「レモナック」を目にし、おかあさんを思い出す

スーパーで買い物をしていたとき、黄色の紙に包まれた菓子が目にとまった。
「黄色で紙の包装」を目が覚えていた。
近寄ると、やはり「レモナック」だった。

 

そのとき、私は、いまから何十年前の自分が育った家のことを思い出した。
昭和40年代後半~50年代前半だっただろうか。
私の家でも、「レモナック」がテーブルに置かれていた。

 

 

そして、「レモナック」と竹内まりやが歌ったキリンレモンのコマーシャルソング「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~」はなぜか重なり合うのだ。
「ドリーム・オブ・ユー」のリリースが1979年(昭和54年)だから、実際、重なっていたのだろう。
その頃は、日本人はレモンに対する一種のあこがれのようなものを持っていたように思う。
「甘さ」一辺倒の時代からの卒業だったかもしれない。
「レモナック」のレモン風味、レモンチョココーティングが、時代の波に合っていたのだと思う。

 

 

どんなときに「レモナック」を食べたのだろうか?
私が育った浅草では、家庭教師の先生が来ると、おかあさんたちは「ミカワヤ」のケーキや「アンヂェラス」のケーキを買いに行き、休憩時間のときに、紅茶やコーヒーと一緒に出した。
こんなところが、浅草のおかあさんたちの見栄っ張りなところだ。
「レモナック」は、子供のおやつに、おかあさんが買ってきてテーブルの上などに置いていたと思うのだ。
子供たちは、疲れて甘いものをほしくなったときや、夕食まで時間があるときに「レモナック」に手を出した。

 

いま、食べてみると、「やっぱりこの味だ!」という感覚と、「えっ、こんな味だったのか」という感覚が妙に入り混じる。
レモン風味やレモンチョココーテイングは昔のままだ。
一方、「こんなに甘かったのか」という感覚がまず襲う。また、この値段で長く提供いただいている山崎製パンには申し訳ないが、「ちょっとスポンジがぼそぼそしている。けっこう人工的な味だったんだ」と気づく。
きっと、時代と共に舌もうるさくなったのだろう。

 

 

しかし、一つの菓子が、何十年も存在し続けている価値は計り知れないほど大きい。
長く存在し続けていることにより、子供たちは、「レモナック」とともに、おかあさんを思い出すからだ。

 

 

浅草中の子供たちを愛した「浅草のおかあさん」も「レモナック」をテーブルの上に置いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

浅草に「浅草のおかあさん」と呼ばれた女性がいました

浅草のおかあさん

浅草のおかあさん

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2018年9月1日