『闘え!サラリーマン』とビジネス書

カラオケで『闘え!サラリーマン』(歌 作詞 作曲 ケツメイシ)を聴いた。
そのとき、ハッと気づいたことがある。それは、サラリーマン像についてである。
『闘え!サラリーマン』の歌詞に出てくるサラリーマンとビジネス書に出てくるサラリーマンとは、まるで違うということである。
そして、どちらが現実のサラリーマンに近いかといえば、それは100%『闘え!サラリーマン』に出てくるサラリーマン像だと思うのである。

 

私たちは、ビジネス書を読んでも、心の底に「これは現実の世界に適用する話ではない」といったものを持っているのではないだろうか?
しかし、そんな気持ちを、押し殺しながら読み、現実の世界にあてはめることができる内容はないか、探しているのではないだろうか?
『闘え!サラリーマン』を聴くとそんな気持ちがよくわかるのである。そして、やはり、現実とビジネス書に出てくる世界とは違うと思うのである。

 

それでは、どこが違うのだろうか?
一言で言って、ビジネス書に出てくるサラリーマンは静的なのである。
つまり、スーツをしっかり着こなし、大学の講義やセミナーを聞くような澄ましたサラリーマン像なのである。
ところが、『闘え!サラリーマン』に出てくるサラリーマンは動的なのである。人間性が前面に出ているのである。
『闘え!サラリーマン』の歌詞から抜き取ると、
「疲れ」「二日酔い」「不条理」「嫌な上司」「報連相」「会社の為」「家族の為」「社会の為」「労働」「給料」「終電」「ノルマ」「外回り」……、こんなことが頭にあるのである。
私は、サラリーマン出身者だからわかるが、『闘え!サラリーマン』に出てくるサラリーマン像が本当のサラリーマン像なのである。

 

そして、私は『闘え!サラリーマン』の次の歌詞に注目している。
「ハイハイハイ」「やりまーす!」「やれまーす!」「喜んで」「この世界じゃお決まりのファイナルアンサー」
「言える訳もなく、言い訳もなく、これで良い訳もなく」
「不条理笑って飲み込め」

 

なぜこの部分の歌詞に注目したかといえば、ビジネス書は、いかにも「こんなこと、教えてやります」といったトーンだが、「そんなこと、とっくにわかっています」とこの歌詞は言っているのである。
もしかすると、教えてもらわなければならないのはビジネス書の著者の方かもしれないのである。
そして、わかった上で、会社の為、家族の為、社会の為、頑張っているのである。
そして、私は、こんなサラリーマンは、きっとビジネス書などは読まないと思うのである。

 

そうすると、ビジネス書を読んだり、セミナーを受けているサラリーマンは、いったいどういう人なのかということになる。
私は、そんな人たちは、実はサラリーマンでは少数派だと思うのである。
現に、私が営業の担当者だったときは、ビジネス書など、読もうと思わなかったのである。そんな気力すらなかったのである。
私は、ビジネス書を読んだり、セミナーに参加するサラリーマンは、漆原直行氏が言うように「漠然とした危機感」(『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』 マイナビ新書)を持つサラリーマンであり、もしかすると営業などの現場にいない人が多いのではないかと思うのである。

 

しかし、私は、時代は変わってきていると思うのである。
もう「漠然とした危機感」では済まなくなってきている。格差社会が進行しているのである。
サラリーマンは現実的に生き残りをかけなくてはならない時代が、もう到来してしまっている。
そして、この時代は、『闘え!サラリーマン』に出てくるような現実のサラリーマンこそが、現実的な解をを出さなければならなくなっていると思うのである。
同時にビジネス書も、『闘え!サラリーマン』に出てくるようなサラリーマンに、いかに現実的な解を提供できるかが求められていると思うのである。
今までのように、お澄まし顔で、サラリーマンに教えてあげるというスタイルだと、ビジネス書自体が生き残れなくなってしまうと思うのである。
みなさんは、どう考えるだろうか?

 

 

 

 

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ブログの読者は、本の読者より進んでいる

アメブロなどのブログを見てみると、ネットビジネスをやっている人が非常に多いことに気づく。
しかも、その人たちのブログを見てみると、成功法則や成功哲学について書かれたブログが多い。
その内容は、下手なビジネス書作家顔負けの内容である。
この現象は、ネットビジネスをやっている人も、それを参考にしたい人も、ともに実際に稼がなくてはならないという意識が強いからだと思うのである。
これが、企業で働くサラリーマンとは大きな違いだと思っている。

 

そして、もう1つブログには大きな特徴がある。それは、コンサルの方のブログが非常に多いことである。
しかも、コンサルの内容は多岐に亘る。
「営業」とか「セールス」という名前がついた営業系のブログも非常に多い。そして、読者も非常に多いのである。
問題は、ここである。

 

みなさんは、お気づきになっただろうか?
世に出ているビジネス書は、営業とかセールスという本のタイトルがついていることは極めてまれであり、目次をめくっても、まず営業とかセールスという言葉は使われていない。
これが、ブログと本との大きな相違点だと思うのである。

 

私は、ある出版関係者の方が言ったことを思い出した。
その方は、「営業なんて言葉を使ってはダメですよ。若い人は嫌がりますから………」と言った。
つまり、売れる本というのは、読者が嫌がらない言葉を使っていることが条件だということをおっしゃりたかったのだと思う。
しかし、これでは、本を出す意味も読む意味も非常に薄れてしまうと思うが、みなさんは、どう思うだろうか?

 

そんなことを考えて、改めてブログの記事を読んでみると、「残業」「対人関係」「引きこもり」などをテーマにしたブログも多い。
つまり、「営業」「セールス」も含めて、非常に現実的で、しかも直面する問題を取扱っているのである。
そして、ブログの読者は、その問題に真向いしている人たちだと思うのである。
現実を受け容れている人たちだと思うのである。
だから、能動的にブログを読んでいるのだと思うのである。
そこには、本の読者層とは異なる意識の差、現実感の差があると思うのである。

 

今、「仕事ができる人」「一流の人」というタイトルがついた本は売れている。
私は、ブログの読者は、多分、これらの本の背景にあるものを、瞬時に読み取るのではないかと思っている。
つまり、「これらの本の背景にあるものは、格差社会、生き残りである」と読み取るのではないかと思っている。
そして、多分、そう読み取ったブログの読者層は、これらの本より、もっとストレートに格差社会、生き残りを題材としているブログや本を求めるのだと思う。

 

こんなことを考えると、ブログの読者は本の読者より、一歩も二歩も進んでいると思うのである。
そこには、自分から取りにいくという能動的な姿勢があるからである。
そして、私は、これからの出版事業は大転換を迎えると思っている。
それは、今までは待ちの読者層を相手にしていればよかったが、これからは、取りにいく読者層を相手にしなければならなくなると思うのである。
今までと同じように、読者に対する聞こえや響きだけでは戦えない時代が、すぐにでもやってくると思うのである。

 

みなさんは、どう考えるだろうか?

 

 

 

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上手いビジネスはたえず継続的関係を求めている

私は、「これは敵わない」と思うほど上手いビジネス例を知っている。
それは、私自身が経験したことだ。私は、ある生命保険会社のがん保険におつきあいで加入した。そのときの月々の保険料は確か870円だったはずだ。
しかし、その後に「夫婦型があります」「こういう特約ができました」とタイムリー(?)にダイレクトメールが届き、その度に私は真剣に検討し、特約を追加し続けて、なんと今では月に10,000円近くの保険料を払っているのである。
そして、この保険の内容をよく見てみると、なんと終身払いになっているではないか。ということは、一生この保険料を払い続けなくてはならない。一生この会社とつき合わなければならないのである。
そして、さらに「すごい!」と思うのは、そんな私に、まだ新しい特約案内のダイレクトメールが続けていることである。
私は、この生命保険会社を心から「すごい!」と尊敬すると同時に、お人好しの私は、そのとき、「本当に上手いビジネス」というものに気づいたのである。

 

それは、たえず継続的関係を絶やさないビジネスである。
考えてみれば、私たちの生活は、こうした継続的関係を求めるビジネスに、けっこう左右されている。
デパートや専門店でスーツを作れば、その後に必ずセールなどの案内が届く。
コンタクトでも、バッグでも、住所を登録していたならば必ず、定期的に案内が届く。
クレジット会社からも、旅行案内やグルメ情報が届く。
これが、会員にでもなっていたら大変だ。もっともっと案内が来るはずだ。
それだけではない。先ほどの生命保険の例だけでなく、月々の出費が伴うものも結構あるのだ。
一つは、会費と呼ばれるものである。それ以外にも、家庭でセキュリティーを入れている場合なども毎月口座から使用料が落ちているはずである。

 

そして、この「継続的関係」は、それだけにとどまらないのである。
家に帰って、PCの受信トレイを開けば、また、この「継続的関係」はどっと姿を見せるのである。
それは、セミナーの案内だったり、メルマガだったり、本の案内だったりする。
そこには、「一度食いついたら、離れない」というビジネスの神髄がある。
しかし、この受信トレイを開けるときの感情というものは、なければ、なかったで、結構淋しいのもなのである。
その心の間隙を見透かされたように、メールが届くのである。

 

しかし、私は、世の中には、この継続的関係を「上手く処理している人」がいると思うのである。その人たちは、文字通りこの継続的関係を、自分でよく考えて上手に整理しているのだろう。
だが、圧倒的多数の人は、仕事では、よく「頭を整理しなければならない」と考えるが、この「継続的関係」の見直しはしていないと思う。

 

さて、このブログの読者の多くは、ビジネス書のファンだと思うのであえて言及するが、ビジネス書も同じようなものではないだろうか。
またセミナーなどもこの類に入るのではないだろうか。
ビジネス書の類のような本を書き、ビジネスパーソン向けのブログを書いている私が言うのも、はなはだおかしいが、ビジネス書を読めば読むほど、またセミナーに参加すれば参加するほど、この「継続的関係」を断ち切るのは難しくなっているのではないだろうか。

 

この現象は、不思議な現象なのである。
それは、ビジネス書自体を読むのが好き、あるいはセミナーを受けること自体が好きという人を除けば、本来、ビジネス書やセミナーは、「目的」があって、読んだり参加したりしているはずなのである。
それが、この「継続的関係」を断ち切れないでいると、ビジネス書を読むこと、セミナーに参加すること自体が「目的」となってしまうことである。
それだからビジネスは成り立っていると言えば、ここで議論はおしまいになってしまうが、ビジネス書やセミナーには断ち切ることができない不思議な力、魔力があるように思えてならないのである。

 

前に、漆原直行氏の『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』を紹介したが、この本の中で、ビジネス書作家を目指す人で出版エージェントに登録している人は、「登録料として月に5,000円~1万円程度、セミナーに出るたび1万~2万円程度徴収されてしまうので『正直、けっこう負担』とこぼしている人もいました」(P146)と書かれてあった。
自分の夢を追いかけることは、とても素晴らしいことだと思うが、たしかに、金銭的にも時間的にも結構な負担になると思うのである。

 

こうしてさまざまなビジネス例を見てみると、けっこうこの「継続的関係」を断ち切るのは難しいことがよくわかる。
そこには、私たちをなかなか手放してくれない魔力のようなものがあるからだと思う。
先ほどの生命保険の例で言えば、そこには断ち切ると安心が失われるという魔力がある。ビジネス書やセミナーで言えば、読まなかったり参加しなかったりした場合、不安になるという魔力がある。また、出版セミナーでいえば、夢が失われてしまうという魔力がある。
だから、継続を選択するのだと思う。
しかし、ビジネスという視点に立つならば、継続的関係を保つということは、とてつもなく上手いビジネスであることも事実である。
それは、継続的収入が得られるからである。

 

そうすると、どうすればいいか? これだけは、自分で考えなくてはならないことだが、
そして非常に難しいことだが、強いて言えば、「相手の土俵に乗る前に、自分でよく考えてみる」あるいは、「自分のペースを守り、相手を利用する」しかない。
それに、自分の「目的」に一直線に結びついているかである。回り道していないかである。あるいは、買い物でいう、衝動買いしていないかである。
ビジネス書には、よく自分のペースを守り切るということが書かれているではないか。
ビジネスの神髄のようなものに立ち向かうのは、容易ならぬことであるが、一度、自分の力で、0クリアーにし、自分のペースで整理してみたらどうだろうか?

 

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

ビジネス書の著者には「思い」と「思い込み」がある

どんなビジネス書の著者にも「思い」がある。もしこの「思い」がないとしたら、それは「売る」ための道具にすぎない。
しかし、ここでみなさんと考えなければならないのは、「思い」と同時に「思い込み」もあるのではないかということである。

 

このことについては、常々考えていたが、高城幸司氏の『できる人の超★仕事術』を読んでいた際、下記内容が目に止まった。
「人は誰しも、自分の考えに対しては甘いものである。やってみてうまくいったことがあったら、それが自分の勝ちパターンだと早とちりしてしまいやすい。
だが、それはたまたまうまくいったものであったり、ある条件の下においてのみ成功するものであったりする」(P133)

 

どうだろうか? 考えてみればビジネス書の著者やセミナーの講師は、自身が「これをやってみてうまくいったから」、それを本にしたり、セミナーの題材にしているのではないだろうか?
この気持ちというか、動機は、私自身、とてもよくわかるのである。
それは、私自身が、まず、『サラリーマンの本質』という本を書き、またこのようにしてブログ等で、ビジネスマンの「仕事のやり方」や「考え方」を書いているからである。
しかし、私自身、たえず、私が言っていることは自分は適していると思っているが、それよりも、もっと適したやり方があるのではないかと考えている。
すなわち、こう言ってしまうのは大変勇気がいるが、「自分の思いこみ」の部分がないか探しているのである。
それだから、いつも他のビジネス書作家が書いた本を読み、ブログなどで紹介しているのである。

 

そして、私はこう考えている。
さすがに、ビジネス書の著者やセミナーの講師には、「たまたまうまくいったもの」ということはないと思うが、「ある条件の下に」というものは、絶対にあるのではないかと思っている。
だから、私は、「ビジネス書を読むときは、どの世界の話なのかを見極める」というブログを書いた。
つまり、ビジネス書の読者は、しっかりとどの世界の話、どういった条件下で「うまくいったか」を考えなければならないと述べたつもりである。
たとえば、外資系コンサルタント出身者が書いた本ならば、「それ以外の世界で通用する話」なのか、あるいは、セールス出身者が書いた本ならば、「それは特定分野のセールスの話ではないだろうか」をよく考えなくてはならないということである。
私の本も然りである。

 

また、それ以前に「たまたまうまくいったもの」かどうかは、十分に検証しなければならないと思う。
その参考基準は、長年にわたり、成果を出し続けている人かどうかである。
それは、2年や3年のスパンでは、あるいは一発という世界では、「たまたまうまくいったこと」があるからである。
また、その成果自体のレベルも十分に考えなくてはならないと思う。
その意味で、保険業界で知らない人がいないほど有名な柴田和子さん(以前、『柴田和子 終わりなきセールス』を紹介している)などは、「たまたま」という世界とはまったく無縁の人であり、成果も日本一を長年続けていたというより、世界レベルの人である。

 

さて、問題の根幹となるのは、ビジネス書の著者やセミナーの講師は、自分が「これをやってみてうまくいったこと」は、一般的に通用するのではないかということで、本を書いたり、セミナーを開催していることである。
それを外資系コンサルタントは、「普遍性」と呼んでいる。
しかし、この「一般的に通用する」という思いが強すぎると、それは「思い込み」になってしまうのではないかと私は考えているし、心配している。

 

考えてみれば、ビジネスマンは、一人たりとも同じ環境、条件で働いていないのである。
やっている仕事も、一人たりとも同じ人はいないのである。
だから、「普遍性」が大事ということになるかもしれないが、私はそれは著者側、セミナー講師側の考えではないだろうか?
そして、この世の中に、絶対的に正しいやり方や考え方などは、存在しないのではないかと思っているが、いかがだろうか?

 

私は、ビジネスパーソンには、やはり一人一人に合ったやり方があると考えている。
最終的には、やはり読者側が自分に合ったやり方を見つける必要があると思っている。
そして、ビジネス書やセミナーの役割はその「気づき」のお手伝いなのではないかと思っている。
参考事例の紹介だと思っている。

 

また、もしビジネス書の著者やセミナーの講師の言うことをそのまま受け容れ実行したとするならば、そこには、自分がいないのではないかと思うし、それに、人が教えてくれたことは、そんなに長続きするものだろうか?
また、人と違うことに気づいたから、ビジネス書を書いたり、セミナーの講師になっているのではないだろうか?
それを自分のやり方を100%真似よと言っても、どこか本末転倒になっているような気がしないだろうか?

 

さらに、私が思うことは、営業のやり方についてである。
営業のやり方などは、絶対に人それぞれ環境も違うし、業種も違うし、立場も違うし、セールス形態も異なるものだと思っている。
営業のやり方こそは、自分で自分のやり方を見つけた人が勝ちではないかと思っている。
そこには、自分が見つけたという自信があるはずである。自信があれば、またそこから発展もあると思うのである。
そして、営業の成功者は、みんな、自分で自分の営業のやり方を見つけた人だと思うが、みなさんは、どう考えるだろうか?
(参考:私は営業で一番重要なものは、営業に対する考え方だと思っている。ここが腑に落ちると、自分で自分の営業スタイルを作ることが作ることができると思っている。『サラリーマンの本質』営業の本質 参照)

 

 

 

 

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サラリーマンの本質

 

 

 

「仕事ができる人」を自分の言葉で表現できるだろうか?

「仕事のできる人」を自分の言葉で表現できるだろうか?
一度、眼を閉じてゆっくり考え、試してもらいたい。
(朝早く起きて、会社に早く着いて………、それに………)おそらくこの程度しか浮かばないのではないだろうか?
しかし、心配はいらない。私もビジネス書の類のような本を書いたり、毎日のようにビジネス書を読んではいるが、言えないのである。
そして、言えなくて、当然といえば当然なのである。
これが、ビジネス書を考えるときの根幹となる問題なのである。

 

なぜ言えないのか、考えてみると、
ビジネス書を読んでも、そのときは、「確かにそういうことあるな」と、「仕事ができる人」の特徴をつかんだ気になっても、心に残らないことが挙げられる。
また、ビジネス書を多く読む人は、読めば読むほどわからなくなるといった現象に陥るのではないだろうか。
それは、様々なビジネス書が著者独自の視点で、「仕事ができる人」の特徴を語っているからである。
わかりやすく言えば、「仕事ができる人」の特徴は、読む本によってまちまちなのである。
もっと言うと、様々な「仕事ができる人」が登場しているからである。

 

その結果、心に残らず、「そういえば、たいていこんなことを言っていたぞ」ということになり、その共通項である「朝早く起きて、会社に早く着いて……」のみが頭に残るのである。
それはそれで意味があることかもしれないが、それでは何のために高いお金を出してビジネス書を買っているかわからなくなってしまう。

 

私は、この「仕事ができる人」を自分の言葉で表現できない最大の理由は、読者が「仕事ができる人」の「実像」をイメージできないからだと考えている。
つまり、様々なビジネス書を読んで、「仕事ができる人」の特徴に触れても、それは、どこか遠いというか幻の人なのである。
実在人物に映らないである。
だから、イメージできないのである。
イメージできないから、真似ようと思っても真似することができなくなる。従って、高いお金を出してビジネス書を買っても、ごくごく限られたことしか具体的に実行に移せないのではないだろうか。その結果が、「朝早く起きて………」となってしまうのではないだろうか。

 

実は、私もこの問題を長い間考えていた。しかし、私には、どこか直観のようなものがあった。
そして、「仕事はできる人に集中する」というブログを書いた。
このブログはかなり前に書いたものだが、毎日アクセスが欠かさず続いている。
これは、どういうことだろうか?
つまり、私の直観と同じく、多くのブログの読者も、「仕事が集中する人」=「仕事ができる人」ではないかと考えているからだと思うのである。

 

実際、私の経験からしても、この「仕事が集中する人」は「仕事ができる人」だった。
おそらく、みなさんの直観もそうだろう。もっと言うと、みなさんは、「そんなの当たり前だろ。『仕事ができる』から、仕事が集中するんだろ」と考えていると思う。まさしく、そうなのである。
しかし、重要なことは、こんな「仕事が集中する人」は、みなさんの周りにきっといるということである。
ここで、初めて、具体的な登場人物が浮かぶということになる。
今までは、登場人物がイメージできなかったから、「仕事ができる人」がよくわからなかったとも言えるのである。
すなわち、ここで、初めて「実像」が浮かぶ! ということになる。

 

この「実像」が浮かんだならば、しめたものである。
すなわち、その人たちの行動、考え方を真似ることができるからである。
実は、その人たちの仕事ぶりに「仕事ができる人」の特徴がある。
私は、『サラリーマンの本質』の中で、ビジネス社会で、さまざまに苦戦をしている人たちと対処法を書いた。
逆に言うと、そんな苦戦をしていない人が「仕事ができる人」なのである。
苦戦をせずに、さっさと仕事をこなしてしまうから、また、新たな仕事が舞い込む人たちなのである。
だから、仕事が集中する人たちなのであると言える。

 

 

 

 

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ビジネスマンに一流という概念は存在しない

世の中、「一流」「一流」と言うが、私は、ビジネスマンには一流という概念が存在しないと考えている。
一流の選手とは言う。一流の音楽家とも言う。一流の学者とも言う。もっと言うと一流の経営者とも言う。
そして、一流のセールスマンと言うこともあるかもしれない。
しかし、一流のビジネスマンと言うであろうか? また、一流のサラリーマンと言うであろうか?
私は、多分言わないのではないかと考えている。

 

これは、人は、一流と言う言葉を使うときは、分野、ジャンルの中で判断しているからではないだろうか?
ビジネスマン、あるいはサラリーマンではジャンルが広すぎるからではないだろうか。
しかし、もっともっとジャンルが広い一流の人という言い方はするから不思議である。

 

私がなぜこんなことを真剣に考えているかと言えば、現在、ビジネス書やビジネス誌を見ると、「一流」という言葉が大きなキーワードになっており、この言葉が使われているビジネス書やビジネス誌はよく売れているからである。
この現象は、多くのビジネスマンがやはり「一流」を目指したいからだと思う。
すなわち、ビジネスマン側に需要があることになる。需要があるから、そこをビジネス書はターゲットにしているのである。
しかし、私は、それは志を持つビジネスマンを振り回しているように思えて仕方がないのである。

 

その理由は、先に述べた一流の選手、一流の音楽家、一流の学者は、その道を究めた人である。
そこには、道を究めたという事実のみがある。
ところが、ビジネスマンにこの「一流」をあてはめようとすると、そもそもビジネスマンの「一流」ってなんだという問題に突き当たってしまう。
それゆえに、ビジネス世界で成功した人などを取り上げ、「一流の人はこういう考え方をする」「一流の人はこういう行動を取る」「一流の人の特徴はこうである」と分析をするのではないかと思う。
これは、「一流の人」にどうなるかではなく、結果からの特徴分析にすぎない。
この最大の欠点は、具体的な人物像を描けないことにある。
私は、このことが、ビジネスマンを迷わし、振り回す原因になっていると思うのである。

 

そして、私の考えの到達点はシンプルである。
それは、「ビジネスマンに一流という概念は存在しない」という結論である。
しかし、「できる」「できない」という概念は存在する。
「できる」「できない」という概念ならば、人はピンとくるし、実際よく使われている。
よく使われているということは、やはり、受け容れやすい概念だからである。
また、この概念ならば、どうしたら「できる人」になるか、具体論に移行できる。
そして、その先には、努力した結果である「成功」という概念も存在すると思うのである。

 

つまり、私は、ビジネスマンは、「一流」の人を目指すのではなく、「できる人」を目指した方がいいと思うのである。
「できる人」ならば、具体的な人物像も思い浮かべられるだろう。
みんなの周囲にも参考になる人がきっといるだろう。
そして、「できる人」の延長線上にあるものは、成功であると思う。
だからこそ、「できる人」を目指すべきであり、それが現実的である。
ビジネスマンにとって、この「できる」と「一流」を混同しない方がいいと思うのである。

 

最後に、私は、この「一流」という言葉が大嫌いである。
一流のレストラン、一流のホテルという使い方は、そこには素材の問題、接客態度、清潔さ、雰囲気などの商売上の判定材料がある。
謂わば商売上の格付けだから、すんなりと受け容れられる。
しかし、人については、言うべき言葉ではないと思っている。
それは、背後に人を馬鹿にしたところが必ずあると思うからである。
よくビジネス書によっては、「一流の人は、一流の人とつき合い、一流のものを着て、一流のレストランに行く」などと書いてあるが、私から言えば、 そんなのは、もちろん「一流の人」の回答になっていないし、そう思う人は、「そう思う人同士で好き勝手にやってろ」と思うのである。
だいいち、そう思うこと自体があまりにもさびしいではないか。

 

本題に戻るが、ビジネスマンで頑張って少しでも上に行こうと思う人は、まず「仕事ができる人」を目指してもらいたい。
それは、「仕事ができる人」は、誰もがチャレンジすれば可能だからである。

 

 

(「仕事ができる人」になるためには、「仕事の進め方」が重要である。その際に『サラリーマンの本質』を参考にしていただければ幸いである)

 

 

 

 

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仕事ができる人はシンプルに仕事の量をこなす人である

「できる人」「一流の人」という名前がついたビジネス書は氾濫している。
しかし、その定義は極めて曖昧だと思うのである。
これらの本に書かれているものは、「できる人」「一流の人」ではなく、ほとんどは、それらの人の特徴である。
確かに、「そんな特徴はあるよな」と思うのだが、そもそも、できる人、一流の人ってどういう人かと考えると、読めば読むほどわからなくなってしまうのである。

 

私は、この問題を長い間考えてきたが、仕事ができる人は、仕事の量をこなせる人ではないかと思っている。
そして、できる人が周囲に認められて一流の人になるのではないかと思うのである。
それを、世の中、よってたかって難しくし過ぎているような気がする。
もしかしたら、難しくしないと、本は売れないのかもしれない。また同じテーマを、手を変え品を変えることができないからかもしれない。

 

私の立てたこの仮説には、正直、直観的なものがだいぶ入っている。
それは、周囲を見回したとき、確かに仕事ができる人は、人よりも量をこなしていると思うからである。
だいいち、仕事ができる人が暇そうにしているなんてイメージできない。
これに気づいた私は、「仕事はできる人に集中する」というブログをだいぶ前に書いたが、このブログへのアクセスは現在でも毎日のように続いている。
これは、多分、みなさんも、なんとなく「仕事はできる人に集中する」と思っており、仕事ができる人=仕事が集中している人ではないかと薄々感じ取っているのではないかと思うのである。

 

また、私が立てた仮説を裏付けるような本がある。
それは、外資系コンサルタントが書いた本である。
みなさんもお気づきかもしれないが、外資系コンサルタントの本には必ずと言ってよいほど、「知的生産」という言葉が使われている。
(前に書評した勝間和代氏の代表的な著書である『効率が10倍アップする 新・知的生産術』などはこの典型である)
「知的生産」と言われると、なにがなんだかわからなくなってしまうが、その目的は、生産性をあげることである。
要は 外資系コンサルタントは、まるまる1冊を使って、生産性を上げるための技術を紹介していると言っても過言ではないのである。
この生産性を上げるということについて、安宅和人氏は著書『イシューからはじめよ』で、「意味あるアウトプット」と言う言葉を使っている。
非常に上手い表現である。

 

突き詰めると、外資系コンサルタントは、生産性を上げる、意味あるアウトプット量を増やすという本を書いているのである。
言葉を置き換えれば、仕事をより多くするということではないだろうか?
もっと言うと、眼に見える形で仕事量を増やすということではないだろうか。

 

こう考えてみると、私の仮説はあっているのではないかと思うのである。
そして、なぜ私がこれほどこの仮説にこだわっているかと言えば、残念ながら今のビジネス書は冒頭にも触れたが、読めば読むほどわからなくなってしまい、その結果、読者は、ビジネス書の内容をアウトプットしにくくなっていると思うからである。
手前味噌になってしまうかもしれないが、ここは私のように「仕事の量をこなせる人になれ!」と言った方が、読者の頭にスーッと入っていきそうな気がするのである。
この頭にスーツと入ったならばしめたものである。
それならば、どうすれば、仕事の量をこなせるかと考えられるからである。
この方がビジネスの現場の人には合っているようで仕方がないのである。

 

しかし、ここで問題がある。
それは、「仕事の量をこなせる人になれ!」と言っても、俄かにこなせない人がいるからである。
前もって言うと、このこなせない人が悪いとか、劣っているという話ではない。
現実には、こなせない人の方が圧倒的に多いだろう。
みんな、現在の手持ちの仕事でもアップアップだと思うのである。

 

私は、このように、仕事をこなしたくてもこなせない人をいかにして救うかというところが、ビジネス書の肝心要のところだと思うのである。
ここで解を出せなければ、ビジネス書の中身が現実の世界で生きることはないと思うのである。

 

私は、仕事をこなしたくてもこなせない人には大きく分けると2つの問題が存在していると思う。
一つは、職場環境などの環境の問題である。もう一つは、個人の仕事の進め方の問題である。
個人と組織双方で、この問題を考えないと、解決しないと思うのである。

 

(『サラリーマンの本質』は、現実の世界の組織と個人の解決方法を書いたつもりでなので、興味のある方は参照願いたい。 目次参照

 

 

 

 

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人はビジネスマナーに書かれていないところで失敗する

人は、ビジネスマナーに書かれているところで本当に失敗するのだろうか?
お辞儀の角度、名刺の渡し方、アポ、訪問、席順、挨拶、接待……。
おそらく、これらがしっかりできていないと、確かに失礼にはあたるだろう。
また、できていないことが極端だと大きな問題に発展することもあるだろう。
ビジネスマンにとっては、「失策」といえば「失策」だろう。
しかし、長年ビジネスマン経験してきた私からすれば、ビジネスマナーを欠いたことが、致命的になるかと言えば、それは極めて稀であると思うのである。

 

致命的な失敗は、もっと違うところに存在すると思うのである。
非常に甘いかもしれないが、ビジネスマナーは、新入社員でも、常識的範囲の中でだいたいができているものである。
確かに、ビジネス経験が浅い場合は、ぎこちなさというものがある。また、知らないが故の失敗というものがある。
しかし、それでも、得意先を訪問した際には、挨拶をし、また辞去する際には、ちゃんとお辞儀をし、お礼の言葉を言っているものである。
また、接待を経験することは少ないかもしれないが、そんなときでも、ちゃんと接待側の一員に回っていると思うのである。
そんな中で、確かに、名刺交換の際、片手受けになってしまったり、お辞儀もペコリという感じになったり、応接間に案内され場合でも、どの席に座ってよいかわからず、相手に席を示されることもあるだろう。
しかし、それが相手にとって致命的かと言うと、私は、絶対にそんなことはないと思うのである。
こんなことを言うと、「そんな小さなところを相手は見ているんだ! そこで差が生まれるんだ!」とビジネスコンサルタントの方は言うかもしれないが、それはそうかもしれないが、私は、そんなところで致命的な失敗になることは「ない」と言いたいのである。

 

むしろ、致命的な失敗になるケースは違うところにある。
上手く表現できないが、人としてのいやらしさを感じさせるとき、本当の気遣いが見えないとき、背景に自分勝手が見え隠れするとき、人の感情部分にに立ち入ったとき……、こんなことを相手に思われたときこそが、私はビジネスマンの致命的な失敗だと思うのである。
仮にビジネスマナーが完璧にできていても、致命的な失敗なのである。

 

たとえて言えば、こんな場合である。
得意先を交えたゴルフコンペ。
スタート前の一服、そして昼食、帰りのお土産手配まで完璧だったとする。
しかし、その日、得意先の一人が恥ずかしくなるようなスコアをはたいた。
そして、プレイ終了後の表彰式。その人のスコアを見て、「いったい、どうしちゃったんですか?」と笑いながら駆け寄る人は、ビジネス社会にはいるのである。
その得意先の人にとっては、辛い辛い表彰式の場なのに、いつまで経っても、その日のゴルフの話をやめない、おまけに帰りの車の中でもずっと、ゴルフの話をしている。
そんな行為は、ビジネスマンとして致命的な失敗なのである。

 

また、商談の場合でも、こんなことがある。
自分をやり手と思っているA部長。得意先の担当役員に合うためにアポ取りの連絡をする。
「いつもお世話になっている○○商事の△△です。お元気ですか? この間はお世話になりました。あそこの料理いけたでしょ。またお持ち帰りいただいたさけ茶漬け、あそこの名物なんですよ。また、お付き合いください。
そうそう、ちょっと××さんにお話ししたいことがあるんですよ。明日の3時いいですか? それではお伺いします」

 

そして、商談が始まる
「おかげさまで、ウチも業界1位になりました。この経済誌にも大々的に取り上げられましてね、それから、記者も毎日のように来るんですわ。忙しいのにたまりませんわ。そうそう、今日は××さんにウチの新商品の案内に来ました。おかげさまで、評判が良くて、色々な雑誌に取り上げれれているんです。先日もテレビの取材を受けました。ライバルのB社の部長にこの間、あるところですれ違いましたが、『もう、勘弁してくれ』と言ってましたわ。 ワハハハ」

 

どうだろう? 自分勝手きわまりないのである。また、接待の話など恩着せがましくしているのである。こんな人とつき合いたくなるであろうか?
これは、ビジネスマンとしては致命的な失敗なのである。

 

こうして考えると、本やセミナーで説かれているビジネスマナーの失敗と言うものは「目に見える失敗」である。
しかし、例えに出した失敗は「目に見えない失敗」なのである。
注意しなければならないことは、「目に見えない失敗」ゆえに、行為者そのものがわからないことが多いということである。
そして、この「目に見えない失敗」の内容はというと、ディープであり、致命的になる恐れがあるということである。

 

こうして考えると、ビジネスマンで苦戦している人は、なかには目に見える失敗を繰り返して苦戦している人もいるが、おそらく、苦戦している人自身が苦戦している理由をわからないでいるのである。
私は、そのことを長いビジネスマン生活の中で学んでいった。

 

(参考:苦戦している理由がわからない人のために『サラリーマンの本質』を書いたのである)

 

 

 

 

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一流の人を目指すのが先か、それとも、実績を上げて一流の人を目指すのか?

私はみなさんと同じように毎日のようにビジネス書を読んだり、またビジネス書の類のような本を書いているが、実は、わからないことがある。
それは、多くのビジネス書は、「一流の人の行動や考え方を学べ」と言っているが、どうしても私の頭の中には「その道で実績を上げた人」=一流の人や成功者ではないかという考えがあるからである。
しかし、多くのビジネス書にも一理ある。それは、スポーツの世界や芸術の世界など、やはり一流の人に習った方が上達も速いし、また教わった方も一流になる確率が高いからである。
そう考えると、やはり、一流の指導者に習う必要があると思うのである。
すなわち、多くのビジネス書が言う「一流の人に学べ」は正解のような気がするのである。

 

だが、一方で、そうではないような気もするのである。
それは、やはり、一流の人に学んだとしても、どの道でも「実績」を上げなければ、一流云々を議論する話ではないからである。
そうすると、一流の人は、やはり「実績を上げた人」ではないかと思えてくるのである。

 

しかし、こんな私の考えに、ビジネス書の著者はこう言うだろう。
「だからこそ! 実績を(効率よく)上げるためにビジネス書は存在するのだ!」と。

 

この問題は、「一流の人を目指すのが先か?」それとも、「実績を上げて一流の人を目指すのか?」という卵が先か、鶏が先かのような議論であり、それゆえに私は毎日考えているのである。

 

私の考えをお話ししたい。
ビジネスマン出身の私から言えば、この問題は、やはり「実績が先」だと思うのである。
それは、「実績」がなければ、飯を食うこともできないし、会社で自分の貢献というものがないからである。
しかし!「実績」の意味合いは、世の中で使われている意味合いとは違う。
世の中では、「実績」というと、イコール「成果」「足跡」あるいは、セールスの世界では「優秀な成績」のようなものを意味していると思うが、私の考えは、もっともっと広い。
ビジネス世界で一生懸命頑張っている、あるいは、企業の一員として所属する部署で役割を担っている。ー私はこれがビジネスマンの「実績」だと思うのである。
そして、その積み重ねで、(実は私の嫌いな言葉だが)一流の人になると思うのである。

 

こんな私の考えには、きっと、多くのビジネス書の著者は「それは違う! それでは一流になれない!」と言うと思うが、私は、「それでは、一流ってなんですか?」と反論したい。
それに、一流かどうかは、自分で決めるのではなく、人が決めることだと私は思うのである。
そう考えると、最初から一流の人を目指すというのは、どこかおかしいような気がするのである。
そして、もっと言わせてもらえば、現場で一生懸命頑張っているビジネスマンは、「一流になれるかどうかで悩む」ことなんかないのである。
その意味で多くのビジネス書が「一流云々」にこだわるということは、ビジネスの現場知らずの考え方だと思うのである。
さらに言えば、多くのビジネスマンが、みんな一流の道につけるように案内役を務めるのがビジネス書の本来の姿なのではないかと思うのである。
『サラリーマンの本質』が、現場の解決策にこだわるのは、そのためである。
そうは言っても、ここは意見が分かれるところだと思うが、みなさんはどう思いますか?

 

 

 

 

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ビジネス書を読むときは、どの世界の話なのかを見極める

ビジネス書というものは不思議なものである。
読んでいるときは、「そうか」「そういうことか」とマーカーを引いたり、付箋を貼ったりしながら読んでいくが、肝心要の「アウトプット」の仕方がさっぱり浮かばないときがある。
また、「それは、そうだけど、現実の世界にあてはめるにはちょっと………」と躊躇するときがある。
そういうときは、「そもそもこの本はどの世界の話なのか」と原点に帰ることが必要だと思うのである。

 

実は、こうした現象が起きるのはビジネス書の宿命ではないかと考える。
なぜならば、ビジネス書というものは、外資系コンサルタントやスーパーセールスマンや起業家や大企業の社長などが、「自分の世界」で成功した体験や手法を、一般の人にも「当てはまる」と思い、書いているからである。
もちろん、それがスパッと当てはまる人もいる。たとえば外資系コンサルタントの本であったならば、企業で企画専門の業務を行っている人や、スーパーセールスマンの本であったならば、生命保険の営業職員やコミッションセールスを行っている人には「アウトプット」できる内容が多く含まれているかもしれない。

 

しかし、「ちょっと、違うな………」「自分にはとてもそんなことはできない………」と思う人は、慌てたり、焦る必要はまったくない。
それは、自分の世界と著者の世界がかけ離れていると割り切ればいいと思うのである。
ところが、往々にしてビジネス書を読んでいるうちは、読み込むのに夢中になっているので、そんなことは忘れがちになるのである。
自分にこの本が合っていないと感じたときは、「いったい、この本はどの世界の話なのか」という原点に帰ればいいと思うのである。

 

ここを、外資系コンサルタントは、よく「ベストプラクティス」に学べ、あるいは真実には「普遍性」があると言うが、それはその通りかもしれないが、やはり、自分に合わないものは合わないのである。
そうしてビジネス書の読者は、「自分に合った本」を探すという終わりなき旅に出ていくのである。
しかし、よくよく考えてみると、今の自分に完璧にあったビジネス書というものは、早々容易く見つかるものではない。
なぜならば、やはり、著者とは経歴が大きく異なるからである。

 

また、確かに、著者の世界で通用した論理なり、経験が、現実の世界に当てはまらないことも多いと思うのである。
外資系コンサルタントの本では、よく「外資系コンサルタントの世界では………」という表現が出てくるが、まさに自ら語る通りだと思う。
問題は、その世界の話が、一般に「当てはまるか」ということである。
なにか、ここら辺が焦点のような気がしてならないのである。
確かにこうした本の中には、「その世界の話」を「一般の世界」に落とし込んだときに、がクンと内容というか、現実性が落ちてしまうものもある。

 

さて、ビジネス書を読む目的は人それぞれだと思うが、大方の目的は、やはり自分の世界で「アウトプット」したいからだと思うのである。
この「アウトプット」を目的とするならば、どの世界の、どの技術を自分が探しているのかの目安をつけることが必要になってくる………。
そんなことを考えると、つくづく、ビジネス書の読者は大変だと思うが、みなさんは、どう思われますか?

 

 

 

 

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