『隅田川暮色』と「浅草のおかあさん」

「地下鉄の長い通路をぬけて雷門口の階段を上ると、地上はまぶしいほど明るい」

 

この一文から、この小説は始まる。

冴子はよそよそしくなった浅草の町が目に入る。
浅草で育った冴子には久しぶりの浅草だった。
昭和35年の夏である。

 

吾妻橋のたもとで、かつて呉服屋だった冴子の家に出入りしていた紺屋の小磯元吉の息子俊男と待ち合わせる。

 

冴子の父の店は雷門を田原町寄りに一つ入った通りにあった。
冴子が小学二年から喘息をわずらったので、父の千明は幾分でも静かなところを、と川岸に住まいを設けた。
駒形橋近くの隅田川沿いにあった。

 

俊男と一緒に、冴子は家があった駒形橋付近を歩き、吾妻橋へ引き返して、敏男の家がある山谷堀へと隅田公園を歩く。

 

冴子は、いま、本郷にある香月(こうづき)の組紐を手伝っている。
藍染めの依頼をするために、小磯元吉の家を訪ねた。

 

冴子と香月(こうづき)との関係は複雑だ。
冴子は香月の息子悠(ゆう)と戦時中駆け落ちした。
悠には妻子があった。悠の妻が離婚に応じなかったため、そのままの形で、悠と15年間も一緒にいる。

 

 

空襲が激しくなり、人が次々に疎開していくなか、冴子の父千明は浅草に残った。
冴子が戻ってくるのを待っていたのか。
東京大空襲の日を迎える……。

 

 

 

この小説は著者の生い立ちと深く関わっている。
著者である芝木好子氏は、実際に浅草雷門(当時は浅草東仲町)で育った。
田原小学校(当時は田原尋常小学校)に行き、府立第一高女(いまの白鷗高校)に進んだ。
府立第一高女は雷門からほどない距離にあるので、芝木氏は歩いて通ったのだろう。

 

一方、この小説に大きく関わっている駒形橋は、雷門とは目の鼻の先にある。
この地に住む人は、その橋を特段意識することなく暮らしている。
だが、浅草の人たちは、吾妻橋-松屋デパート、水上バス、雷門に近い橋、駒形橋-「駒形どぜう」といった漠然としたイメージを持ちながら、自分が住んでいる地と橋を結びつけている。

 

生活のなかで、当たり前のようにある橋だが、そこから見る隅田川は、人により、また、そのときどきで意味が異なる。
これが、浅草の人にとっての隅田川である。

 

 

隅田川暮色 (文春文庫)

 

 

 

『隅田川暮色』を読んだ浅草の人は、主人公冴子と「浅草のおかあさん」を重ね合わせた人も多かったことと思う。
「浅草のおかあさん」も、やはり雷門に住み、東京大空襲の夜、愛する兄を失くした。
「浅草のおかあさん」の名は小夜子だったから、主人公冴子は「浅草のおかあさん」のことではないかと思った人もいたのではないだろうか。

 

『浅草のおかあさん』には次のようなくだりがある。

 

川面は、見る人により、見る時代によってまったく違って見える。
いまの川面を見つめている人もいれば、過ぎ去った日の川面を見つめている人もいる。
橋の上に立つと、さびしさと切なさを上塗りするような感覚になる人もいる。
「浅草のおかあさん」もその一人だった。

 

長野から浅草に嫁いできた「浅草のおかあさん」には頼れる人がいた。隅田川を渡った本所緑町に一番上のおにいさんが住んでいた。
本所のおにいさんは九人兄弟の一番上であり、浅草のおかあさんは一番下だったから、兄というよりは父のような存在だった。

 

浅草のおかあさんにとっては本所緑町が実家となり、切ないときも、元気な姿を見せたいときも隅田川を渡った。隅田川を渡る足はいつも早まった。
長野から遠く隔たった地で、九人兄弟の一番上と一番下が隅田川をはさんで住んでいるということは、運命のいたずらとしか言いようがない。この二人に対して、神さまが結びつけた縁はそれほど強かったのかもしれない。

 

だが、その縁は長くは続かなかった。
三月十日の東京大空襲の夜、おにいさんの人格があだとなった。町内会長だったおにいさんは町内の人を誘導し、すべての人の避難を見届けてから逃げた。そのときは一面火の海で逃げるには手遅れだった。おにいさんを最後に立川あたりで見たという人がいた。
両国橋付近には、隅田川に注いでいる水路のような川がある。その場所が立川だった。おにいさんはその川に飛び込んだのだろう。
おにいさんの身元が判明したのは、終戦後六年も経ってからである。「本所区緑町」と国民服に付いていた名札を、「本郷区」と読み間違えられていたことからわからないでいた。遺体は隅田川を流れて下り、芝浦の海岸で発見されたという。
「浅草のおかあさん」は遺骨を前に涙を見せなかった。浅草のおかあさんは人前で涙を見せる人ではなかったが、このときも、こらえ、事実を受けいれた。
浅草のおかあさんは、この戦争で頼りにしていた本所のおにいさんも、一番仲がよかった満州の建国大学に行っていたおにいさんも失ってしまった。
それは、縁もゆかりもない浅草の地で、一人で生きていかなければならないことを意味していた。

 

 

浅草の人には「それぞれの隅田川」がある。

 

 

 

浅草のおかあさん

浅草のおかあさん

 

 

 

 

 

浅草の人たちは、隅田川になにを見つめているのだろう?
吾妻橋。奥に見えるのが駒形橋。

 

 

 

 

 

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2019年2月11日