
その結論が、「私、絶対にやめるぅー」である。

 

私以外の車内の人の耳にも、否が応でも、その大きな声が飛び込んでくる。
大きな声で話すその女子高生を横目で見る。
そして、全員が口にこそ出さないが、「『私、絶対にやめるぅー』と言っているあなただけは、絶対にやめないよ。 みんなやめても、あなただけは、やめないよ」と思うのである。
それと同時に、車内に乗り合わせたサラリーマン諸氏は、「女子高生でもパフォーマンスと打つんだ」と驚くのである。
以来、女子高生が仲間で電車に乗り込むたびに、彼女らの会話を聞いていると、相互にパフォーマンスだらけなのである。
その度に、嫌な思いが募ってくるが、サラリーマン社会と基本的に変わらないなとも思うのである。

 

サラリーマン社会では、毎晩のように居酒屋で、不平不満が爆発している。
そして、勢いあまって、仲間に、「オレ、絶対に会社を辞めてやるからな」と宣言する人は必ずいる。
しかし、そういう人は、翌朝になると、なにもなかったような顔で出勤するのだ。この繰り返しである。
居酒屋っていうのも、結構、サラリーマンのはけ口の場として役に立っているんだと思うけれども、その光景はあまりいいものではない。
多分、女子高生も、「会社を辞める」と宣言するサラリーマンも、もっと自分を認めてもらいたいのだろう。
その気持ちはわからなくもないが、人はそれを見ていてあまりいい気分になることはない。

 

 

 

 

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電車の中のシャカシャカ

こういうブログを書くと、若い人から敬遠されるよと言われたことがある。
しかし、サラリーマンが許せないもののダントツ一番は、電車の中の音漏れだろう。
朝の通勤時間。電車に乗る。
昨日の疲れが残り、眠い。寝不足だ。
たとえ満員電車の中でも、立ちながらでも、少しでも疲れを取ろうと考える。
眼を閉じて、まず心を落ち着かせる。
こんなときに、あの「シャカシャカ」という音が飛び込んでくる!
頭の随を直撃する。
ただでさえ、寝不足で頭が朦朧としているのに、頭の神経を襲う。
ここで二日酔いでもしていようものなら大変だ。
ワァーと叫び、逃げ出したくなる。
こんなときに、サラリーマンが起こす行動は一つだ。
眼を開け、シャカシャカお兄さんや お姉さんを睨みつける。
あるいは、白い眼で見る。
ところがである!

 

当の本人は、そんなことなど、全く気づかずにシャカシャカを続ける。
自分はイヤフォーンをつけているから、音漏れなどしているわけがないと思っているのか。
普通の神経なら、人に白い眼で見られているならば、気づきそうなものだが、気づかない。
それとも、気づいているのにやめないのか。
ここは当の本人ではないのでわからないが、多分、そんなに音が漏れているとは気づいていないのだと思う。

 

「気づかない」- これが、「論点」だ。
この問題の解決法は、できるかどうかはわからないが、多分一つしかない。
誰かが、このお兄さんや、お姉さんのモノを取り上げ、逆に聞かせてやるということだ。
これしか方法はない。
なぜなら、本人は気づいていないのだから。

 

さて、ここからが本題である。
考えてみると、サラリーマン社会でも、これとよく似た現象がある。
サラリーマン社会には、「自分はできる人間だ」と思っている人が沢山いる。
そして、そう思っているのは、その当人だけということもよくある話である。
こうした現象は、 自分の能力と働きを「自己評価」できないことから始まっている。
それはそれでよいと思う人がいるかもしれないが、サラリーマン社会では、「自己評価」と「他人評価」が著しく異なる場合、悲劇が始まる。
また、逆に、出来ると言われている人ほど、自己評価が厳しい傾向にある。これは事実だ。

 

そう考えると、やはり論点は一つ。
悲劇が始まらない前に、「気づく」ということが必要なのである。
他人は、自分のことを、そうは思っていないことに「気づく」ことだ。
サラリーマン社会では、この「気づく」ということが、非常に大事なような気がする。
電車の中で、音漏れを聞くたびにそんなことを思うのである。

 

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(参考)『サラリーマンの本質』第五議題 「サラリーマンの悲劇」(P113~)で、この「気づかない」人たちを取り上げている。
当HP 第五議題「サラリーマンの悲劇」も参照してください。

 

 

 

 

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