出世・就職に行き詰まったら、「被官稲荷」に行く

「被官稲荷」(ひかんいなり)という、一風変わった名前の稲荷がある。
三社祭で有名な三社さま(浅草神社)の横にひっそりと立っている。
「被官」は官を被る(こうむる)と考えてもらいたい。つまり、就職・出世にご利益があるということになる。

「被官稲荷」は幕末の町火消であり、侠客であり、浅草寺門番でもあった新門辰五郎が女房の病気が治るようにと山城(京都府)の伏見稲荷に祈願して、全快したお礼に建てた稲荷である。「新門」は伝法院新門の門番であったことに由来する。

なぜこの稲荷を「被官稲荷」と呼ぶのかは、実は明らかになっていない。浅草神社の公式HPも名称の由来は不明としている。

 

しかし、浅草生まれで浅草育ちの私には、いくぶん、新門辰五郎の気持ちもわかるような気がする。
町火消が、浅草寺の門番に抜擢されるということは、並大抵のことではないからだ。また、そこには門番というイメージとはまったく異なった権威の裏付けがある。

そして、新門辰五郎は上野寛永寺の覚王院義覚僧正から、浅草寺の掃除方も頼まれた。浅草寺は東叡山の管轄に属していたからである。掃除方は風紀上の取締役であるから、境内の商人や香具師(やし)に対して絶対な権限を有した。(矢田挿雲 昭和4年の『報知新聞』の記事参照)
すなわち、一介の町火消だった新門辰五郎が、公職の冠をいただくということは、当時は想像を絶することであり、有難さ、誇りといったものを表したのが名前につながったのではないかと、私は考える。

 

私は「被官稲荷」におまいりすることは、別の意味もあると思っている。
出世や就職に行き詰まったときに、効果があると思っている。
行き詰まるということは、打つ手、策が思いつかないということではないだろうか。
そんなときは、いくら考えても策は浮かばない。

そんな状態は、気分転換が必要なことを意味している。
そこで、気分転換がてら、浅草見物を兼ね、「被官稲荷」を訪ねるという意味が生まれる。
意外に閃くものがあるかもしれない。

たしかに、出世にも、昇進にも、就職にも、仕事や営業にも、コツやカラクリのようなものは存在する。
そんなものを知りたい人は、私が書いた本などを参考にしていただきたいが、多くの人は、そのコツやカラクリに気がつかないだけである。私がそんなものを知ったのも、ずっとあとからである。
「被官稲荷」に行って、気分を変えることにより、そんなコツやカラクリのようなものに気づくかもしれない。

そして、「被官稲荷」におまいりすることは、神頼みという手かもしれないが、策の一つではないか、と私は考える。
そんな策でも、一手を講じたということが、自分の心を楽にするし、自信にもつながっていくと考える。

突き詰めて考えれば、どの策が当たるかなんていうことは、誰もわからない。
重要なことは、策を次々と思い浮かべ、実行に移すことではないかと思う。
「やり足りていないこと」を思い浮かべ、消し込んでいくことが、出世にも就職にも、そして成功にもつながっていくと、私は考えるのである。

 

「被官稲荷」

 

 

心に残り続ける昭和のおかあさん
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