新任地でのスタートは職場への手土産から

新任地でのスタートは職場への手土産から

 

新任地に赴くときは、みなさんを待つ職場の人に、手土産を持って行ってもらいたいと思う。

 

そんな職場への手土産を形式と考えるかどうかは、みなさん自身が決めることだが、私は、意外にそんなことで、新任地でいいスタートを切ることができるのではないかと思っている。

 

私も会社員生活が長かったため、サラリーマンのみなさんにとって、新任地への赴任が全部が全部、栄転ではないことはよくわかっている。
栄転のときは、新しい職場や新任地で担当する得意先への手土産を一生懸命考えることができる。
しかし、そうでないときは、そんな気も薄れはずだ。

 

だが、そんなときこそ、新任地に思いを馳せてもらいたい。
新任地でみなさんを待っている人のことを考えてもらいたいと思う。

 

そして、そんなときこそ、サラリーマンの踏ん張りどころなのである。
ここで、気分を切り替えて、手土産に自分の思いを乗せる。
そんな思いは、みなさんを待つ職場の人は、きっとわかるはずである。

 

赴任した直後は孤独なものである。
そんなとき、みなさんの手土産を食べた職場の人から「これ、おいしいですね」と言われたら、なにか、そこから上手くいくような気がしないだろうか?
なにか、心の拠り所のようなものを感じないだろうか。

 

私は、たかが手土産だが、「なにか上手くいく予感」といったものが、とても大事な気がしてならない。
だから、手土産をいろいろ考えてもらいたいのである。

 

しかし、意外に、職場への手土産を選ぶことは難しい。
地方から東京などの大都市に赴任した場合は、地方の銘菓があるので選びやすいが、逆に東京から地方へ赴任する場合、どんなものを持って行っていいのか、けっこう悩む。

 

私は、職場などに持って行く手土産は、難しいが、ポイントもあるような気がする。

 

いちばん重要なことは、当たり前に聞こえるかもしれないが「おいしい」ということである。
だが、ここでいう「おししい」は、見栄えよりも、値段よりも、店名よりも、なににも優先されるということである。
ここが若干、接待の手土産と異なる点といえる。

 

そして、何らかの関係で、自分と縁があるものだと、なおいい。
私は、東京から地方に赴任したとき、当時神奈川県に住んでいたこともあり、鎌倉にある豊島屋の「鳩サブレ―」を選んだ。

 

その縁は、自分の地と関係があるものでもいいし、自分が食べて「おいしかった」という実感でもいい。
そんなことを考えると、自分の地にある銘菓は、普段、食べておく必要があるのもしれない。

 

 

さて、手土産と言うと、すぐに接待や得意先訪問を連想する。
私は、営業経験が長かったこともあり、手土産にはけっこうこだわりを持っている。
拙著 『なぜ「できる社員」はビジネスマナーを守らないのか 』でも、なんと「『できる社員』は手土産を席の横に置く」「『できる社員』は接待の手土産を自分で選ぶ」「『できる社員』は手土産をケチらない」と3項目を立てた。

 

しかし、「ナンセンス!」と言う人がいるかもしれないが、意外や意外、ビジネスの世界にあっては、職場への手土産は、それ以上に重要かもしれない。

 

いま、接待用の手土産については『「こちら秘書室」公認 接待の手土産 2016 (日経ムック) 』という本も発売されているが、職場への手土産の本もあったら、おもしろいと思う。

 

 

手土産で一番重要なことは、贈る人の気持ちである。
新任地の手土産選びは、けっこう難しいかもしれないが、考えながら選ぶということが一番大切だと思う。
そうして選ばれた手土産は、相手もわかるからである。そして、そんな手土産は、きっと喜ばれるに違いない。

 

新任地で、みなさんに「うまくいく予感」が訪れることを祈っている。

 

綾小路亜也

 

 

 

 

 

 

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サラリーマンで居続けることは難しくなっている

ある人がこんなことをTwitterに書いていた。
「今の日本はサラリーマンで居続けることが難しく逆にリスクである」
まったくその通りだと思うのである。
そして、今の時代は、そんなことを感じ取っていないとサラリーマンで居続けることは難しいと思うのである。
また、居続けるリスクも考えておかないと、急遽大転機を迎えたときに、慌てふためくということになると思うのである。
その意味で、このツイートは非常に重くかつ極めて的を射ていると思うのである。

 

それでは、なぜサラリーマンで居続けることは、難しくなってきているのだろうか?
それは、各企業は「サラリーマンの働きに見合った報酬」を強く考え、これからもいっそう加速していくと考えられるからである。
そして、仕事の成果が報酬に見合っていれば、居続けられるということだと考える。

 

ここを整理すると、次のような図式になる。

 

仕事の成果>報酬
この場合は、企業はこの人たちの報酬を上げたり、役職を昇格させていくだろう。
しかし、これからの時代は、この群の人たちは、より自分を評価する先に転職したり、起業したりする動きをいっそう強めていくと思うのである。

 

仕事の成果=報酬
この場合は、役職と報酬が継続される。

 

仕事の成果<報酬
この場合は、役職やランクダウンが、またそれに伴って報酬ダウンがあると思われるのである。
そして、段々と、仕事の成果<報酬 の人は、企業に居続けられなくなっていく。
そんなことを言うと、「いや、そんな場合でも居続ければいいじゃないか」と言う人は多いと思う。
しかし、長年サラリーマンを経験してきた私から言えば、この群の人たちは、自分の処遇と評価をめぐり会社と摩擦を生じたりして、残念ながら去っていくことが多いのである………。

 

私がサラリーマンを始めた頃は、会社から「これからの時代は、4人に1人しか課長になれないぞ」と脅かされてきたが、実際はそんなことはなかった。
とにかく、一生懸命やっていることが重視され、一生懸命やってさえいれば、会社に居続けることはできたのである。
もちろん、成果による差は存在したが、大した差ではなかったのである。
つまり、一生懸命やっていればいいという時代は終わり、まさに成果によりサラリーマンの行く末が左右されるという厳しい時代になったということである。

 

ここで、私はみなさんに、とっておきのアドバイスを送りたい。
いつも私のブログを見ていただいているみなさまに、とっておきのアドバイスを送りたいのである。

 

こんな状況の中で、「成果、成果!」と言われると、サラリーマンの人は何をやっていいかわからなくなってしまうと思うのである。
気ばかり焦り、追い詰められてしまうのである。

 

問題の根幹を見極めてもらいたい。上記成果と報酬のバランスはなにを意味しているだろうか?
これは、生産性を意味しているのである。
すなわち、生産性が高い人は、生き残れるし、優位に立てるのである。

 

実は、この仕組みに気づいている人はだれかと言うと、外資系コンサルである。
外資系コンサルが書いた本をよく見てもらいたい。本のタイトルやサブタイトルに、でかでかと「知的生産」あるいは「知的生産術」と書いていないだろうか? 「生産」という言葉が使われていることに留意してもらいたい。
本当は、この「知的」という部分にも重要な意味があるが、はしょれば、外資系コンサルが書いた本は、生産性を上げるための本なのである。

 

そして、ここも、「生産性」と考えると、また、訳がわからなくなってしまうので、言葉を置き換えていこう。
生産性の分子は、なんだろう?
それは、生産物である。ビジネス社会では、生産物=成果物である。ここでもまた、成果物という言葉が出てしまう。
そして、ここで、成果という言葉を他の言葉に置き換えるのである。
「仕事の量」という言葉に置き換えてもらいたい。
しかし、厳密に言えば、「仕事の量」と「成果」とは違う。
それでは、より近い形の「こなしている仕事の量」ではどうだろうか?

 

そう、「成果、成果!」と考えると、ピンチを脱出できないのである。
「とにかく、オレは、仕事の量をこなすんだ」と思ってもらいたい。
「仕事の量」をこなすと考えれば、できそうな気がしないだろうか?
具体的イメージが湧くのではないだろうか?
もっと言えば、どんな些細な仕事でもいいから、自分が関わって、そして実際にやることにより「仕事の量」を増やしてもらいたいのである。
そうすれば、あなたは、絶対に生き残ることができる。
そればかりでない、必ず企業から重宝される。そして、そればかりでない。あなたは、「こんなにオレは仕事をやっているんだから、自分で事業でも起こしてみるか」と考えるかもしれないのである。

 

このことは、おそらく、どのビジネス書にもどのセミナーでも言われていないことである。
私も、実は、サラリーマン時代にこのことに気がつかなかったのである。そして、それ以降も、毎日のようにビジネス書を読んではいても気がつかなかったのである。
あなたは、もう一度、自分の頭で、この「仕組み」を考えて、ぜひ、会社にも、他の人にも優位にたってもらいたい。

 

 

 

 

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人事異動で自分の期待通りにならなかった人に向けたエール

今年も、だいたいの企業で人事異動の発表が終わった。
人事異動で飛び跳ねるような気持ちで新任地に赴く人、悔しさを自分の心に秘めて新任地に向かう人、さまざまである。
私は、前者の人には心から「おめでとう」と言い、後者の人には心から「頑張れ!」と言いたい。
そして、私は、特にこの悔しさを心に秘めて旅立つ人に、励ましの言葉を送りたい。

 

それは、この悔しさは、企業で働くビジネスマンしかわからない気持ちだからだ。
自分の期待通りの人事異動とならなたかったときに、「なぜなんだ!」と不満を顕わにする人は、その行為は決してほめられたものではないが、まだその人には、そんな自分の思いをストレートに表現できるという救いがあるような気がする。
しかし、多くのビジネスマンは、そうではない。心に思うことがあっても黙って結果を受け容れ、不満は自分の心にしまっているのだ。
私も、そんなことをいったい何度経験してきたことか。
異動発表後、外に出て、空一面が橙色に見えたこともある。家に帰って何日も寝つけなかったこともある。
私の知り合いには、立っていることもできなかった人がいる。

 

しかし、世の中、何が幸いになるかわからないということも、ぜひ知っておいてもらいたい。
私の場合、そんな気持ちで向かった新任地が忘れがたい地となった。心から決して離れることがない地となった。
また、もしあなたが非常に優秀で、同期に若干遅れを取った結果となった場合、そんなことが長いサラリーマン生活の上で、ビハインドになることはない。
むしろ、会社は、「試し」で、あなたの同僚を先行してあるポストに付けたのかもしれない。
会社が思う本命の人は、人事異動では、よく二番手、三番手に登場することが多い。こういう人には、会社もじっくり考えてポストを与えていく。
実際、これは企業ではよくあることなので、ぜひ、知っておいてもらいたい。

 

さて、人事異動には悲喜こもごもだが、その中で、「悔しい」と思う気持ちはどこから生じるのだろうか?
それは、多分、「自分の今までの努力が正しく評価されなかった、それなのに、あの人は……評価された……」ということではないだろうか。
そんなとき、非常につらい作業だが、新任地に赴いたら、一度、あなたの前任地での目標シートというものをじっくり見てもらいたいと思っている。
我々ビジネスマンは、「目標」というと、直観的に数値的なものをイメージしてしまう。しかし、多くの企業は、目標を業績面と行動面とを分けているのである。
その行動面での評価はどうであったかを、よく考えてもらいたいのである。
それは、抽象的だが、組織運営、組織参画、積極性、協調性、部下指導、傾聴、革新性、情報リテラシー……などが書かれてあるはずである。
日本の企業の場合、確かに日常的には、営業成績などの数値が問われるが、こと人事評価、あるいは人事異動に関しては、行動評価面が重視される傾向がある。
ここのところを、もう一度、あなた自身で振り返ってもらいたいと考えている。

 

そして、「このことだったのか……」と思うところがあったら、転勤と同時に、ちょっと自分自身で変化をつけてもらいたいのである。
そうすると、転勤自体は非常に意味あるものとなる。
それは、もし、あなたが、今の職場に勤務を続けていたとしたならば、この行動評価で貼られたレッテルはどうしてもはがれにくいからである。
そういう意味では、転勤は、転機になるということなのである。
前の職場では評価を得られなかったが、新しい職場では評価を得られたという人などは、山の数ほどいるのである。
だから転勤は、決して捨てたものではないのである。意味のあるものなのである。
ここからあなたの転機が始まるのである。ここからあなたの反撃が始まるのである。
だから、前を向いて、新任地で頑張ってもらいたいと思うのである。

 

さて、もし行動評価がピンとこない、あるいは腑に落ちないという人がいたら、それを「仕事の進め方」に置き換えてもらいたい。
つまり、あなたの「仕事の進め方」が評価対象であったということになる。
そして、ビジネスマンである限り、自分の「仕事の進め方」を振り返り、改善していくことは必要なのである。

 

考えてみれば、ちょうど昨年の今頃、悔しさを胸に新任地に赴く人向けに「保存版 悔しさをバネに」というブログを書いた。
また、70項目に及び「ビジネスマンの守る技術」は、まさにビジネスマンの「仕事の進め方」を書いたつもりである。
そして、『サラリーマンの本質』も、ビジネス社会で苦戦している人の「仕事の進め方」の対処法を書いたつもりである。
ぜひ、参考にして、新任地で頑張ってもらいたい。
応援している!

 

 

 

 

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「いきなりアウト」の時代を生き抜く

私は、今のビジネスマンは、「いきなりアウト」の時代を生きていると考えている。

 

それは上司との関係が希薄になったからである。
現在、多くの企業が、年度ごとに目標制度というものを採用している。
確かに、目標設定時、中間評価時、期末評価時には、上司との対話があるのだが、所詮それだけにすぎない。
そして、年度の終わりに、上司からこう言われるのである。
「オレは、こう思っているんだ。君はこれとこれの意識が足りない。また、この項目は不十分だ」と。
これを野球にたとえれば、打席に立ったものの、一球目、二球目、三球目とも瞬きもできないほどの剛速球で、バットに当てることすらもできずに、呆然とベンチに引き揚げるといった状態である。
つまり、「いきなりアウト」といった状態である。
そして、「アウト」と告げられたあと、あなたを待っているものは、配置転換や異動かもしれない。

 

唯一「いきなりアウト」という状態にならない方法は、「気づき」である。
日ごろから上司や職場の仲間の言動に注意を払い、自分を改善する方法である。
しかし、自分のことは、意外にわからないものである。
自分のどの部分を直さなければならないのか、わからない。これが現実である。

 

昔のことを言ってもしようがないが、昔は、「いきなりアウト」ということにはならなかった。
それは、今ほど、ビジネスマンの業務密度というものが濃くなかった時代があったからだ。
つまり、上司、部下とも、まだまだ業務に、気持ちに余裕があった時代があった。
そこには、「飲みにケーション」なんて堅苦しい名前がつかない自然と湧き出た上司との飲み会もあったし、日常業務でも上司から先輩から、よく指導を受けることができた。
先ほどの野球にたとえれば、こんな状態だったのではないだろうか。
まず打席に入る前に、上司からこと細かに注意をもらう。
バッティングフォーム、相手投手の球種、癖なども教わる。
そして、一球目が来た。速い。手が出ない。思わずあなたは、ダッグアウトの中の上司を見る。
上司は、微笑んでいる。頷いている。
そして、あなたは、2球目を待つ。今度も速い。見逃した。
また、あなたは、ダッグアウトを見る。上司は、なにか言っている。そして、あなたは、そのなにかがわかった。
3球目を待つ。速い。しかし、あなたは、今度は、バットに当てることができた。
そして、試合が終わる。上司は、あなたのところに駆け寄り、先ほどの打席のアドバイスをするのである。

 

いつから上司と部下との関係が形式的になり、希薄になっていったかは、定かににはわからない。
1996年から始まった日本版ビッグバンあたりではないかと思っている。
規制緩和が始まり、さまざまな企業が事業領域を大きく拡張した。参入障壁の撤廃が始まった。
それまでは、銀行と言ったらわれわれがイメージするままの銀行だった。生命保険会社といったら文字通り生命保険を取り扱う会社であった。
また、多くの企業が社名そのままの事業を行っていた。
ところが、その頃から、規制緩和とともに各企業の事業領域が拡大していった。そしてその流れは、今も受け継がれている。
この点は、専門書に譲るとして、言いたいことは一つ。ビジネスマンは、忙しくなったのである。

 

上司も部下もさまざまな業務が加わり、忙しくなっていった。業務密度が濃くなっていった。
そして、その流れは今も変わっていない。
また、日本の企業は、その後も、ITバブル崩壊、リーマンショック等の危機にも遭遇するのだが、たえず経営努力といった形で乗り越えてしまう。
その力は、本当にすごいと思うが、ビジネスマンは果てしない業務の拡大、業務効率の改善に取り組まなければならなくなる。
平たく言えば、ビジネスマンは、これからも、忙しくなるということだ。
こうした環境の激化により、部下は、業務外での「飲みにケーション」を好まなくなったのではないだろうか。
へとへととなった上に、会社の延長線上の飲み会など勘弁してくれと思うようになったのではないだろうか。
一方、上司も、幅広く課題と責任を持つこととなったために疲れている。会社業務が終わると、一刻も早く家に帰り疲れを癒そうと思うようになったのではないだろうか。
つまり、上司、部下双方疲れているのだ。「飲みにケーション」を始めとするコミュニケーションの場は著しく減っている。

 

こんな状態の中で、あなたは、会社から上司から評価を受けなければならない。
「結果宣告」だけの厳しい時代である。
それには、あなた自身で自分の業務の進め方に気づき、修正していかなければならない。
しかし、自分で自分のことを知るということはなかなか難しい。
その気づきのパートナーの役割を果たすのがブログ「守る技術」、そして『サラリーマンの本質』と考えてもらえば幸いである。
私は、決して名選手であったわけではない。
エラーも、三振もよくした平凡な選手である。
ぜひ、みなさんの仲間だと思っていただきたい。
そして、 打席に入ったあなたが、わからなくなったときにダッグアウトの中にいる監督を見るように、活用いただければ幸いである。

 

 

 

 

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言い訳を言おうと思ったら切りがなく言える

前もってことわっておくが、ここでのテーマは、言い訳がいいとか悪いとかという話ではない。
むしろ、言い訳は事実に基づいた側面も確かにあるのである。
それならば、非常に難しいテーマではあるが、言い訳ってなんだろうということになる。
ここでは、それを考えてみたい。
言い訳を言おうと思ったら、切りがなく言える。これは真実である。
これは、どんな例でも実際に言い訳を考えてもらえば、次から次に言えることに着目してもらいたい。
そして、言い訳というものは、決して嘘ではないところがミソなのである。言っていること自体はあたっているのである。
このことにも着目してもらいたい。

 

拙著『サラリーマンの本質』では、不祥事を起こした人の言い訳も題材にしている。
次の例を取りあげている。
ある建設会社に勤める社員は、まったくいい加減な見積もりを作って問題となった。
「なぜいい加減な見積もりを作ったのか」と聞かれた社員は次のように答えている。
「見積もりを作る時間がなかった」それは、「作ろうと思った時に、会議があったからだ」と答え、続いて、「だいたい、今の上司は、指示事項が多すぎる。その対応に時間がかかる」「この職場自体もトラブルが多すぎる」と言い、それだから、「ちゃんとした見積書を作る時間がないのだ」と主張する。
その挙句に「上司に、『あの件の見積書はまだか』と怒鳴られたので、いい加減な見積書を作らざるを得なかった」と言うのである。

 

ここで重要なことは、彼が主張することは、事実としては確かに存在するということである。
確かに、その日に会議があったことも事実であるし、彼が所属する上司も細かく色々な指示を出すことも事実である。そして職場自体もトラブルが多いことも事実である。また、彼がいい加減な見積もりを作った日に、上司が怒鳴ったことも事実である。
「それならば、自分で色々時間をやりくりして、見積もりを作ればよかったじゃないか」と至極当たり前の意見が出そうだが、彼は、できなかった様々な事実を主張するのである。

 

私は、この例は、不祥事の典型的なパターンの一つだと考えている。
不祥事には、金銭の使い込み等の目的を伴ったものもあるが、自分のやるべきことをさんざん放置した挙句に、あることを実行する場合も多い。
例えば、この例のようにいい加減な書類の作成、虚偽の書類の作成、売上の架空計上等がある。
しかし、こうした場合、不祥事を起こした人は、事実に基づいて様々な言い訳を主張する。

 

さて、ちょっと視点を変えてみよう。 こんな例もある。
私の知り合いに、SNSやSEOというものにものすごく詳しい人がいる。
しかし、彼は、自分のビジネスではなぜか、利用しないのである。
その理由を聞いてみると、「なるほど」だと思う。
「今、違う仕事が立て込んでいる」「現在の仕事に精一杯取り組んでいるから、家に帰るとぐったりするんだよ」と言い、その挙句に「だいたいSNSやSEOというものは、専門家でなくては本当に有効な手段を講じ得ないものなんだよ」と言うのである。
聞いている方は、すべて「なるほど、なるほど」と思うのである。

 

しかし、一方では、新聞や雑誌を見ると、サラリーマンを続けながら、自分の特技である漫画を雑誌社に売り込み、そうしたことから漫画家になったとか、働きながら日経小説大賞に応募し受賞したとかの記事を見る。
確かに音楽家や小説家も、俄かにそうなったわけではなく、働きながら才能を蓄積し、デビューした人も多い。
小倉佳もそうだし、私の大好きな松本清張もそうである。
また、私の知り合いにも、働きながら資格を取ったり大学院に行ったという人もいる。
こうしたことに、「それは、その人だからできたんだよ」「最初から、才能があったんだよ」と言う人もあり、「だいたいこういう人たちは、みんな体が丈夫だ」「環境にも恵まれていたのかもしれない」と言う人までもいる。

 

もっと身近なことを言えば、サラリーマンでも家で本を沢山読んでいる人もいる。
サラリーマンでいながら、サッカーや野球、ラグビーの監督やコーチをしている人もいる。
休日に、テニスやゴルフをやる人もいるし、旅行にしょっちゅう出かける人もいる。
地域の会やボランティア、また俳句の会などの趣味の団体に入っている人もいる。
こうした人には、多分、「その人たちは余裕があるんだよ。お金もあるんだよ」「家庭で心配することがないからだ」と言う人もいるだろう。
確かに、家で両親や、子供の面倒を見なくてはいけない人も本当に多く存在するであろう。やりたくてもできない人も絶対にいることは間違いない。
また、本人の健康の問題も絶対に存在するのだと思う。

 

さて、今までのことを考えてみると、何がなんでかわからなくなってくる。
「やった」「やれなかった」という区分けをするならば、色々なことを「やった」あるいは「やっている」という人もある反面、今の環境下では、「到底できない」「やれない」という人もいるのである。
そして、この「できない」「やれない」には、それなりの理由が存在するのである。
しかし、先の不祥事の例は、確かに色々な事実も存在するが、業務として絶対にやらなければならないことであり、それを言い訳にしてはならないと考える。

 

ここで、私は、どんな場合でも言い訳を言わない人は成功し、充実した生活となるなんて野暮なことを言わない。
もしかしたら、言い訳という言葉自体が悪いのかもしれない。
この問題には正解がない。
しかし、言えることは、先の不祥事の例のような業務上のことは、いくら言い訳を挙げても、所詮はやらなければならないことであり、このやらなければならないことをどう処理したかに、矢は戻ってくる。
問題は、その他の場合である。
ここで私は、思うのである。
自分がそうしなければならないと思いつつもやらない場合、これが言い訳であり、現在の仕事の状況、家庭の状況、環境等で、そうは思わないときは、言い訳ではないのだろう。
仮に、「こうしたいな」と思っていても、現在の環境、家庭の状況、現在の仕事の状態から、とてもそんな状態ではないときは、言い訳なんていう言葉が浮かぶわけがない。
そう考えてみると、言い訳の矛先は、自分であると考えるのである。まさに言葉の意味通り、自分への弁明、弁解ということになる。
自分が目的を持っているにもかかわらず、自分で立ち上がらないとき、実行に移さないときは、自分の心に正直に聞いてみる筋合いのものである。その時、自分で判断するものである。
しかし、重要なことは、言い訳を言い出したら切りがなく言えるということにもぜひ、注意してもらいたい。

 

 

 

(参考)先の不祥事の例は、『サラリーマンの本質』第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の4.「主体を見せない人」に記述している。
参考にしていただきたい。

 

 

 

 

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組織の人を自分に慣らす

私の知り合いにA君という有能な男がいる。彼は、仕事をバンバンこなすし、会社に対しても意見具申を行う。そして時には、実効性の高い企画も提案する。社内の誰もが、彼を、アグレッシブなできる男と思っている。
私も、相談事があると、まず彼を頼りにする。
ところがである。相談の電話を入れると、彼が休みを取っていることが多いのだ。
ここからが肝心である。ここからが、ここでの論点である。
電話をして、彼が休みを取っていることを知っても、「あ、そうか、休みを取っているのか」くらいに思うだけで、他に何も思わないのである。
仮に何か思ったとしても、「彼独特のやり方でリフレッシュしているんだろう。時間をうまく使っているな」くらいにしか思わない。
きっと、他の人も、そうであろう。
みんな彼が、時々休みをとることに、私も含め周りの人が慣れているのである。

 

確かに、彼の休みの取り方は上手い。そして、何よりも彼がすごいなと思うことは、みんなを、休みをとることに慣らしていることである。
こう言うと、「それは、彼が、日頃頑張っていることを誰もが知っているし、評価も高い。だから、そういうコンセンサスが組織に出来上がっているんじゃないのか」と、言う人はきっといると思う。
それは、実際あると思う。また、彼自身も「日頃頑張っているのだから、ちょっとした休みくらいいいだろう」と、きっと思っていると思う。
しかし、一方で、家庭の用事があっても、休みを取ろうか取るまいか、あるいは、それをいつ上司に、周りの人に言おうかと悩んでいる人とは正反対ではないだろうか。
むしろ、休みを取ろうか、取るまいかと悩んでいる方が普通のサラリーマンだと思う。
私が、言いたいのは、サラリーマン生活では、周りの人に慣れてもらうということが、結構必要なんじゃないかということである。
例えば、毎週水曜日、通院することだってありうる。その時、結構周りの人は、そのことを知り慣れているのではないだろうか。
「○○さん、水曜日の夕方って病院だよね。じゃあ、ミーティングは、木曜日にしよう」とか慣れてくるのではないだろうか。
慣れてくると、水曜日の夕方が来て、通院のために早退すると、「おつかれさま」という声まででてくる。
そんなものなのではないだろうか。

 

もう一つの例は、私の同期に社会人大学院に通った男がいる。授業は、夜行われているようだったが、サラリーマン生活では、夜にミーティングが行われたり、接待が行われることは、日常茶飯事である。
彼は、当時、課長という役職だったが、上司も、みんなも、彼が絶対に授業に出なくてはならない日は、ミーティングや接待を入れないように協力してくれたという。
この話を聞いた時、私だったら、「火曜日と金曜日は、どうしても授業に出なくてはならないんです。ご協力お願いいます」とは、ちょっと言えないなと正直思ったが、周りの人が協力してくれたという。そして、彼は、大学院を卒業したのである。

 

サラリーマンの大きな特徴に組織で働くということがある。
組織で働くゆえに、周りの人を気にし、「今の課の状態を見たら、休みなんて取れないよな」とか、みんなの働いている姿を見たら、「早く帰れないよね」と思う。そう思うのは、むしろ当然である。
しかし、周りの人にも慣れてもらうということも必要なのである。
夜の英会話、習い事、PTAの会合、マンション管理組合の用事、通院………。考えたら、行かなければならない用事は結構あるのではないのか。また、そんな用事が、週の中の特定日にあるため、「ちょっと、無理だよな」と、諦めているのではないだろうか。

 

このみんなに慣れてもらうという手始めに、水曜日早帰りというのはどうであろうか。毎週毎週、水曜日は、必ず早く帰る。
毎週、水曜日早帰りを実施したならば、周りは、すっかり慣れてしまうものである。
そこには心配していた何の違和感もないし、わだかまりもない。
こんなことから、周りを慣らしてもらいたい。

 

なぜ、私が、こういう話題を持ち出したかというと、サラリーマンは総力戦なのである。
会社での業務に一生懸命取り組むことも重要だが、それだけではダメだ。家に帰ってゆっくりくつろぐ、休日はリフレッシュする、旅行に出かける、家族で楽しむ、家で一杯飲む。こうしたことが全部積み重ねっての総力戦なのだ。
潤いと余裕がなければ、持つものではない。
ぜひ、「周りを慣らす」をキーフレーズにして、頑張ってもらいたい。

 

 

 

 

(参考)当ブログの「人はあなたの休みなど気にしてはいない」も是非、参考にしていただきたいと思う。
また、『サラリーマンの本質』の終章 サラリーマンへのすすめ も参照してください。

 

 

 

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一区切りをつけてから帰ろうと思わない

「一区切りをつけてから帰ろうと思わない」に対し、多分、「えっ?」と思う人が多いと思う。
確かに、私たちは、学生時代もそしてサラリーマンになってからも、ものごとは区切りをつけることが大事であると教わってきたし、実行もしてきた。
学生時代ならば、休憩や寝る前に勉強に一区切りをつける。サラリーマンなら、退社する前に一区切りをつける。これが当たり前の動作であると誰もが、今でもそう思い、実行している。
その通りだと思うが、しかし、サラリーマンの退社前の一区切りに対しては、私は? をつけるのである。

 

実際、一区切りをつけないで退社した場合、気分もすっきりしないし、翌朝、またやりかけた仕事に戻るのも辛い。効率的でないかもしれない。
しかし、一区切りをつけてから帰ろうとすることにも、様々なデメリットもあるのである。
一つは、この「一区切り」がくせ者なのである。サラリーマンなら、この「一区切り」は、結構な時間が必要なことを知っていると思う。
仕事をどんどん進めて、区切りをつける時間帯を迎える。多分、「ここまでやって帰ろう。ここまで完成して帰ろう」と思うはずだ。
そして、この区切りをつける時間は、あっという間に過ぎていく。
気がつけば、時計の針は、とんでもない時間を指している。
そして、こんな時に限って、会社に残っている仲間や上司から、「今日は、遅いし、一杯飲みに行かないか」と声がかかるのである。
そんな時、実は、当初の目的であった「一区切り」がついていないで、飲みに行くのである。

 

私は、「一区切り」は非常に重要なこととは思うが、サラリーマンの残業の源になっているような気がしてならない。
サラリーマンなら退社時間が迫ると、いろいろなことを考えるはずだ。
「今日は、家に帰ってゆっくりしよう」「たまには、家族と夕食を一緒にとろう」「読みかけた本を読もう」「家の整理を使用」、単身赴任なら、「たまった洗濯をしよう」「自宅宛に来た郵便物を整理しよう」………。
ところが、この「一区切り」のために、帰社時間は遅くなり、ただただ家に帰って寝るだけということになってしまう。家族との時間も取れないし、当初考えた思惑も実行できない。
これでは、体が疲れるはずだ。ストレスもたまるはずだ。

 

それならば、いっそ、「一区切り」をつけないで、帰ればいいんじゃないかというのが私の発想である。
と言う私も、これがいかに難しいことはわかっている。骨の髄まで、この「一区切り」が染みついているからだ。
もちろん、みなさんの立場立場というものもあるだろう。ここも十分に分かっているつもりだ。
しかし、私は、最近、実行している。頭に描いた帰社後のことを考え、それを実行するために。

 

もし、「一区切り」をつけたいならば、それは退社前のもっともっと早い時間にやるべきだ。
退社時間から逆算してやるべきだ。
6時に帰りたいと思ったならば、ここから逆算して、帰社時刻を設定する。少なくとも帰社後の整理のことを考えると、3時半には帰社していなくてはならない。ここから書類の整理をする。そして、帰社後の整理が終わったならば、やらなければならない仕事を頭で整理する。
ここから、当日やらなければいけない「一区切り」がわかる。
こんな具合に進めなければならないと思うのである。

 

さて、「日本のサラリーマンの特徴を一つ挙げろ」と聞かれたら、私は迷わず、「残業が多い」と答える。
それほど、サラリーマン=残業という構図が当たり前になっている。
これでは、何のために働くのかという原点を見失うし、毎日毎日が辛いに決まっている。
時間が来たらさっさと帰ることを、そろそろ浸透させていかなければならない時期ではないかと思うのである。

 

拙著『サラリーマンの本質』の中で、ちょっと面白い実際に必ずあるような事例を紹介している。
それは、「早く帰って子供の顔でも見たいな」と思っている社員が、職場の雰囲気から帰ることができない。そこで、そんな場の雰囲気を読んで、パソコン内のファイルの整理など、どうでもいい仕事をしながら、帰るチャンスを窺う。そんな時に、上司から声がかかるのである。「おい、たまには、みんなで飲みに行かないか」と。
もちろん、この社員は、自分だけ行かないわけにはいかないと考え、付き合う。そして、結局は、最終電車で帰るはめとなるのである。
これは、この社員が、自分は「よく思われたい」と思っていること、「よく思われたい」と思わないまでも、せめて嫌われたくないと思っていることの結果でもある。

 

サラリーマンが思い悩むのは、自分の時間を持てないことである。
一区切りをつけてから帰ろうと思わないで、ある時間が来たら、さっさと帰った方がいい。
確かに、気分はすっきりしないかもしれないが、それ以上に、「自分は毎日何のために働くのか」という気分にならないですむ。
つまり、当座の気分はすっきりしないかもしれないが、それ以上にすっきりするものがあるということだ。
ここは、ぜひ、実行してもらいたい。
キーフレーズは、一定の時間になったら帰る。そしてあまり「よく思われたい」と思わないことである。

 

 

 

 

(参考)早く帰りたいと思っている社員が、職場の雰囲気から帰れないで残業をしている時に上司から声がかかり、飲みに行き、結局は最終電車で家に帰るという話は、『サラリーマンの本質』の終章の中の2.「よく思われたい」と思わない に記載している。
ぜひ、参考にしてもらいたい。

 

 

 

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黙さず語れ

「黙して語らず」という言葉は、よくよく考えてみると、会社の上司や年配者から聞かされる場合と、自分がある状態にあるとき、本当にそう思う場合と二つあると思う。問題は、前者の場合の受け止め方である。
また、こででは、よく聞かされる言葉が本当にサラリーマン社会では、真実であるかということも併せて考えていきたい。
サラリーマン社会には、実際、この言葉が好きな上司や年配者は必ず存在する。
あなたが、会議や懇親会の場で、少し饒舌になっている時、上司や年配者は言う。「君、黙して語らずだよ」と。
サラリーマン社会の問題は、このような上司や年配者の言葉は、言う方はいとも簡単に言うけれど、受け側がズシッと受け止めることにある。
私は、拙著『サラリーマンの本質』の中でも記述したが、サラリーマン社会では、それほどまでに上司の存在は大きく、上司の態度、発言が、部下の悩みの一つになっていることは間違いのないことだと思っている。
結論から言うと、私は、上司は、軽々しく自分が思っていること、信念を人に話すべきではないと思っている。

 

それでは、上司は、どうしてこの「黙して語らず」という言葉を使うのであろうか。
その理由はシンプルである。上司がこの言葉を好きだからである。
つまり、上司の価値観から見れば、この言葉が好きなだけであり、それが、あなたにあてはまっているか否かとはまったく関係がないということである。
加えて言うならば、会議や懇親会の場で、部下が饒舌になっている時に、「君、黙して語らずだよ」ということ自体が、根本的に間違っている。それでは、何のための会議なのか、何のための懇親会なのだろうか。
そう言うこと自体が、上司にとって、好きな会議のパターン、好きな懇親会のパターンを示しているのではないだろうか。そんなことは言うまでもなく、あってはならないことである。
そして、もっと次元を低くして言えば、あなたが饒舌になっていることで、自分の出番が少なくなっていることを嫌っている場合も実は、多いのである。上司が饒舌になりたいところ、あなたが阻害したという意味合いもあるのである。つまり、自分にとって、自分の出番にとって、都合が悪いという意味も込められていることが多いのである。
ここは、誰がどう言っても、ここでこの言葉を使う上司が間違っている。

 

サラリーマン社会の難しさはここにある。
例えば、会議に遅刻した、居眠りをした、懇親会でハメを外しすぎたという場合ならば、それは、「事実」に対する指導である。
ところが、サラリーマン社会では、上司は包括的な指導権というものを持っているから、このように自分の価値観から基づく指導(?)も実施してしまうのである。
人の上に立つ人は、そこを混同しないように気をつけた方がいい。
さて、こんな上司のことは放っておいて、「黙して語らず」ということが、サラリーマン社会では本当にあたっているのか考えてみたい。
私の意見は、自分が心でそう思うときは、あたっているような気がする。そうすべきではないかと思っている。
みなさんも経験があると思うが、人を傷つけまいとするとき、ある事実を知っているが、ここはその人に話さない方がいいと思うとき。自分は違う意見を持っているが、その人が情熱的に取り組んでいる姿を見たとき、
こんなときは、「黙して語らず」という道を選択する。
この感覚、感性はあたっていると思うのである。

 

しかし、前述したように、「黙して語らず」を人から聞かされた場合は、それはそう言った人の価値観が含まれているから、あたっているというよりは無視した方がいいと思う。
もし、「黙して語らず」がすべてにあてはまるならば、このHPでも紹介した横浜市長である林文子さんを始めとする実社会で活躍されている人は、どうなってしまうのであろうか。
私は、実際に、林文子さんの講演を聞かせていただいた。また、著書『しなやかな仕事術」を拝読させていただいたが、コンセプトは、「黙さず語れ」のような気がする。
本中、林さんは、ありとあらゆる人に、自分から話しかけているのだ。また、『しなやかな仕事術』の中の「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は上司から」という項目の中で、「〝デンと構えて、多くを語らず〟のスマートな上司だけが、 良い上司とは限りません。」と書かれている。

 

また、「黙して語らず」が普遍的ならば、『営業の神様』ジョー・ジラードを始めとする営業の世界での成功者は一体、どうなってしまうのであろうか。
つまり、「黙して語らず」は、ケースバイケースの言葉であって、自分がそう思う場合に使用すればいい言葉だと思うのである。
前述した上司のように、人が人に言う言葉ではないと思われるのである。

 

さて、ここからが肝心だが、サラリーマン社会では、自分がそう思ったときは、「黙して語らず」の姿勢を取ればいいが、一般的には、「黙さず語れ」の方がいいような気がする。
「黙して語らず」とは逆に、私たちは、普段、こんなことも言っているではないか。「あいつ、何も言わないから、よくわからないよ」「あいつ、何を考えているやら」「あいつ、会議や懇親会の場で何も話さないよ」
要は、自分から語らなければ、自分がどういう人間か、わかってもらえないのである。むしろ不気味な存在に映るのである。
そして、よく自分をわかってもらいないまま、異動通知を受け取ることになってしまうのである。

 

確かにサラリーマン社会でも一般社会でも、「余計なことを言ってしまった」「しゃぺりすぎてしまった」「あんなことを言わなければよかった」ということは多々ある。
しかし、それはそれで仕方がないことだと思っている。
要は、自分というものを出し切らずに不本意な結果となるよりも、自分をさらけ出して不本意な結果となった場合の方が、自分にとってあとで納得がいくということである。
人が、後悔するときは、必ず、「ああ、あの時、言っておけばよかった」「もっと、自分の意を話しておくべきだった」というときである。
これは、みなさんも多分痛いほど、経験していることだと思う。
サラリーマン社会は、自分をわかってもらえないことには始まらない。不本意な評価や異動が起きることがないように、自分を知ってもらわなければならない。そのためには、「黙さず語る」ことであると思っている。

 

 

 

(参考)上司や人の上に立つ人は、成功体験や自分の価値観を部下や人に話さないことである。
本項目でも話したが、言う方はいとも簡単に言うけれど、受け取る側は重たく受け止めるのである。人の頭を混乱させたり、悩みの一要因になるということを忘れないでもらいたい。
『サラリーマンの本質』の第三議題「組織への間違った指導」の中の 3.成功体験を話さない及び第五議題「サラリーマンの悲劇」の中の 3.見下しているつもりが見下されている上司 をぜひ、参考にしてもらいたい。

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

始めるのに遅すぎるということは決してない

サラリーマン生活で痛感したことがある。それは、「始めるのに遅すぎるということは決してない」ということである。
「始めるのに遅い」と感じた時に、必ず自分に言い聞かせるように納得させる言葉がある。
それは、「今さら」という言葉である。

 

さて、どういう場合に、「始めるのに遅い」と感じるのだろうか。
色々ある。
例えば、サラリーマンだったら、ピアノを弾けたらいいなとか、絵を習いたいな、写真も面白そうだな、書道を習いたい………と必ず思う。
しかし、そんな時、「今さら」という言葉を使い、結局やらない方向に、自分を納得させる。
さらに、やらないということに自分自身の理屈づけや、先送りの理由も付け足す。
「今、オレ忙しいよな。もっと時間に余裕が出たとき考えよう。それよりも、休日は家でゆっくり休もう」と言い聞かせる。

 

他にも色々ある。
例えば、仕事のやり方。
会社やある人が、ツールを使った便利な書式を作った。そんな時、それにすぐに飛びつく人は何人いるだろうか。
「俺は今まで、自分のやり方でやってきた。慣れ親しんだこっちの方が結局は自分に適していて、早いんだ」と、新しいシステムを使わない。
そして、自分以外の人が、結構新しいシステムを使い出したとき、「今さら、変えるのもおかしいよな」と尻込みする。

 

まだまだある。
営業現場で、新規工作のノウハウの伝達があった。
早い人は、早速動き出し、そろそろ結果集約の時期を迎えている。
その時に尻込みした人は、「今さら、取ってつけたようにやるのもおかしいな」と結局はやらない。

 

この「今さら」と思う感覚は、スマホなどの新しい商品の自分への導入の感覚に似ている。
実は、私も、かなり「今さら」と思うタイプであり、色々な事の導入が遅れた。
ちょっと古くなるが、液晶テレビの購入、もっと古くなると、DVDが発売になっとき。今となっては信じられないが、画像等のデータをCDに何枚も保存し続けていたのである。
家電の買い替えもかなり躊躇する方だった。買い替えた時の便利さよりも、新しいことへの面倒くささの方が先に立った。
ところがいざ買い替えてみると、新しい機能に驚くばかり。その便利さに驚くばかり。「なぜ、もっと早く買わなかったのか」と、今までの不便さや今までかけてきた時間を悔やむ。

 

要は何を言いたいかというと、新しいことへの決断について、すぐに飛びつく人と私のような慎重派がいる。
この部分は仕方がない。多分、治らないだろう。また、みんなの動向を見て決める、世の中の普及状態や評判を聞いてから判断するということも決して間違ってはいないだろう。
しかし、明らかに、自分にとってプラスになるもの、便利になるもの、楽しくなるもの、時間の節約になるものとわかったときは、「今さら」と思わないで、その導入を決断した方がいいということである。
「今さら」と思った場合でも、遅すぎるということは決してないということを言いたい。

 

先日、80歳を過ぎたブロガーである女性の出版記事が新聞に載っていた。
私の周りの話になるが、私の高校の先生は、いい年になってからフルートを習った。その道では有名な人になったと聞いている。
また、私の転勤先の地方都市で、ある企業に勤めながら絵の勉強をし、号あたりの値段がつくまでになった有名な人がいた。
こんなことは、山ほどあると思う。多分、皆さんの周りでも、年をとってからスポーツを始めた、絵を描いた、小説やエッセイを書き始めた、新しいことにチャレンジしたという人は結構いるのではないだろうか。
この人たちは、言うまでもなく、「今さら」と思わずに、実行した人なのである。
実行して、新たな世界に旅立った人たちなのである。

 

この問題の根底には、新しいことへの抵抗がある。それは、自分自身に向けられた「今まで何をやってきたんだ。そのやってきた時間や努力、労力を無にしたくない」という思いがある。
ライフスタイルで言えば、「ピアノや絵を習えなかったのは、オレが一生懸命働いてきたからだ。それによって、家族を養ってきたし、この家だって購入できたじゃないか」という思いがある。
システムの変更でも、「オレは、いままで、この方式でやってきた。この方式には自分の思いが入っている。社内でも資料作成の名人と言われたではないか」と、残業しながら資料を作成し続けた光景、その後の会議でその資料が配られ、みんなで議論したことが蘇ってくる。
また、営業現場でもこう思う人がいる。
「俺の得意先開拓は超一流だ。このやり方で他社からひっくり返してきた。それが何だ、この方式は。これじゃ魂が全く入っていないじゃないか。そんなやり方で結果が出るか」と抵抗する。

 

新しいことをやることにより、何か今までの自分の努力や労力が失われるような気がしてくる。だから、変えるのを躊躇するのだ。
その気持ちはよくわかる。
しかし、変えなくては何も変わらないということをよく理解する必要がある。
週末、家でただただゴロゴロしながら会社のことを考え憂鬱になる日々、資料作成に追われ残業を繰り返す日々、毎日一生懸命営業に出て行くが結果が上がらない日々………。

 

始めるのに遅すぎるということは絶対にない。「今さら」と思う気持ちを振り払う勇気が必要と考える。

 
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サラリーマンの本質

 

 

 

人はあなたの休みなど気にしてはいない

サラリーマンの嫌なことに「休み明け」がある。
これが、正月休み明けやゴールデンウイーク明け、あるいは連休明けの場合は、出勤した際に、「ああ、また会社が始まっちゃたね」という苦笑いにも似た共通項がある。
ところが、自分だけ休んで出勤した場合は、感じ取る空気が全然違う。
何かみんなの視線や態度によそよそしさを感じる。
その態度に、「昨日は職場は大変だったんだよ」とか「色々なことがあってね」という言葉が背中に書いてあるように感じられる。
これが1日ならまだしも、体調を崩したり、家の用事で2-3日も休んだ場合は、もっともっとそんな感じを覚えるはずだ。

 

そして、なかなか職場の空気に溶け込めない自分がいる。
結論から言うと、そういう空気は完全に0かといえば正直0ではないが、あなたが感じているほどのものでもない。
これは、私のサラリーマン経験から言えることだ。

 

さて、なぜここでこの話題を切り出したかというと、現実に悩むサラリーマンにとっては、こんなことがとても大きく感じられる。
そして、職場のこんな空気を予期できるから、益々会社に行く足が重くなって、また休んでしまうということが起きる。
また休んでしまうから、さらに会社に行きにくくなる。
こんな構図で、悩みは拡大していくことも多いのではないだろうか。
私にも経験があることなので、この問題を取り上げた。

 

もし、みなさんが、こんなことに悩んでいるとしたら、是非、次のことを参考にしてもらいたい。
一つは、誰でもそんな感じを持つということだ。
こんな感情は、役職に関係なく等しくみんなに襲ってくる。
例えば、あなたが「課長や部長だったらそんな感じを覚えないだろうな」と思っているとしたら、違う。
課長や部長は、「みんなが一生懸命働いているのに、休んじまったな」と、きっと思っている。
多分、役員でも、社長でもそんなきまり悪い朝を迎えているはずだ。

 

もう一つは、あなたが気にするほど、人は気にしていない。
最初はぎこちないが、仕事を始めているうちにすぐにまた職場の雰囲気に溶け込むということもよくあるではないか。
きっと、みなさんもそんな経験を持っているはずだ。
ここは器用に自分から情報発信して、職場の空気に馴染んでもらいたい。

 

さらに付け加えるとしたならば、あなたは自分が休みを取ったことを気にしているかもしれないが、あなた以外の人も結構休みを取っているということにも気づいてもらいたい。

 

しかし、サラリーマン社会には、こんな休みをとることにも器用な人とそうでない人がいる。
器用な人は、休み明けにこんな会話をしていないだろうか。
「いやー、まいっちゃたよ。一昨日、家に帰ってちょっと体がゾクゾクするから体温計で測ってみたら38度5分もあってさ。びっくりしちゃったよ」と、明るく周囲に話している。
私もそうだが、なかなか普通はこの人のように話せないが、こんなことを話してみたらどうだろうか。
家の用事だったら、「姪の結婚式が土曜日に軽井沢であって疲れちゃったよ。疲れが抜けないので、悪いけど昨日休ませてもらったよ」と話せたならば、きっと違う展開になるだろう。
人は、「そう、最近、軽井沢で結婚式挙げる人って多いよな。大変だったな。そうそう、そうした場合は、休むことだよ」と答えてくれるかもしれないし、「俺も、この間そうだったんだよ。おまえ新幹線で行ったんだろ。新幹線も混んでいただろ」と、むしろ話が弾むかもしれないのである。

 

ここまで器用でなくてもよいが、是非、自分から情報発信を試みてもらいたい。
もう一つおすすめしたいのは、「宣言型休暇」である。
「オレ、来月の10日の月曜日休むからな」と早々と宣言してしまうのである。
その日に、家でゆっくりくつろぐもよし、家族サービスに徹するもよし、土日に旅行に行き、月曜日は家でゆっくりするのもよし、自分の好きなように使ってもらいたい。
こんな「宣言型休暇」の場合は、周りも早々と知っているので、休暇中も「いまごろ、みんな何やっているのか」と考えることもないし、休み明けもかなりスッキリしたものとなる。

 

問題を本題に戻そう。
日本のサラリーマンは、みな真面目である。真面目が故に悩むことも非常に多い。
体が疲れていても、毎朝会社に向かい、そこで働き、そしてまた家に戻るということで安心感を覚えている。
だから休みをとることに不安になる。

 

実は、『サラリーマンの本質』の原タイトルは、「月曜日の朝、重くならないために」だった。
毎週のように襲う月曜日の朝。
どうしたら、気が重くならないで会社に迎えるかが、出発点であった。
私は、「あれもやらなけれなならない。これもやらなければならない」という仕事上のプレッシャーも大きいのではないかと考えた。そればかりでなく、職場の人間関係、特に「自分がよく思われたい」と思う気持ちも存在するのではないかと考えた。

 

そのことから、『サラリーマンの本質』では、冒頭の第一議題、第二議題で、「仕事の進め方」を記載した。そして、終章において、サラリーマンの精神的部分の負担を軽減するために、「自分の違った道を考える」「『よく思われたい』と思わない」「『よかった』と思う」を記載した。

 

本題の「人はあなたの休みなど気にしてはいない」と関係するのは、「『よく思われたい』と思わない」ではないかと考える。
『サラリーマンの本質』にも記載したが、「いっそ、よく思われたいと思わない」ことも必要ではないかと思っている。

 

サラリーマンの悩みは、誰しも同じ経験をしてきた道でもある。
決してあなただけが感じていることと考えないで、頑張ってもらいたい。

 

 

 

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