黙さず語れ

「黙して語らず」という言葉は、よくよく考えてみると、会社の上司や年配者から聞かされる場合と、自分がある状態にあるとき、本当にそう思う場合と二つあると思う。問題は、前者の場合の受け止め方である。
また、こででは、よく聞かされる言葉が本当にサラリーマン社会では、真実であるかということも併せて考えていきたい。
サラリーマン社会には、実際、この言葉が好きな上司や年配者は必ず存在する。
あなたが、会議や懇親会の場で、少し饒舌になっている時、上司や年配者は言う。「君、黙して語らずだよ」と。
サラリーマン社会の問題は、このような上司や年配者の言葉は、言う方はいとも簡単に言うけれど、受け側がズシッと受け止めることにある。
私は、拙著『サラリーマンの本質』の中でも記述したが、サラリーマン社会では、それほどまでに上司の存在は大きく、上司の態度、発言が、部下の悩みの一つになっていることは間違いのないことだと思っている。
結論から言うと、私は、上司は、軽々しく自分が思っていること、信念を人に話すべきではないと思っている。

 

それでは、上司は、どうしてこの「黙して語らず」という言葉を使うのであろうか。
その理由はシンプルである。上司がこの言葉を好きだからである。
つまり、上司の価値観から見れば、この言葉が好きなだけであり、それが、あなたにあてはまっているか否かとはまったく関係がないということである。
加えて言うならば、会議や懇親会の場で、部下が饒舌になっている時に、「君、黙して語らずだよ」ということ自体が、根本的に間違っている。それでは、何のための会議なのか、何のための懇親会なのだろうか。
そう言うこと自体が、上司にとって、好きな会議のパターン、好きな懇親会のパターンを示しているのではないだろうか。そんなことは言うまでもなく、あってはならないことである。
そして、もっと次元を低くして言えば、あなたが饒舌になっていることで、自分の出番が少なくなっていることを嫌っている場合も実は、多いのである。上司が饒舌になりたいところ、あなたが阻害したという意味合いもあるのである。つまり、自分にとって、自分の出番にとって、都合が悪いという意味も込められていることが多いのである。
ここは、誰がどう言っても、ここでこの言葉を使う上司が間違っている。

 

サラリーマン社会の難しさはここにある。
例えば、会議に遅刻した、居眠りをした、懇親会でハメを外しすぎたという場合ならば、それは、「事実」に対する指導である。
ところが、サラリーマン社会では、上司は包括的な指導権というものを持っているから、このように自分の価値観から基づく指導(?)も実施してしまうのである。
人の上に立つ人は、そこを混同しないように気をつけた方がいい。
さて、こんな上司のことは放っておいて、「黙して語らず」ということが、サラリーマン社会では本当にあたっているのか考えてみたい。
私の意見は、自分が心でそう思うときは、あたっているような気がする。そうすべきではないかと思っている。
みなさんも経験があると思うが、人を傷つけまいとするとき、ある事実を知っているが、ここはその人に話さない方がいいと思うとき。自分は違う意見を持っているが、その人が情熱的に取り組んでいる姿を見たとき、
こんなときは、「黙して語らず」という道を選択する。
この感覚、感性はあたっていると思うのである。

 

しかし、前述したように、「黙して語らず」を人から聞かされた場合は、それはそう言った人の価値観が含まれているから、あたっているというよりは無視した方がいいと思う。
もし、「黙して語らず」がすべてにあてはまるならば、このHPでも紹介した横浜市長である林文子さんを始めとする実社会で活躍されている人は、どうなってしまうのであろうか。
私は、実際に、林文子さんの講演を聞かせていただいた。また、著書『しなやかな仕事術」を拝読させていただいたが、コンセプトは、「黙さず語れ」のような気がする。
本中、林さんは、ありとあらゆる人に、自分から話しかけているのだ。また、『しなやかな仕事術』の中の「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は上司から」という項目の中で、「〝デンと構えて、多くを語らず〟のスマートな上司だけが、 良い上司とは限りません。」と書かれている。

 

また、「黙して語らず」が普遍的ならば、『営業の神様』ジョー・ジラードを始めとする営業の世界での成功者は一体、どうなってしまうのであろうか。
つまり、「黙して語らず」は、ケースバイケースの言葉であって、自分がそう思う場合に使用すればいい言葉だと思うのである。
前述した上司のように、人が人に言う言葉ではないと思われるのである。

 

さて、ここからが肝心だが、サラリーマン社会では、自分がそう思ったときは、「黙して語らず」の姿勢を取ればいいが、一般的には、「黙さず語れ」の方がいいような気がする。
「黙して語らず」とは逆に、私たちは、普段、こんなことも言っているではないか。「あいつ、何も言わないから、よくわからないよ」「あいつ、何を考えているやら」「あいつ、会議や懇親会の場で何も話さないよ」
要は、自分から語らなければ、自分がどういう人間か、わかってもらえないのである。むしろ不気味な存在に映るのである。
そして、よく自分をわかってもらいないまま、異動通知を受け取ることになってしまうのである。

 

確かにサラリーマン社会でも一般社会でも、「余計なことを言ってしまった」「しゃぺりすぎてしまった」「あんなことを言わなければよかった」ということは多々ある。
しかし、それはそれで仕方がないことだと思っている。
要は、自分というものを出し切らずに不本意な結果となるよりも、自分をさらけ出して不本意な結果となった場合の方が、自分にとってあとで納得がいくということである。
人が、後悔するときは、必ず、「ああ、あの時、言っておけばよかった」「もっと、自分の意を話しておくべきだった」というときである。
これは、みなさんも多分痛いほど、経験していることだと思う。
サラリーマン社会は、自分をわかってもらえないことには始まらない。不本意な評価や異動が起きることがないように、自分を知ってもらわなければならない。そのためには、「黙さず語る」ことであると思っている。

 

 

 

(参考)上司や人の上に立つ人は、成功体験や自分の価値観を部下や人に話さないことである。
本項目でも話したが、言う方はいとも簡単に言うけれど、受け取る側は重たく受け止めるのである。人の頭を混乱させたり、悩みの一要因になるということを忘れないでもらいたい。
『サラリーマンの本質』の第三議題「組織への間違った指導」の中の 3.成功体験を話さない及び第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の 3.見下しているつもりが見下されている上司 をぜひ、参考にしてもらいたい。

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

始めるのに遅すぎるということは決してない

サラリーマン生活で痛感したことがある。それは、「始めるのに遅すぎるということは決してない」ということである。
「始めるのに遅い」と感じた時に、必ず自分に言い聞かせるように納得させる言葉がある。
それは、「今さら」という言葉である。

 

さて、どういう場合に、「始めるのに遅い」と感じるのだろうか。
色々ある。
例えば、サラリーマンだったら、ピアノを弾けたらいいなとか、絵を習いたいな、写真も面白そうだな、書道を習いたい………と必ず思う。
しかし、そんな時、「今さら」という言葉を使い、結局やらない方向に、自分を納得させる。
さらに、やらないということに自分自身の理屈づけや、先送りの理由も付け足す。
「今、オレ忙しいよな。もっと時間に余裕が出たとき考えよう。それよりも、休日は家でゆっくり休もう」と言い聞かせる。

 

他にも色々ある。
例えば、仕事のやり方。
会社やある人が、ツールを使った便利な書式を作った。そんな時、それにすぐに飛びつく人は何人いるだろうか。
「俺は今まで、自分のやり方でやってきた。慣れ親しんだこっちの方が結局は自分に適していて、早いんだ」と、新しいシステムを使わない。
そして、自分以外の人が、結構新しいシステムを使い出したとき、「今さら、変えるのもおかしいよな」と尻込みする。

 

まだまだある。
営業現場で、新規工作のノウハウの伝達があった。
早い人は、早速動き出し、そろそろ結果集約の時期を迎えている。
その時に尻込みした人は、「今さら、取ってつけたようにやるのもおかしいな」と結局はやらない。

 

この「今さら」と思う感覚は、スマホなどの新しい商品の自分への導入の感覚に似ている。
実は、私も、かなり「今さら」と思うタイプであり、色々な事の導入が遅れた。
ちょっと古くなるが、液晶テレビの購入、もっと古くなると、DVDが発売になっとき。今となっては信じられないが、画像等のデータをCDに何枚も保存し続けていたのである。
家電の買い替えもかなり躊躇する方だった。買い替えた時の便利さよりも、新しいことへの面倒くささの方が先に立った。
ところがいざ買い替えてみると、新しい機能に驚くばかり。その便利さに驚くばかり。「なぜ、もっと早く買わなかったのか」と、今までの不便さや今までかけてきた時間を悔やむ。

 

要は何を言いたいかというと、新しいことへの決断について、すぐに飛びつく人と私のような慎重派がいる。
この部分は仕方がない。多分、治らないだろう。また、みんなの動向を見て決める、世の中の普及状態や評判を聞いてから判断するということも決して間違ってはいないだろう。
しかし、明らかに、自分にとってプラスになるもの、便利になるもの、楽しくなるもの、時間の節約になるものとわかったときは、「今さら」と思わないで、その導入を決断した方がいいということである。
「今さら」と思った場合でも、遅すぎるということは決してないということを言いたい。

 

先日、80歳を過ぎたブロガーである女性の出版記事が新聞に載っていた。
私の周りの話になるが、私の高校の先生は、いい年になってからフルートを習った。その道では有名な人になったと聞いている。
また、私の転勤先の地方都市で、ある企業に勤めながら絵の勉強をし、号あたりの値段がつくまでになった有名な人がいた。
こんなことは、山ほどあると思う。多分、皆さんの周りでも、年をとってからスポーツを始めた、絵を描いた、小説やエッセイを書き始めた、新しいことにチャレンジしたという人は結構いるのではないだろうか。
この人たちは、言うまでもなく、「今さら」と思わずに、実行した人なのである。
実行して、新たな世界に旅立った人たちなのである。

 

この問題の根底には、新しいことへの抵抗がある。それは、自分自身に向けられた「今まで何をやってきたんだ。そのやってきた時間や努力、労力を無にしたくない」という思いがある。
ライフスタイルで言えば、「ピアノや絵を習えなかったのは、オレが一生懸命働いてきたからだ。それによって、家族を養ってきたし、この家だって購入できたじゃないか」という思いがある。
システムの変更でも、「オレは、いままで、この方式でやってきた。この方式には自分の思いが入っている。社内でも資料作成の名人と言われたではないか」と、残業しながら資料を作成し続けた光景、その後の会議でその資料が配られ、みんなで議論したことが蘇ってくる。
また、営業現場でもこう思う人がいる。
「俺の得意先開拓は超一流だ。このやり方で他社からひっくり返してきた。それが何だ、この方式は。これじゃ魂が全く入っていないじゃないか。そんなやり方で結果が出るか」と抵抗する。

 

新しいことをやることにより、何か今までの自分の努力や労力が失われるような気がしてくる。だから、変えるのを躊躇するのだ。
その気持ちはよくわかる。
しかし、変えなくては何も変わらないということをよく理解する必要がある。
週末、家でただただゴロゴロしながら会社のことを考え憂鬱になる日々、資料作成に追われ残業を繰り返す日々、毎日一生懸命営業に出て行くが結果が上がらない日々………。

 

始めるのに遅すぎるということは絶対にない。「今さら」と思う気持ちを振り払う勇気が必要と考える。

 
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サラリーマンの本質

 

 

 

人はあなたの休みなど気にしてはいない

サラリーマンの嫌なことに「休み明け」がある。
これが、正月休み明けやゴールデンウイーク明け、あるいは連休明けの場合は、出勤した際に、「ああ、また会社が始まっちゃたね」という苦笑いにも似た共通項がある。
ところが、自分だけ休んで出勤した場合は、感じ取る空気が全然違う。
何かみんなの視線や態度によそよそしさを感じる。
その態度に、「昨日は職場は大変だったんだよ」とか「色々なことがあってね」という言葉が背中に書いてあるように感じられる。
これが1日ならまだしも、体調を崩したり、家の用事で2-3日も休んだ場合は、もっともっとそんな感じを覚えるはずだ。

 

そして、なかなか職場の空気に溶け込めない自分がいる。
結論から言うと、そういう空気は完全に0かといえば正直0ではないが、あなたが感じているほどのものでもない。
これは、私のサラリーマン経験から言えることだ。

 

さて、なぜここでこの話題を切り出したかというと、現実に悩むサラリーマンにとっては、こんなことがとても大きく感じられる。
そして、職場のこんな空気を予期できるから、益々会社に行く足が重くなって、また休んでしまうということが起きる。
また休んでしまうから、さらに会社に行きにくくなる。
こんな構図で、悩みは拡大していくことも多いのではないだろうか。
私にも経験があることなので、この問題を取り上げた。

 

もし、みなさんが、こんなことに悩んでいるとしたら、是非、次のことを参考にしてもらいたい。
一つは、誰でもそんな感じを持つということだ。
こんな感情は、役職に関係なく等しくみんなに襲ってくる。
例えば、あなたが「課長や部長だったらそんな感じを覚えないだろうな」と思っているとしたら、違う。
課長や部長は、「みんなが一生懸命働いているのに、休んじまったな」と、きっと思っている。
多分、役員でも、社長でもそんなきまり悪い朝を迎えているはずだ。

 

もう一つは、あなたが気にするほど、人は気にしていない。
最初はぎこちないが、仕事を始めているうちにすぐにまた職場の雰囲気に溶け込むということもよくあるではないか。
きっと、みなさんもそんな経験を持っているはずだ。
ここは器用に自分から情報発信して、職場の空気に馴染んでもらいたい。

 

さらに付け加えるとしたならば、あなたは自分が休みを取ったことを気にしているかもしれないが、あなた以外の人も結構休みを取っているということにも気づいてもらいたい。

 

しかし、サラリーマン社会には、こんな休みをとることにも器用な人とそうでない人がいる。
器用な人は、休み明けにこんな会話をしていないだろうか。
「いやー、まいっちゃたよ。一昨日、家に帰ってちょっと体がゾクゾクするから体温計で測ってみたら38度5分もあってさ。びっくりしちゃったよ」と、明るく周囲に話している。
私もそうだが、なかなか普通はこの人のように話せないが、こんなことを話してみたらどうだろうか。
家の用事だったら、「姪の結婚式が土曜日に軽井沢であって疲れちゃったよ。疲れが抜けないので、悪いけど昨日休ませてもらったよ」と話せたならば、きっと違う展開になるだろう。
人は、「そう、最近、軽井沢で結婚式挙げる人って多いよな。大変だったな。そうそう、そうした場合は、休むことだよ」と答えてくれるかもしれないし、「俺も、この間そうだったんだよ。おまえ新幹線で行ったんだろ。新幹線も混んでいただろ」と、むしろ話が弾むかもしれないのである。

 

ここまで器用でなくてもよいが、是非、自分から情報発信を試みてもらいたい。
もう一つおすすめしたいのは、「宣言型休暇」である。
「オレ、来月の10日の月曜日休むからな」と早々と宣言してしまうのである。
その日に、家でゆっくりくつろぐもよし、家族サービスに徹するもよし、土日に旅行に行き、月曜日は家でゆっくりするのもよし、自分の好きなように使ってもらいたい。
こんな「宣言型休暇」の場合は、周りも早々と知っているので、休暇中も「いまごろ、みんな何やっているのか」と考えることもないし、休み明けもかなりスッキリしたものとなる。

 

問題を本題に戻そう。
日本のサラリーマンは、みな真面目である。真面目が故に悩むことも非常に多い。
体が疲れていても、毎朝会社に向かい、そこで働き、そしてまた家に戻るということで安心感を覚えている。
だから休みをとることに不安になる。

 

実は、『サラリーマンの本質』の原タイトルは、「月曜日の朝、重くならないために」だった。
毎週のように襲う月曜日の朝。
どうしたら、気が重くならないで会社に迎えるかが、出発点であった。
私は、「あれもやらなけれなならない。これもやらなければならない」という仕事上のプレッシャーも大きいのではないかと考えた。そればかりでなく、職場の人間関係、特に「自分がよく思われたい」と思う気持ちも存在するのではないかと考えた。

 

そのことから、『サラリーマンの本質』では、冒頭の第一議題、第二議題で、「仕事の進め方」を記載した。そして、終章において、サラリーマンの精神的部分の負担を軽減するために、「自分の違った道を考える」「『よく思われたい』と思わない」「『よかった』と思う」を記載した。

 

本題の「人はあなたの休みなど気にしてはいない」と関係するのは、「『よく思われたい』と思わない」ではないかと考える。
『サラリーマンの本質』にも記載したが、「いっそ、よく思われたいと思わない」ことも必要ではないかと思っている。

 

サラリーマンの悩みは、誰しも同じ経験をしてきた道でもある。
決してあなただけが感じていることと考えないで、頑張ってもらいたい。

 

 

 

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企業で働く 営業女子が輝く35のヒント

サラリーマンの本質

 

 

 

結果重視かプロセス重視か

結果重視か、プロセス重視か。
これはサラリーマン社会ではよく議論になるが、どの会社にも、結果重視派、プロセス重視派がいて、互いに相譲らずいまだ決着がついていない問題だと考えている。
みなさんの中にも、多分、結果重視派とプロセス重視派双方がいるのだと思う。

 

それでは、どういう場合にこの問題がクローズアップされるのであろうか。
それは、会社全体またはある組織で、あるいは従業員が不祥事を引き起こした時だろう。
その時にプロセス重視派は勢いづき、「ほれ見たことか、結果ばかり追うからこういうことになるのだ」と叫ぶ。
特に営業部門で不祥事が発生した場合は、管理部門などの内勤部門は勢いづき、声高に言うのである。
「いつかはこういうことになると思っていた」
監査部門や調査部門は、まさに自分たちの出番到来とばかりに、営業現場が結果至上主義になっていたのではないかと乗り出し調査を始める。
営業部の資料を点検したり、職員のヒアリングを開始する。
こうした状況から、会社もプロセス重視、プロセス重視と俄かに唱え始める。
詰まるところ、こうした状況下では圧倒的にプロセス重視派が優勢となり、結果重視派は影をひそめるのである。

 

プロセス重視派の主張は、「プロセスを重視するならば、必ず結果はついてくる」と言う。
「重要なことは、結果ではなく、各人がプロセスを重視していたならば必ず結果は出る」という主張である。
「この順番が逆になったから、不祥事が発生した」と言う。
なるほど、そういうことだったのかと皆は思うのである。

 

ところがである!
会社や組織全体がプロセス重視、プロセス重視と進めていくと、ガクンと業績が落ちる場合があるのである。
その時、様々な場や、居酒屋の席で、「やはり結果を求めないとダメだよな」「なんかウチの会社、最近元気なくなったと思わないか。若い者もだいぶ覇気がなくなったぞ」という声が囁かれるのである。
この囁きが広がり、結果重視派は息を吹き返し、勢いづいていくのである。

 

こんなことが、どの企業でも、猫の目のように繰り返し繰り返し議論されているのである。

 

これに対して様々な意見があると思うが、私は、前々から変な議論だと思っていた。
そもそもプロセスは、「経過、過程、手続き、手順」という意味である。
つまり、まさに言葉の意味通り、結果を求める過程に他ならない。
なのに、なぜ、結果重視、プロセス重視と意見が分かれるのかいまだにわからないままでいる。
そして、私なりに思うところがある。

 

私は、プロセス重視、プロセス重視と進んでも、結果が必ず出るとは思っていない。
結果は、そんな甘いものではないと思っている。
しっかりと結果を出そうとする思い、気構えというものが非常に重要で、この部分が希薄だと結果は出ない。
そうして、必死に結果を出そうと考えるから、プロセスを思いつくのではないだろうか。
つまり、先にプロセス在りきというのは、ちょっと違うのではないかと思っている。
企業や組織にあっては、結果を求める動き、平たく言えば、結果は取りにいくものであり、この取りにいくという気持ちがなければ、絶対に結果は生まれないものであると考えている。

 

サラリーマンの本質 』で、「営業の本質」という大項目を立てた。
世の本が、「営業」とは何かを結局は記述していないことに気づいたからである。
その中で、私は、「営業は、『目標』と『見込み』の『差』を埋めるという目的意識しっかり持って、その目標に向かって行動すること」と記述した。
営業で成果を上げることができる否かはすべてこの一点にかかっている。
つまり、営業で一番重要なことは、「目標に向かう意識」なのである。
これさえあれば、人は馬鹿ではない。必ず、色々考えるのである。目標に向かうプロセスを考えるのである。

 

『サラリーマンの本質』では、色々考えることを「連想力」と表現した。
「連想力」は、真剣に目標に真向かいした時に必ず生まれる。ちょっと訓練が必要だが、必ず生まれる。
要は、目標に向かう意識が強ければ、結果を求める意識が強ければ、必ず有効手段を思いつき、結果は生まれる。
つまり、私は、先に、「目標に向かう意識」「結果を求める意識」在りきと考えるのである。

 

さて、この問題が議論される背景には、企業の部門間における人の棲み分けの問題がある。
この点も『サラリーマンの本質』で大きなテーマの一つとした。
日本のサラリーマン社会では、ジョブローテーションと言いつつも、やはり現場から現場を歩く人、管理部門や企画部門を自分の拠り所として、転勤しても、やはりそこに戻る人とがいる。
また、どうしても営業に適さず、本社の内勤部門に回る人も多い。
つまり、現場の人と、本社部門の人という区分けがなされていることが多い。
この点も、結果重視派とプロセス重視派とに分かれていく要因なのではないかと思っている。

 

しかし、企業で働く人全員が認識しておかなくてはならないことは、企業はトップライン、すなわち売上で成り立っているということだ。
企業の大元は売上であり、売上があるから、人件費も含め諸経費が賄われるということを忘れてはならない。
どんなエクセレントカンバニーだろうが、洗練された企業だろうが、大元は売上である。
このことを深く意識すれば、結果重視派とかプロセス重視派とかという議論にはなりにくいのである。

 

それが、大企業であればあるほどセクションが多くなり、いつしか、そもそも自分は何で給料をもらっているのかわからなくなっている人もいる。
声高に現場攻撃に徹する人も残念ながらいる。
この人たちは、現場の人には並々ならぬ目標が与えられているということを忘れている。この並々ならぬ目標が与えられているから、現場の人は一生懸命努力し、苦労しているということを忘れている。
一方、現場の人は現場の人で、一生懸命自分や組織の目標に集中するがゆえに、周りが見えなくなっている。

 

こうしたことを考えるとき、また企業は1つということを考えるとき、出来うる限り、現場と本社部門の人事交流を図らなければいけないと強く思う。
企業が存立するためには、現場も本社も、営業部門も管理部門もないのである。
目標は一つのはずである。
この目標は一つという意識が企業に広がるならば、ここで問題とした結果重視かプロセス重視かという問題は消滅すると考えるのである。

 

ぜひ、『サラリーマンの本質 』を参考にしていただきたい。

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

サラリーマンのライフプランは長方形の面積の和で考える

これは人に聞いた話である。
その人は、「サラリーマンのライフプランは長方形の面積の和で考えろ」と話された。
その時は、わかったような気がしたが、本当に実感を持ったのはサラリーマン生活の後半を迎えた時だ。
若い人にも、ぜひ、参考に聞いてもらいたい。

 

これは、どういうことかというと
長方形の面積の和=自分が一生の間、サラリーマン生活で稼ぎ出す収入と考えてもらいたい。年代別に稼ぐことができる年収の和、すなわち生涯年収のことを言っている。
大変世知辛い話にはなるが、
サラリーマンがよく話題に出したり、気にしたりすることに自分の年収がある。
それは当たり前だ。それで飯を食っているからだ。
「あの業種はいいよな。年収も高いらしいぞ」とか「うちの会社も、もうちょっと給料上げてくれないかなあ」と言う。
しかし、自分がサラリーマン生活でいったいどれだけの額を稼ぐのかということにまでは頭が回らない。
毎年毎年の年収を考えるのが精一杯だ。
また現在の年収を基準に会社を判断する。

 

ところが、サラリーマン生活の後半に不思議な現象に気づくことがある。
それは、今を基準とした年収と、生涯稼ぎ出すことができる年収=生涯年収とは異なることに。

 

これは、どういうことかというと、企業の給与体系と関係がある。
ある一定期間までは、華々しい給与だが、55歳を過ぎるとガクンと給与が落ち定年まで低減し続ける企業もある一方、
55歳を過ぎても、なんら変わらない企業もある。
どちらかというと、前者には大企業が多い。

 

この時になって初めて長方形の面積の和に気づく。

 

どちらがいいとか悪いとかという議論はここではやめよう。
重要なことは、「面積の和」があることである。
今までの議論は、60歳までのことをことを言っているが、これからは再雇用の時代である。
大企業は、文字通り60歳で定年になり、定年後は本人が希望して再雇用職員になる。
さらにググッと年収は落ちるはずだ。それも65歳までだ。
そう考えると、「面積の和」の性格上、むしろ、議論の焦点は、どれだけ長く働けるのか、 ある一定の年齢に達した以降の年収が俄然重要となってくる。

 

何を言いたいかである。
一番目は、今は、毎年毎年の年収を気にしているが、総トータルで見たときの企業の優劣はわからないということである。
ここが実社会のおもしろさでもある。

 

二番目は、サラリーマン、サラリーマンと言ってはいるが、選択肢として一生続けられる仕事というのも考えてみる価値が あるということである。
「面積の和」の性格上、これが、総面積が一番大きくなるだろう。
拙著『サラリーマンの本質』の中でも、「自分の違った道を考える」という見出しをつけた。
色々なご意見を頂戴したが、この面からも、まさに検討する価値はあるのだと思う。

 

三番目に、最近はやりの「早期退職制度」は、よくよく「面積の和」を計算する必要があるということである。
確かに、「早期退職」により、いっときはすざまじく収入の縦棒は跳ね上がる。
この縦棒の面積と、退職しなかった場合得られるであろう「面積の和」の比較をしなければならないということである。

 

四番目は、サラリーマンには、色々な節目というものがある。
子供も進学するし、家を買う場合もある。家を買った場合は、長期にわたり家計からの支出が生まれる。
こうした支出を考えるとき、この「長方形の形」を考えなければならない。
これがライフプランというのではないだろうか。

 

そんなことをあれよこれよと考えていくと、健康で長く働けることが一番重要に思えてきた。

 

今の年収が高いの低いのということは確かに生活するために重要だが、それ以上に重要なことは、
生涯にわたり、どういう収入が得られ、それに基づいて、どのようなライフプランを選ぶかである。

 

私も若い時には、この仕組みというものがわからなかったし、関心も薄かった。
しかし、みなさまには、ぜひ、参考にしていただきたいと思っている。

 

 

(参考)『サラリーマンの本質』終章サラリーマンのすすめ の中の1.自分の違った道を考える を参照願いたい。

 

 

 

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自分が出した結論は後悔しない

私は前に、「人を頼らない」というブログを書いた。
これは、私のサラリーマン生活からの教訓だった。 私たちが、重大な局面を迎えた時のことを書いた。
そこでは、「 人をアテにし、人を頼り、人を信じ、その結果、思い通りにならなかった時、悔やむ。 自分自身の力で進まなかったことを悔やむ」と書いた。
それと同じようなことが本題である「自分が出した結論は後悔しない」である。

 

これはどういうことを言っているかというと、 サラリーマンなら誰しも人のアドバイスを聞きたくなる。
また、色々な本を読み、その内容を参考にしたくなる。
これはこれで、意味がないわけではなく、必要なことだ。
ただし、「自分にとって重大なことは、最終的には自分で決める!ということが必要だと思うのである。

 

私にもかって、こんなことがあった。
私は、中古で購入したマンションが子供の成長もあり、かなり狭くなり、買い替えようか真剣に悩んでいた。
マンション自体は、バブル直後に、将来の一戸建て購入へのつなぎとして買ったものであり、老朽化しておりあまり好きになれないでいた。
サラリーマン生活の残りも見えるところまで来ていた。今は返済できるが今後のサラリーマン生活そして定年後の状況までも思い、私は悩んでいたのである。
そこで、先輩たちの意見も聞いてみた。 先輩たちの反応は一様に次のようだった。
「もうサラリーマン生活も後半であり、やめておいた方がいい」
しかし、私は、考えに考え抜いた末に、買い替えを決めた。

 

確かに、サラリーマン後半のローンは厳しく、もしかすると定年後の生活をも圧迫するかもしれなかったが、私は自分で出した結論に満足している。
この結論は、当然、人により異なってよいものだと思う。また、こうした判断は、人それぞれの状況によると思うが、重要なことは、自分で考えに考え抜いた末、自分で出した結論に後悔しないことだと思う。
それは、たとえ、自分が出した結論で上手くいかなくなったとしても、そこには、自分自身が考え抜いて決めたという拠り所があるような気がするからである。
それが他人の意見を基に決めた場合には、やるせないわだかまりが残ると思うからである。
そんなことを考えると、やはり重要なことは、自分自身が考え抜いて決めた方がいいような気がするのである。

 

サラリーマン生活を送っていると、実に様々な悩みを抱えることになる。
自分の進路、子供の進学、家庭の問題、親のこと、住宅の購入………。
そんな時、私もそうだったが、あなたも必ず人のアドバイスを受けたいと思うし、自分が持つ悩みについて記述してある本を読みたくなる。
また、サラリーマンを取り巻く環境というものも結構複雑であり、そんなあなたに対し、会社の先輩や上司は、どちらかというと、アドバイスをしたがる傾向にある。
また、世に出ている様々な本も、こうした時には、「ああした方がいい」「こうした方がいい」と洪水のようにあなたに迫る。
以上は、決して参考にならないわけではないが、何が何だかわからなくなりさらに悩むということになる。

 

そんな時の解決法は一つであるように思う。あなた自身の頭でトコトン考え抜くことだと思う。自分の心に正直になり、考えて考え抜いてそれ以上考えられなくなるほど考えることだと思う。
当事者は、相談相手ではなく、自分自身なのだと思う。独立人としての自分自身だと思う。
そこには、自分自身が下したという拠り所がある。

 

しかし、サラリーマンはそれは、わかっているようでいて、なかなか実行できないものである。
サラリーマン生活では、重要な問題は、最終的には自分で決める! 自分で結論を出す!ということが必要ではないかと思えるのである。

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

自分の設計図を書き換えながら進む

サラリーマンが、なぜ、毎日毎日会社に向かうのかという問題は、結構いい問題だと思う。
もちろん、日々の暮らしのためということもあるが、 自分自身の「設計図」があるから、会社に向かうのではないだろうか。

 

その「設計図」には、自分の将来の暮らし、子供の教育、 家の購入、車の購入、海外旅行の企画等色々なことが溢れるばかりに入っている。
そして、サラリーマンにとって、この「設計図」を持つことは重要だ。
様々な嫌なことを乗り越える「原点」にもなるからだ。
こんな「設計図」を持たずに、毎日毎日、会社に向かうということならば、 考えただけでも頭がおかしくなってくる。

 

さて、問題はここからだ。
この「設計図」が狂う場合があるのだ。
自分の昇進や昇格を前提に、「設計図」を組んでいる場合もあるだろう。
また、現在の勤務地を起点に、「設計図」を書いている場合もあるだろう。
ところが、そこにさまざまな予期せぬ出来事や、予期せぬ展開が襲ってくる。
自分や家族に、ケガや病気が襲ってくるということもあるだろう。
突然の転勤、異動、配置替えということもあるだろう。
自分が思い描いたよりも、厳しい社内評価が与えられることもあるだろう。

 

そんな時に、この「設計図」をどうするかである。
私の長年のサラリーマン経験よりアドバイスしたい。
結論から言えば、こうした場合は、「設計図」を書き換える必要がある。
自分の思惑通りに進まないのが実社会であり、サラリーマン生活なのだ。
むしろ、自分の思惑通りに進むことの方が稀なのがサラリーマン生活なのだ。

 

この当初立てた「設計図」にこだわっていては、前に進まなくなるのだ。
なぜなら、事態は、違う方向に舵をとったからだ。
当初の「設計図」に固執したい気持ちはよくわかる。
しかし、ここは、辛いかもしれないが、大人になって、そして冷静になって、「設計図」を書き換えるのだ。 柔軟に対応するのだ。

 

ただ、重要なことは、書き換えることはあっても、「設計図」そのものは 持っていなければならないということだ。
これが、また明日からの自分の拠り所になるからだ。
そう、サラリーマン生活には、「設計図」は必要だが、 状況の変化に合わせて、書き換えて進むのだ。
この柔軟性も、サラリーマン生活には必要なのである。

 

 

 

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付き合いたくない人とは付き合わない

サラリーマン社会の難しさに、付き合いたくない人と付き合わなければならないということがある。
本当は、付き合いたくない人と決め打ちすること自体が間違っているのかもしれないが、人の好き嫌いに理屈はないのも事実である。
極々稀に付き合っているうちに自分が思っているほどの人ではないなと評価が変わることがあるが、やはり、大部分は、苦手な人はどこまで行っても苦手なのである。
多くの書は、「自分が心を開いて、相手のよいところを見つけなさい」と、そんな類のことを言う。
しかし、ここで思い切って言うならば、やはり自分の苦手な人と付き合ってみても、ろくなことにはならないことが多い。
ここでは、そんな苦手な人とどう付き合っていったらよいかを共に考えてみたい。
ただし、ここでことわっておきたいが、苦手な人との付き合いが業務ならば、そんなことを言ってはいられない。文字通り仕事上のことなのである。ここは、是が非でも割り切って対応してもらいたい。
ここで述べることは、日本のサラリーマン社会の大きな特徴である酒の席そして、そこから派生するプライベートな部分の付き合い方である。

 

前述したように、日本のサラリーマン社会の大きな特徴に酒の席がある。
プライベートな飲み会ならば、自分の苦手な人と一緒になることはまずないが、オフィシャルな飲み会というものも日本のサラリーマン社会では結構多い。
会議のあとの懇親会、同期会、会社主催のパーティーの席………。
そんな時に、苦手な人と同席することになる。
そんなことを考えただけでも、会場へ向かう足は重くなる。そんな酒の席が恨めしく感じてくる。こんなことを感じるサラリーマンは結構多いのではないだろうか。
これが、日常の業務ならば、苦手な人とでも割り切って対応することができる。
しかし、酒の席では、そうもいかないと考える。

 

また、そんな会場に到着したら到着したで、色々、気を遣う。
「この人とだけ話していてよいのだろうか」「あの人の横にも行かなければならないな」「あの人に話しかけないと不自然だ」……。色々なことが頭を交錯するのである。そして、そこに苦手な人がいるのである。

 

さて、一般的に、サラリーマンが苦手と感じる人の代表例は、下記のような特徴を持っている人ではないだろうか。
多分、サラリーマン社会を離れても同じだろう。

 

①ひがみっぽく、絡む人
サラリーマン生活が長くなるにつれ、こういう人が出てくる。
非常に悲しいことだが、サラリーマン生活で、役職に差が出始めるとこういう人が出てくる。
この人たちの多くは、「だいたい今の部長や課長たちは何を考えているんだ。さっぱりわからない」と言い始める。
そのうち、「それはよかったな」と皮肉混じりの口調になっていく。
こうしたことは同期会等でよく見かける。

 

②聖人君子のような顔をして、もっともらしいことを言う人
酒の席で、いつの間にか、人を諭すような口調になる。 酒の席でそんな話は聞きたくないと考えるのが一般の人の思いだ。
この人がいる空間だけポッカリと座が白けているが、気づいていないのはその人だけである。
この人たちの特徴は、年をとっても役目、役職にこだわる。 多分、この人たちは、それがなければ、話を聞いてもらえないということを、本能的に感じ取っているのかもしれない。

 

②自分の素養の披露の場面を窺いながらヒタヒタと近づいてくる人
もしかして、こういう人が一番、キツイかも知れない。
この人たちは、穏やかに傾聴の姿勢をとる。人に意見を言わせる。
そして、ここで、自分の意見の登場だ。
自分の素養を示しながら、上から目線で自分の意見を言う。
この人たちの特徴は、他人の知り合いの話には即座に否定したり、首をかしげるが、自分の知り合いの話は100%正しいと言う。
世の中、これほど失礼なことはない。 それならば、人に意見を聞いたりしなければよいと思う。

 

さて、話を本題に戻そう。
上記に代表されるような苦手の人には、サバサバと対応した方がいい。
長居は無用だ。ちょっと話をして、さっさと席を離れた方がいい。
ここで長居をすると、ろくなことにならない。間違っても、飲み直しに行ったり、ゴルフやプライベートの約束などしない方がいい。
なぜならば、あなたの頭は、どこまで行っても、その人が苦手なのであり、ここで無理をする必要はない。
このことは非常に難しいことだが、そうした方がいい。

 

『サラリーマンの本質』にも記載したが、日本のサラリーマンの特徴に、耐えて耐えて耐え忍ぶということがある。
また、本中に、「『よく思われたい』と思わない」という見出しを立てたが、逆に言えば、日本のサラリーマンは、絶えず人から「よく思われたい」と思っている。
こんな耐え忍ぶこと、「よく思われたい」と思うことが、サラリーマンの大きな悩みの要因になっている。
そろそろ日本のサラリーマンは、こんな状況を卒業すべきじゃないのかというのが私の意見である。

 

自分の経験からだが、自分の苦手な人とは、その後、急に仲がよくなって生涯の付き合いに発展することはない。
それは、サラリーマン生活が後半を迎えると、誰もが経験することだ。
結局は、自分とウマが合う人とだけ付き合うことになるからだ。
結局は、自分の頭は自分に正直な方角に向かっていく。自分の原点に帰っていく。
このことは、逆に言えば、いかに若いうちは、現役時代は、無理をしていたかということを示している。
無理して悩まず、自分の心に正直になることも大切だと思うのである。

 

 

 

 

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趣味の時間配分

ちょっと、変わった話を聞いてもらいたい。それは、趣味の時間配分である。
「え?趣味の時間配分なんて、おかしいじゃないか。自分の思うままにやるのが趣味じゃないのか」という声が聞こえそうだが、最後まで聞いていただきたい。

 

私は、どちらかといえば凝り性で、インターネットを見ているときはそれに没頭し、読書をしている時は、なんとか読み終えようとし、 ガーデニングをしているときは、疲れ切るまでやる。
それはそれで、没頭している時間を持てて、とても楽しいことだが、1日の時間は有限であることも事実である。
そのため、他の時間は、すべて押せ押せとなってしまう。
入浴時間も気ぜわしくなるし、ソファーでテレビを見てくつろぐ時間までも短縮される。
そして、 慌ただしく1日を終えるのである。ゆとりがないのである。
このことは、わかっていても、またやってしまう。

 

しかし、最近、このことに気づき、やりだしたことがある。
おかしな話だが、趣味の時間というものを、「時間配分」することを試みている。
まだまだ、やり始めたばかりだが、例えば、これは、この時間になったら、そろそろやめようと自分に言い聞かせて、実行している。
これが、結構いいのである。
他の時間を圧迫しないようにやるので、なにかゆとりのある1日となるのである。
この「ゆとり」というものが、なにか1日を贅沢にしている。 気も休まってくる。
1日の終わりも、静かで、心地よいものとなってくる。

 

サラリーマン諸氏にとっては、会社外の時間は重要である。
1日のあるいは1週間の体と心の疲れを癒すことは絶対に必要であると考えている。
特にサラリーマンは、なにかと気疲れというものがある。
そのために、会社を忘れて、自分が没頭するもの、あるいは、趣味というものが必要なのだと思う。
それは、別に大げさに考える必要はない。テレビを見ることでもいいし、一杯飲みに行くことでもいいし、おいしいものを食べることでもいい。
要は、会社のことを忘れる時間というものが必要であるような気がしてならない。

 

しかし、 ここで述べた「時間配分」をいうものを実行すると、おかしな話だが、また表現は難しいのだが、さらに1日がリッチになるということを言いたかった。
もし、みなさんが試しに実行したならば、意外と、いいことにすぐ気づいていただけることと思う。
おすすめしたい。

 

 

 

 

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ほどほども肝心

サラリーマンには、几帳面な人もいれば、そうでない人もいる。
どちらかといえば、悩む人は、几帳面な人に多いようだ。

 

さて、こんな経験を持つ人がいないだろうか。
WORDで、文章を作成していると、文字ずれが起きる場合がある。
(勿論、スキルがあれば、こんなことは生じないかもしれないが)
その時に、気になって気になって仕方がない人と、一向に気にもとめない人がいる。

 

気になって気になって仕方がない人は、何度も何度も修正を試みる。
特に文書の仕上げの段階だったり、よい文書を上司に見てもらいたいと思っているときはこの修正を繰り返す。
そんな時に、時間は瞬く間に過ぎていく。 時計を見ると、針はとんでもない時間を指している。

 

およそ、このタイプの人は、文書や仕事の完成度にこだわる。
この人たちにとっては、完成度が90%に達した時、ここからが正念場の仕事になる。
そして、残りの10%のために、90%に要した時間よりも長い時間をかけたりする。
この感覚は、学生時代の試験の準備に似ている。
私は、95点を取る人と100点を取る人とでは、勉強量に相当な差があるのではないかと思っている。
すなわち、その差5点の獲得のためにかける時間は相当なものではないかと思っている。
勉強をよくした人は、きっとそんな実感があるだろう。
しかし、学生時代はそれはそれでよかった。この5点の差の中で、優劣や順位が決まるということが往々にしてあったからだ。

 

しかし、サラリーマン社会では、学生時代と同じようにこの差5点は、本当に重要な意味を持つのであろうか。
意味がないとは決して言わない。またその几帳面さや仕事の完成度はきっと評価されると思うが、
サラリーマン社会では、私の経験を基にすれば、だいたい答案ができていれば○である。
むしろ、答案を提出したということ、その提出のスピードに重きが置かれる。

 

ここが重要なことだが、サラリーマンにとって、会社からあるいは上司から課題を求められたとき、
答案を、「出す」ということは絶対必須条件である。
しかも、早く出すか遅く出すかで、評価が異なる。
ここを深く認識してもらいたい。 とにかく答案用紙を「出す」という動作こそが重要ということだ。
ここを、決して、自分のペースで考えてはならないのである。

 

さて、長年サラリーマン生活を送ってきた私の感想だが、
細部にこだわり、完成度高く仕事を進める人は、サラリーマン生活で間違いを起こすことは極めて少ないだろう。
また、きっと、会社や上司から評価も得られるだろう。
しかし、こういうタイプの人は苦労性となる。労働時間も長めとなる。
実は、私がこういうタイプだった。
今になって振り返ってみると、この細部を気にし、完成度を高める作業は、労力に比し、たいした問題ではなかったのではないかと思えてくるのである。
それよりは、サッサと答案用紙を提出して、違うことやリフレッシュの時間にあてるべきだったのではないかと思えてくるのである。

 

今の私はというと、物事をなるべくさっさと済ますようにしている。
報告する書類があるときは、さっさと書き、ざっと読み返してすぐに提出するようにしている。
それよりは、さっさと済ませることにより、違うことをやる時間を生み出したいと思っている。
この違うことの中には、勿論、早く家に帰って、リラックスしたり、趣味の時間に あてることも含んでいる。

 

『サラリーマンの本質』では、冒頭の第一議題から第二議題にかけて、サラリーマンの仕事のやり方を記述した。
その中で、「『手離れ』を早く」という項目を立てた。
この「手離れ」という言葉は、読者から結構受けた。
この「手離れ」という言葉は、さっさと自分の手元から課題や問題が離れていくことをイメージしている。
このさっさというところが肝心なのだ。
要は、サラリーマン生活では、このさっさという感覚が非常に大事で、この感覚を覚えるようになると、色々と会社外のことも含めて楽しめるのではないだろうか。
細部にこだわり、完成度を高めることも重要だが、「何事もほどほども肝心」なのである。
それよりは、さっさと「手離れ」して、違うことをやった方がいいと思うのである。

 

 

 

 

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